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坂本慎太郎『ナマで踊ろう』(2014)

アルバム情報

アーティスト:
リリース日: 2014/5/28
レーベル: zelone records(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は48位でした。

メンバーの感想

The End End

 坂本慎太郎のソロ作における私のフェイバリットは『物語のように』とこれである、それは間違いないのだけど…『幻とのつきあい方』と違う何かが語れるだろうか、と言われると、すごくすごく難しいな。というのが、最も正直な感想だ。
 敢えてひとつ言うなら、音像においても、歌われている言葉においても、実世界との接続を前作よりも感じるという点。前作は"この世とは違うどこか"あるいは"すっかり性質が変わってしまったこの世"とでも言おうか、ある種の浮世離れしたムードが漂っていたのだけど、『ナマで踊ろう』は、共通したムードを纏いながらも、それを透かして作者が目にしている世界を描写したり、それに何かを言ったりしているような箇所がとても多いように思う。
 キリンジほどあからさまにワードを取り入れたりしてはいないものの、にしても「めちゃくちゃ悪い男」にしても「あなたもロボットになれる」にしても、なかなかわかりやすく"言いたいこと"が横たわっているような。
 それに対して"何かしらを思いやすい"というのが、『幻とのつきあい方』よりも親しみやすさを覚えることの理由なんだろうか。

桜子

 ナマで踊ろうと義務のようにのベースが作る雰囲気がすごく好き。アダルティで、色気があって、ムーディーで、カッコいい映画の、カッコいいシーンを観ているみたいな気持ちになる。
 このアルバムでのSFチックでありながら妙に現実味がある歌詞が怖いです。
 藤子・F・不二雄のSF短編とか、現実に起こり得るかもしれないから背筋がゾッとするじゃないですか。聴いているとそれと近い感情になります。

俊介

 彼の住居をはっきりさせたい、具体的な地名を聞いてあらためて彼が現前していることを確かめたい。
 それほどの不安を抱かせるほどに、このアルバムは現実から浮いていて、かなり遠い。
 レストランのBGMでなってても、スーパーで流れててもきっと違和感がない、悪くいえばきっと誰も耳に留めないし、良く言ってみれば誰も耳に留めない。
 彼自身はゆらゆら帝国からソロにかけて一種の ピリオドをつけたんだろうけども、個人的な耳を頼りにしていえば目指してる空間は同じだと思う。
 それほどの確信を抱かせるほどに、このアルバムは現実から浮いていて、かなり遠い。

湘南ギャル

 “何回噛んでもゆら帝は味がするので、さかしん作品に手を伸ばせないままでいた。”とか悠長なこと言ってる場合じゃなかった。めちゃくちゃ好きだ。せっかくこんなに素晴らしいアルバムをレビューする機会があるのに、たかだか一桁回しか聞けないまま締め切りを迎えるなんて無念すぎる。まあ書くしかない。
 前作は、ソロになったし気になってたやつ全部やったるわ!という好奇心と振れ幅が見えたが、今作はすべての曲が連綿としてひとつの世界を作り上げている。指輪物語の作者があの世界の言葉や地図を作っていたように、彼の中にある坂本慎太郎ワールドについての伝承を聴かせてもらっている気持ちになる。でも、坂本慎太郎ワールドは完全なフィクションだけで成り立っているわけではない。坂本慎太郎が現実世界に生きている以上、我々の生活とリンクする場面がある。というより、現実世界の美しさと醜さを極端に抽出してできた世界のように見える。醜さを言葉にしてくれて、そして美しさを思い出させてくれる、そんな優しい人はなかなかいない。優しさなんて捨てた方が生きやすいのに。私ももう少し踏ん張ってみよう。

しろみけさん

 欲を想定してできた場所から人がいなくなって、ガランとしている。ビーチの土産物屋でも、場末のキャバレーでも、ショッピングモールでも、どこでもこの音楽が響いている。『幻とのつきあい方』よりも空間を感じさせるエフェクトが増え、スティール・ギターも導入され、より広い空間で鳴り響いているような感触。「結果的に坂本慎太郎は体を肯定している」と前作を聞いて感じたが、その体さえどこかへ去って、有り余る空間だけが残っている。全体主義的な現世への批判も、どこか他人事みたい。まぁどうでもいいよね、別に。

談合坂

 3回目の遭遇になるけど、ついに溶け合うことができなかったな……というのが正直な感想です。ただ、それが相性がよくないということなのかを今判断することはできないとも思っていて、これが鳴り響くような空間ともっと慣れ親しんでいく必要はあるだろうなと。
 まだ年齢がひと桁だった頃にラジオをつけっぱなしで寝落ちて、今では深夜とも思わなくなってしまったような夜の時間帯に聞いた’深夜のラジオ’みたいな距離感と、その時間の心のざわつきと同じものをひたすらに感じていました。そこの不安さに留まっていくのもそれはそれで正解…?

音楽は怖い。スッと脳に入り込んでしまうような説得力を持った曲であれば、そこに載せた言葉はリスナーに十全に染み入ってしまう。前作の延長線上に少し肉体性やバンド感が増した演奏の中で暗示や呪いや予言のような文言がぐるぐると巡っている。その世界観を暗に納得してしまえるようなあまりにバレリアックなソングライティングには恐ろしささえ覚える。

みせざき

 独特の雰囲気で包み込み、よりそのアヴァンギャルドさが際立ったイメージ。そのアヴァンギャルドさもより空間的な広がりと共にもたらされるものに感じました。弦楽器、管楽器、ドラムなど一つ一つのサウンドを巧妙に配置してこれほどの世界観を作り上げられるのはシンプルに素晴らしいと思いました。

和田醉象

 バンドの頃から人のボーカル任せたりしていて、坂本慎太郎の主体ってどこにあるのだろうか。
 なんて疑問もよそに、淡々と続く。いやほんとに、奥まったところにめちゃくちゃ言いたいことがあるのに、代わりに歌う人まで立てて、わかりにくい言い方をしているくせに恙無く曲が続いていく。
 前作は別に本人の言いたいことばかりではなかった感じもするけど、今作は「淡々と」の奥に強かな意思を感じる。

渡田

 前回の「幻とのつきあい方」より音が増えて曲は少しポップにもなった気がする。歌詞の内容は相変わらず不気味だけれど。少なくとも一瞬聴くだけで不安になる「スカスカ」な音楽ではないと思う。
 個人的に今までのアルバムで一番評価が難しい。音のこととか、雰囲気のこととかを一言にできない。穏やかと言うには不気味さがあるし、実験的と言うには既存の坂本慎太郎の音楽との共通点が多いと感じるし…他の坂本慎太郎のアルバムやゆらゆら帝国の音楽との相対評価でしか特徴を捉えられない。

次回予告

次回は、森は生きている『グッド・ナイト』を扱います。

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#アルバムレビュー
#坂本慎太郎


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