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坂本慎太郎『幻とのつきあい方』(2011)

アルバム情報

アーティスト:
リリース日: 2011/11/18
レーベル: zelone records(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は89位でした。

メンバーの感想

The End End

 ”すべてが滅んだ後の世界で幽霊のバンドがずっと演奏を続けていて、ただ時間の流れだけが世界を満たしていく”みたいなイメージをもって作ったと坂本慎太郎が語っているのを見たことがあるけど、本当にそのイメージがピッタリ合う。不気味の谷的な。まるで親しみやすいみたいな可愛らしい顔をしているのが、一番怖い。いくらでもポップに聴かせられそうなのに、全部の曲がり角でそれを避けながら進んでいるような感触…
 …は、生々し過ぎて逆に嘘くさいほどドライな音像のせい?でも意外と、長めのリバーブがうっすらかかっていたりして…食えないですねえ

桜子

 少ない音数が生み出す、特異なハーモニーが印象的で、気の抜けたような、妙な脱力感を感じます。
 子供のような純粋無垢な気持ち、寂しさを感じてしまうくらいの熱情、感じる死の匂い、それらがそのサウンドと噛み合わない感じがして、なんだかそれがとてもおかしくて、可愛いと思った。

俊介

 好きな人の言葉で「文字は、音楽や絵画より宇宙を描写することが出来る」ってのがあって、もちろんその真意を余すことなく理解できてるわけないけど、それに同意すると同時に、言葉は間隙、すごい真空的な部分まで言葉で表現できるんじゃないか、とこのアルバムで思う。
 実存している言葉で「無い!」状態を表現するのは、不可知なものを表現するくらい、恐らく難しいものではあるんだろうけど、なんとなくそれを1番感じるのがこの作品。
 彼は「空洞です」を作り終えて、できることはやり尽くしたといってバンドを解散させたけど、あくまでバンドの形態でできることはやり尽くしただけであって、ソロの場でも、ある味ゆらゆら帝国と通底した方向を新しい形態で目指してると勝手に感じてる。
 言葉を余すことなく言い尽くしたあと、そこに空虚だけを残すっていうスタイル、言葉がその他に優越してる特性を言葉で表現する中で捨ててくスタイル、上手くは言えないけど、「空洞です」含め、言葉を使い尽くしてもなお、下手に感動させない、なにも感じさせないのが彼のやり方?ってかんじ、ここ10年ずっと感動してるけども。

湘南ギャル

 何回噛んでもゆら帝は味がするので、さかしん作品に手を伸ばせないままでいた。全くの別物として、また違う良さがあった。ゆら帝を言葉で表そうとすると、緊張感、もしくはエネルギーの爆発といった言葉が思い浮かぶが、この作品ではそんな気配はしない。むしろ、緩和状態であり、リラックスすらできる。どちらも好きだけれど、坂本慎太郎の健康はこっちやってる時のが良さそう。そういや、”抜け感”なる単語のことがイマイチ掴みきれてなかったんだけど、もしかしてこの作品を表すのに一番適した言葉?

しろみけさん

 『空洞です』で、坂本慎太郎は体が邪魔になり始めたのだと感じた。「幽霊の気分で」から幕を開ける本作も、やはり体は邪魔そうだ。というより、厭世への憧れはますます加速している。そこにバンドはいなくなり、徹底的に死んでいる音のドラムも、歪みの聞こえなくなったギターも、虚脱感をただひたすらに感じさせる。ただ、現世への嫌悪が体に由来するものであっても、現世へと存在を結びつけるのもまた体なのだ。そういう両面性から出発した、ほんのりとポジティブな風合いに本作はなっている。坂本慎太郎は体から離れつつ、体の肯定へと旋回してくる。だからこそこのアルバムは、体が疲れた時に何度でも浸る、本来的なリラクゼーションとして聞きたくなる。

談合坂

 前回がPerfumeだったのも大きいかもしれないけど、聴いているといったい私が今どこにいるのかわからなくなってくる。
 何かに喩えようと言葉を探していたら、日付が変わってから太陽が顔を出すまでの間にだけ現れるなにか、というこれまたよくわからない概念がやけにしっくりきた。不明瞭と明瞭が共存する深夜特有の意識みたいなものと相性が良いような気がする。

 これまで聞いたアルバムの中でも格段に感想を書くのが難しい。諦めて当時のインタビューを読んだ。「空洞です」の製作後に創作意欲がなくなり、その先でふとコンガとベースを弾きたくなりこの作品が生まれたらしい。そう聴くとサウンド自体は坂本慎太郎の素の部分がリズムとしてナチュラルにアウトプットされたことがわかる。そしてこの徹底的に乾いたサウンドとリズムが合わさり坂本慎太郎のアルバムでしか聴けない心地よさを生んでいるのだろう。ただ、「君がそう決めた」「思い出が消えていく」といった曲の歌詞は坂本慎太郎の本心とは思えない。音楽に自分を託し切っていないセクシーさがある。

みせざき

 ゆら帝のあの現実的ながらも浮世離れした雰囲気は持っているが、全体的にギターロックでは無くフォークロックのような落ち着いた調子やR&Bやファンクのノリが強い為、聴きやすさと新しさの印象が強かった。ただ「思い出が消えてゆく」の語尾のメロディーの残し方など、どこか迷走中というような、不安・戸惑いが拭えない坂本慎太郎の響きも踏まえ聴くべき作品であることが分かった。

和田醉象

 出張中ドライブしながらよく聴いていたので、今でも耳を通すと急に目の前に田舎の風景が浮かびがある。
 ゆらゆら帝国の最終章より力が抜けてきて、カチッとした緊張感はだいぶ減ったように感じられる。(楽器隊の音数は相変わらずかなり抜かれているので、聞いていて緊張してしまう場面はあることにはある)
 かと言ってコミックバンドのようになるのかというとそうではなく、取り組んでこなかったファンキーな曲やアコースティックな曲、カントリーの方面にまで手を伸ばし、坂本本来の趣味というか、音楽性の多面性がうかがえる結果となっている。
 天才がやりたい放題したらこうなるのか、という感想。

渡田

 どの曲も、シンプルかつ奇妙なリズムが最初から最後まで形を変えずに流れていて、聴いているとその曲が永遠に続きそうな錯覚をおぼえる。ゆらゆら帝国で聴いたような凝った展開、激しい展開は少なく、机に向かって頭をひねりながら考え出された音楽というより、ふと思いついたメロディが最初から奇妙な味わいを持っていてそのまま作品になったかのよう。
 こういった曲調のうえ、『幽霊の気分で』という曲のタイトルで「さて何をしよう…何になろう…」と歌っている様からは、なんだか高校卒業後の春休みのような、ぼんやりした心寂しさと、ぼんやりした自由への期待感に同時に浸っているときの気分になる。
 ゆらゆら帝国がなくなった坂本慎太郎の、やることをまだ完全に決めきっていない余裕と、この先もまだまだ面白いことをやっていこうとする漠然とした野心が同居していて、まるで彼のモラトリアムを象徴しているようだ。

次回予告

次回は、二階堂和美『にじみ』を扱います。

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