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CHIKADA HARUO & VIBRASTONE『Vibra is Back』(1989)

アルバム情報

アーティスト: CHIKADA HARUO & VIBRASTONE
リリース日: 1989/12/1
レーベル: SOLID RECORDS(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は100位でした。

メンバーの感想

The End End

 存じ上げなかったし、ランキングでも100位ギリギリだし、正直に言ってこれが入ってるのはちょっと忖度なんじゃないの…?と思いながら聴いたのだけど、演奏はめちゃくちゃクールだし、リリックも随所にドキッとすること言ってくれるし、とても魅力的な作品で反省した。常に聴かれるべきものであることは確か(とはいえ、重要な作品がほかに沢山あるでしょうとはまだ思っている)。
 言葉選びや論理の組み立て方が好みだなあと思う。あとは、「侘び寂び」において恐らく大瀧詠一の引用をしていることに、この企画のおかげで気づけた。他にも参照されている作品は山ほどあるのだろうと思うので、折に触れて聴き返してニヤニヤしたい。「Hoo! Ei! Ho!」がふと気がつくと聴いているくらいお気に入り。

桜子

 これまでこの企画でライブ盤を何枚か聴いたけど、今までで一番ライブ行きたい!と感じたアルバムでした。
 近田さんの盛り上げ方と声色がハンサムだ...!と思ってしまいました。
 音楽は硬派な感じがするのにうちわとかを持って、キャーって黄色い声を出して観たくなるような気持ちになりました。

俊介

 ヒップホップかどうかはよく分からないけどとりあえずかっこよかった。
 手垢のついたメッセージもセッティングと本人の気概次第でどうにでもかっこよくなることに気づいた。
 ヒップホップってよりじゃがたらみたいだし、なにより演奏がうまい。すごいかっこよかった。

湘南ギャル

 管楽器のカッコよさ、楽しさ、存在感、すべてがここに極まれり!バンドやりたいけど楽器どうしよ〜って迷ってる人にこのアルバムを聴かせたら、バンドに乗るタイプのホーン奏者が溢れかえっちゃうね。どの曲も管楽器の圧がすごいんだけど、耳を澄ましても最大3本しか聞き取れない。大所帯ファンクバンドでの管楽器3本というのが、どのくらい少ないかを説明したい。RCサクセションのシングルマンではTower of powerというファンクバンドがホーンセクションをサポートしていたんだけど、普段の彼らは近田春夫&ビブラストーンと同じ10人で活動している。そしてそのうち半分がホーン隊である。それに対して近田春夫&〜のホーン隊は、バンド全体の1/3に満たない。少ねえ!!しかも3人吹いてればいい方で、4曲目とかちょくちょく誰かしらサボっている。それでも、絶対に必要な音はキレッキレの音で合わせてくる感じ、ホーン神経(運動神経と同じ語法です)が高い。本人たちもめちゃくちゃ楽しいんだろうな〜。このホーン隊の人数でも静かどころか、むしろやかましいくらいにギラギラ光っている。力こそパワー。ビブラストーン最高!!

しろみけさん

 ニューリズムやってみた。アフロビートの上に反発心を乗せたフェラ・クティを、ガシガシ食べれるようにユーモアとロックのギターを振りかけてる印象。すごくJポップらしいというか、ニューリズムの輸入から続くジャパナイズされた音楽としての要件を満たしてる。ただ本人がそれを意識して振る舞うことが、必ずしも目的の完遂とは言えないのが難しいところ。往々にして「頭でっかち」とか言われがち。まぁ私は好きです、なぜなら頭でっかちだから……

談合坂

 ミクスチャーロック大好きな高校生だった頃の感覚が蘇ってきた。言葉が伝わるだけじゃなくてそれがとにかくノレることの気持ちよさ。
 ギャリギャリのベースもキンキンのギターも私の好みど真ん中で、心が少年になっていくようだった。聴きながらとりあえずギターを手に持ってしまった。
 全くのノーマークだったところからの食らわれ度はこれまでで一番な気がします。

 ムーンライダーズ、じゃがたら、スカパラ、フィッシュマンズ、ceroを繋ぐミッシングリンクみたいな音源、なんでしょうか。管楽器とギターの掛け合いは日比谷野音から聞こえてきたら楽しくなりそう。ビール片手に。そんなサウンドに戦争反対、とか風刺と洒脱さを両立したリリックを載せるのは戦い方としてスマートだなと。

みせざき

 ボーカルに少し入り込めない感じがしてしまった。凄い早口で変なところにアクセントを持ってくるせいで肝心の内容があまり入ってこないことが多かったが、あえてそういう狙いもあるのかもしれない。70年代ぽいなとも思ったが急に出てきたVan halenのフレーズで80年代だということも再認識でき、時代を先行している、という類の作品とも感じにくかった。この何とも言えぬ特殊系という地位で成立している、そこに魅力が詰まっているような作品に感じた。多分もっと噛み砕いていく必要があるのだろう。

和田はるくに

 いつだったか、町田町蔵の作詞術という動画を見て、彼が言っていたことに「大事なことは何度も繰り返す」というものがあった。
 じゃがたらよりもよりストレートなファンクだが、メッセージもよりストレートに曲が練られていて、伝わるまで何分まで繰り返す。私は近田春夫という人を知らないからこの人が本当に言いたいことというのがこのアルバム一枚からは伝わってこないんだが、「何か物申したい」という欲求がまずわかって、よそ見ではなく、直視してアルバムに向かえたと思う。
 それにライブ盤というのもかなり大きい要素だ。じゃがたらを聞いた時に残念に思ったのは、スタジオ録音にしてしまっているために生の勢いというか掛け合いがないために切羽詰まった感じにならない。
 このアルバムだと一発録りなために当然ミスもあり、ボーカルも息切れしてしまっていたり、コーラスがマイクから離れてよく聞こえないということもある。だがそれ以上にアジテーションするために、空気をしらけさせないための緊張感というものがあって、また楽しんでリズムに身を預けて楽しんでいる仕草を音から感じ取れる。
 音と音が点になって結びつけるような作業が後から発生するスタジオ録音に比べて、はなから面で捉えて、現場で聞いているような興奮、スリルが全て封じ込めてある。良質なライブアルバムは全てこれができている、ないしこの一点突破で完成度を高めていると思うのだが、日本語のファンクという界隈で考えるならこれはナンバーワンと呼ばれる称号を持っていてもおかしくないし、少なくともその領域に肉薄していると感じるほどの内容だった。

渡田

 演奏やメロディをゆっくり聴こうとしても、ボーカルがそれに近寄りがたくしているような気がした。
 最初のインスト曲や各曲のイントロ部分ではその個性的な楽器のエフェクトに惹かれかけるのだけど、そういった部分を聴き出そうとすると、粗野な歌声が入ってきてどうしてもそっちに意識が向いてしまう。おそらくそれがこの音楽の個性、魅力の一つでもあるのだろうけれど、個人的には聴きづらかった。
 楽器のうねり方とかリズムには好きになれそうなところはあるんだけど…この歌声とメロディの組み合わせは聴いたことがなかったから、正直困惑している。

次回予告

次回は、岡村靖幸『家庭教師』を扱います。

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