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はちみつぱい『センチメンタル通り』(1973)

アルバム情報

アーティスト: はちみつぱい
リリース日: 1973/10/25
レーベル: ベルウッド(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は36位でした。

メンバーの感想

The End End

 なるほどこれが向井秀徳がポケットに手を突っ込んで練り歩いていたセンチメンタル通り…と思いながら聴いた。でも一番に浮かんだ感想は「はっぴいえんど好きな人全員これも聴きなよ!」だった。
 大瀧がやりたかったであろうことを、この時点では大瀧よりもよく達成しているとさえ言えるのではないか。というか、このアルバムを語るときにはっぴいえんどを参照することしかできない自分が情けない!早く邦楽編を完走して洋楽編に突入したいぜ…という思いを新たにした。
 そして、理由は本当にわからないのだけど、聴いている時、脳裏にスミスのジャケットが浮かんだ。本当になぜだ…?

桜子

 正直風街ろまんに似ている感じだなあと思いました。ゆったりさ、アコースティック加減がそう感じさせるのかなあ~でも釣り糸とかは新しいテイストなような!ストリングスだったり管楽器がこのアコースティックさから顔を出しているのが、この時代からしたら新鮮な気がする。

俊介

 あがた森魚の「乙女の儚夢」というアルバムかとにかく好きで、日本のミュージックの中でも唯一無二の歌詞、音像だと思ってたけど、「センチメンタル通り」が全く同じなので普通に早とちりしていた。調べてみたらそもそも楽器隊のメンバーがほとんど同じだった。名盤を通るのって大事ですね。
 とりあえず、「土手の向こうに」の歌詞がすごい好きで、冬の中では夏を期待して、夏の中では冬を待ち侘びる、君の存在や不在で自分が変われると信じる、自分自身を変えていくことを知らない、ティーンエイジャーの残酷な無垢さというか、わがままさが、こんなノスタルジックかつ感動的に歌いきる当時20そこそこの鈴木慶一氏。
 自分のすごい青くて恥ずかしいところを、隠したり忘れたりするんじゃなくて愛でることってすごい難しい。後数年で当時の鈴木氏と同じ年になるが、それまでに自分の過去を愛することができるのか、、

湘南ギャル

 はっぴいえんどを聞いて、ビートルズらしい!と直接感じることはなかった。でもはちみつぱいはビートルズにもはっぴいえんどにも似ているように感じる。この時代をまとめたようなバランスのいいアルバムだ。良くも悪くも耳触りがよくてすんなりと入ってくる。このバンドならでは!とか個性とかなんやらっていうのは、私にはそこまで感じることができなかった。しかし、この時代の雰囲気を手っ取り早く味わうには意味のある一枚なんだろう。

しろみけさん

 抜けていく。このアルバムの登場人物は、概して停留することなく街の外や海の向こうへ渡っていく。「君の右足浮かんでる東京湾へ/エンジンふかすぜベイベー(月夜のドライブ)」、「羽田から飛行機へロンドンへ/僕の嘆きを持ってお嫁に行くんだね(塀の上で)」、「思い出詰めた旅行鞄と/君は夢の中へ(君と旅行鞄)」などなど。
 はちみつぱいは流動性の高いグループだった。後にムーンライダーズへと変遷していく彼らもまた、停留を拒み続ける志がどこかにあったのだろう。しかし別れは別れではない。“僕の倖せ”から引用しよう。「何も知らぬうちにすべてはね/遠くへ 遠くへ/地球はまわりまわって元の位置」

談合坂

 質感が一気に’いま’になった気がする。今っぽさと言ってしまうのはまた違うような気もしますが。今日私たちの持つ架空のノスタルジーのツボを予見して作ってくれたかのようにすーっと何の引っかかりもなく空気が届いてくるような感覚。自分が当時を知らないからこそなのでしょうか。

「風街ろまん」を聞いて立ち現れる景色とはまた違う、より具体的で、より生活の薫りが漂う音楽。調べればわかるのだろうけど、敢えて調べずに言うとジャケットは帝釈天の辺りだろうか。「塀の上で」では成田空港から飛び立つ飛行機をリアリティーの無い物として捉え歌詞にしている。商店街。チンドン屋。土手。魚屋。ブラウン管テレビ。薬屋さん。ささやかな幸せ。高度経済成長期の共同幻想。そこに生活はあるが腐ってない。そこにあるのは気高い生活者としての矜持だ。後半3曲の多幸感と優しさ。奇妙に展開するウワモノとバタつくドラムの忙しなさが(想像上にしかない)つらいこともあるけどみんな笑顔な昭和時代、的な空想に浸らせる。

毎句八屯

 いい意味ではっぴいえんどやその周辺よりもそのままフォークやカントリーミュージックを輸入し、日本語詞を乗せたバンドに感じた。構成は日本感というものを意識せず、憧れたスタイルを歌詞を除いてそのまま継承しているイメージ。それもあってか聴きやすく、整然としている。しかし、舞台は日本。アレンジにも月夜のドライブのアウトロなどあからさまな部分だけでなく、何故か国全般に感じられる叙情性を内包したもやをまといつつも丸く優しい音作りを感じた。また、歌詞は和洋折衷(和6:洋4)な印象。よく知っている街の情景を切り取りつつ、和製英語を多用し、欧米なロマンチシズムを保持しつつ、このバンドでしか表現できない日本を歌っている。

みせざき

 とてもストレートでかつスローバラードが多いロックという印象でした。特にストリングスを交えたり、曲としての美しさを重視するタイプのロックというのが、洋楽ロックで言うR.E.M.を想起させました。(こっちの方が全然前なのですが、、、)描写性が特に重視された歌詞で、余計なものを極力排除したような純粋さによって、とてもエバーグリーンな音楽だと感じました。「ヒッチハイク」でカントリー風味のインストがあったりするのも面白かったです。

和田はるくに

 言わずとしれたムーンライダーズの前身バンドの唯一のアルバムだが、自分が好きな80sの彼らの音像からするとかなりアメリカーナ。はっぴいえんどなんかよりも濃い原液を飲まされている気分。ザ・バンドに影響を受けているというのだから無理はないか。だが、そこに日本語詞が載っているところにオリジナリティの萌芽を感じる。サウンドとメロディが違和感なく手を取り合っている。本当に「塀の上で」はアンセムだと思う。

渡田

 60年代の洋楽を聴いているような感覚。邦楽らしさよりもタートルズのような海外のフォークロックらしさを覚えた。「塀の上で」は特に。
歌詞も、意味を意識せずに曖昧に聞き流せば、何となく英語を聴いているような気もした。
 滑らかな歌い方が日本語としての区切りある発音を意識させなかったのかもしれない。

次回予告

次回は、井上陽水『氷の世界』を扱います。

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