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折坂悠太『平成』(2018)

アルバム情報

アーティスト: 折坂悠太
リリース日: 2018/10/3
レーベル: ORISAKA YUTA / Less+ Project.(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は62位でした。

メンバーの感想

The End End

 得体が知れない。録音の凄みはそこまでには至っていない気がするけど、ソングライティングとアレンジにおいて、『泰安洋行』と同じ地平に立っている作品じゃないか?シミュレーションにとどまらない、ジャンルとジャンルの無節操なごった煮。”ごった煮”は”編集”とは性質を異にする。その点でフリッパーズではなく細野を想起した。
 例えば、「みーちゃん」、ラテンっぽいメロディも声色と節回しでこんなに演歌っぽくなるんだ、とか。とても楽しいアルバムだった。

桜子

 異国情緒を感じるのに、歌声の節回しが邦楽っぽい。そのギャップが不思議で楽しい。
どこか淡白さも感じる歌声が熱情と彼の瞳を借りたような、独自の風景が頭に映る詩を閉じ込めている。
 サウンドも相まって旅する吟遊詩人みたいでカッコいい。

俊介

 異国のジャンルを絶妙な塩梅で混ぜるとそこにしっかり平成が現れてくる。
 インタビューの中で「オーバーダビングされてコラージュみたいになったカセットテープの時代を切り取ってる感じ」をアルバムで表現した、と折坂氏は語っていた。
 実際アルバムも様々なジャンルをコラージュさせて1つの時代を表現している。
 時代を概観してメタ的に「平成」なり「昭和」時代を表現する作品をあまり知らないのでめちゃくちゃ楽しかった。

湘南ギャル

 このアーティストが他の時代に生まれてたらどうなってたんだろうって、普段はあんま考えないけど、折坂悠太については考えてしまう。どの時代にいたとしても、名作を生み出していただろう。でも、彼が平成という時代を背負ってくれたことが、平成ガールの私としては嬉しい。何か一つに狂信的に入れ込むのではなく、自分の好きなものを全部取り入れる。それがいわゆる”なんか冷めてる”っていう平成キッズへの評に繋がるんだろうけど、私はそこに貪欲さを見る。貪欲な人は大好きだし、私もそうでありたい。

しろみけさん

 大きく見せないグルーヴの極致というか、「楽団」という表現がしっくり来る。そして録音が湿っぽくない。それもあってか、これまでこの企画で取り扱ってきた「和」をモチーフにとったものとは近いようで、地に足をつけていないまま集団で移動していくノマドらしさを感じる。そして元号を題名に冠してはいるものの、極めて時間感覚が掴みづらい。タイトルトラックで絡む電子音は、アコースティックな編成のバンドと、分かち難く絡み合っている。何より「ヒップホップの亜種なんじゃない?」と思うくらい歌唱が軽やか。野心と悟られずに野心で包み、時代に批評を忍ばせる、実に巧妙な作品。

談合坂

 この企画を通してのかなり限定的な印象のもとではあるけど、なんだかミューマガ史観を総括したみたいな、そしてあるべきタイミングでこの企画に登場したみたいな感じがした。なんの文脈もなしにこの作品に出会った時、作り込みが巧いという以上の聴き込みができるかというと正直自信はない。でも、文脈さえ見出せばどうとでも奥行きを観測できるアルバムであろうことはわかる。あとは私が目盛りのピントを合わせるだけ。

 200年後くらいに「平成」という時代を振り返る機会があったとする。もしかしたら「平成」の音楽が語られるとき、異常にCDが売れた後にCDは握手券へと変わりヒットチャートが崩壊した、と表層だけなぞって教科書に書かれるかもしれない。その後へぇ平成に「平成」という音楽作品があったんだ、と未来人が知ってこの「平成」を聴いたらどんな感想を抱くだろう?常に誰かが何かを取りこぼしながら語ってしまう時代という概念の中で、「平成」を聴けば折坂悠太が真摯に生活をし、人を愛し、セッションミュージシャンとコミュニケーションを重ね、自身の音楽語彙を40分にまとめたことが甦るだろう。これもまたひとつの歴史の語り方だと思う。

みせざき

 アコースティックを基としながら、それを丁寧に装飾する管楽器、バンドサウンドの配置がとても絶妙でした。根底にジャズやファンクに通ずるようなグルーヴ感がある気がするし、この人のルーツには実はそういう音楽もあるかも知れないと感じました。少なく抽象感を持った言葉でサウンドで浮遊感のあるコンテクストを作ることで、リスナーそれぞれに各々の解釈、風景を委ねることを主としているのだと思いました。これからもっと好きなアーティスト、作品になりそうです。

和田醉象

 実はこの企画で一番楽しみにしていたアルバム。別にいつでも聞けばいいじゃねえかという話はさておき(聞こうとすることと聞くタイミングがないことは違う)、情報量多めのポップスだと思ったら思ったより引き締まっててビックリ。でも楽しい。
 「平成」というタイトルもそうだが、聴いたことないのに少し懐かしい気分になる。親の車のカーナビで夜の帰り路なジブリを見ながら寝てしまい、気づくと部屋の布団に寝かされているみたいな、そういう手心というかなんというか。
 小さい音で聞いてみたり、カーナビのステレオみたいやあんまり音の良くない環境で一度聞くとなんか驚くほど馴染んだ。でも、クリアな音像も好きになりたいので、暗い会場で一度ライブを拝見してみたい。

渡田

 作り手自身が知っている様々なジャンルの音楽を、違和感なく組み合わせたような音楽。場面ごとに色々なワールドミュージックの影響を感じさせる瞬間があって、それでいてそれらが過剰になることはなく、ふとしたらまた邦楽としての穏やかな印象に戻っている。
 先週、先々週レビューした星野源やCHAIを含め、2010年代は良い意味で個性を先鋭化させてない、余裕ある立ち回りをするアーティストが目立つようになった気がする。特別な音楽を作ろうとしていると言うより、先人達の残した音楽から自分好みの物を選りすぐり、それらを扱いこなすような曲作りを感じる。

次回予告

次回は、cero『POLY LIFE MULTI SOUL』を扱います。

#或る歴史或る耳
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#アルバムレビュー
#折坂悠太


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