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私はなぜヒゲをそらないのか~JR福知山線脱線事故と「暴言記者問題」

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2005年4月25日、突如起きたJR福知山線脱線事故の発生で、この年のゴールデンウィークは消えた。

青空の下で、連休なのに喪服姿の人が増えた西宮北部や三田のニュータウンを駆け回り、取材をしたり、電話をしたり、地べたに座り込んで応援で来た記者と打ち合わせをしたり。

そんなわけで、事故現場に顔を出したのは前回書いた通り、大型連休期間で一度だけ。遺体安置所になった尼崎市記念公園総合体育館と、被害者の住む街が、私にとっての現場だった。会社の対応が大きな焦点になっていたJR西日本本社の記者会見には、取材班が違うこともあって一度も出ていなかったのだが、連休が明けた頃から周囲の反応がざわざわし始める。

もう一つの修羅場と化していたJR西日本の会見

JR西日本の会見は、脱線事故取材でもう一つの修羅場になっていた。ここも、応援記者がローテーションを組んで何人も張り付いていた場所だった。

事故発生直後から、JR大阪駅の北口にあるJR西日本本社では、何度も記者会見が開かれていた。当時のJR西日本のメディア対応はお世辞にも上手とは言えず、世間の非難の的になっていた。

当時の記事を拾っていくと、事故発生日の4月25日午後3時から3回目の記者会見で、事故現場に車輪が石を踏みつぶした「粉砕痕」があったとして、置き石の可能性を匂わせた。しかし現場に入った国土交通省航空・鉄道事故調査委員会から人為的な事故の可能性を否定され「責任逃れではないか」との批判が高まり、29日に安全推進部長が記者会見で謝罪した。

その後、脱線した車両に現役の運転士2人が乗車していながら、救助活動をせずに現場を離れていたことや、事故当日に天王寺車掌区がボウリング大会を催していたことなどが次々と発覚。社長ら幹部が記者会見で頭を下げる事態が続いていた。

その5月4日から5日未明の会見で、男性記者が「あんたら、もうええわ。社長を呼んで」「人が死んでんねんで」と強い口調で会見場のJR西日本幹部を詰問する様子がテレビに映り、これが逆に「暴言」「記者の態度が悪い」と、当時ほぼ唯一の巨大ネット空間「2ちゃんねる」で話題になった。

2ちゃんねる上では、この暴言を吐いた記者は一体誰なんだという話になり、こんなに偉そうで態度の悪い記者は、きっと私の所属する新聞社に違いない、と勝手に断定された。やがて、なぜかまったく無関係の私が真犯人ということにされ、「天王寺支社」とかいう存在しない社名や、ひどいのになるとありもしない韓国人名までつけられ、私を糾弾する動きが広がっていく。

前段となった事故直前のコラム

なぜそれがよりによって私だったのか。一つの伏線があった。

2005年の3月に私は韓国に出張していた。島根県がその年から「竹島の日」を制定して祝賀行事を開くということになり、領有権を争う韓国の反応を取材するためだった。ソウルから、南東部の大邱という地方都市に行って、取材してまたソウルへ戻った。

ひげそりを忘れたか、時間がなかったか、いずれにせよ些細な理由で、無精ヒゲを伸ばしたままソウル支局の机を借りて仕事をしていたら、助手の韓国人女性に「あら、ヒゲを伸ばすと格好いいわね」とおせじを言われた(ちなみに当時のソウル支局長もヒゲの男性だったので、そのお世辞は私ではなく支局長に向かって言われた可能性が高い)。その言葉を真に受け、まんざらでもないので帰国後もそのままにしていた。

海外出張の後「大阪版にコラムを書いて」というリクエストが来た。私のひげ面は似顔絵になり、島根県の姿勢を疑問視する文章とともに4月上旬に掲載され、ネットにも載った。

それが検索で引っかかり、「あのけしからん態度はあの新聞社に違いない」→「あの新聞社でひげ面はきっとこいつだ」→「韓国にいいことを書いているこいつは韓国人に違いない」(実際はそれほど韓国に味方したコラムでもなかったのだが)という勝手な思い込みが重なって、私がターゲットになったというわけだ。

身に覚えのないことで、日々、実名で罵倒される。気味の悪い日々が数日続いた。

そんな状況をネットで歯がゆい思いをしながら見つつも、私は何もやましいことはしていないし、遺族取材は相変わらず忙しいし、実生活に支障はなかったから静観するしかなかったのだが、後日聞いたところによると、会社には読者広報宛てに電話がかかってきたり、私をクビにしろといった手紙が編集局長宛てに送られてきたりしたらしい。テレビ画面を見れば私でないことは一発で分かるので「うちの記者ではありません」と担当者が何度説明をしても「そんなはずはない」と聞く耳を持たなかったというから、いつの時代も、思い込みの強い人は世の中に多大な迷惑をかけるものだ。

そんなある日、会社のトイレで部長と鉢合わせた。普段から身だしなみや服装など細かいことにうるさかった部長は、私の顔を見るなり「おい、ヒゲを剃れ」と一喝した。何となくそういう態度に反発を感じていたので「イヤです。ここで剃ったら『私が真犯人です』と世間に宣言しているようなもんでしょう」と言い返すと、部長は「まあ、それもそうだな」とおとなしく引き下がった。ただ、週刊新潮がネットの話をまとめる適当な記事を書いたりしたこともあって、同業者の間で無用な臆測を呼ぶのは避けたかったことも事実だ。

他紙に謝罪記事が掲載される

私が静観していたのは、実生活に実害がなかったこともあるが、「真犯人」というか暴言の主を比較的簡単に特定できたこともある。同業他社の同年代の記者で、同僚の多くが顔見知りだった。しかしその記者はほおかむりを決め込んでいたようで、ある同僚が「ネットにお前の名前を書き込むぞ」と言ったところ「それだけは勘弁して」と頼み込んで来たという。まったく。

そうなると発覚するのは時間の問題で、やがてネット上に実名と所属社名が書き込まれ、非難の対象になった。その新聞は大阪社会部長名で「会見での暴言を恥じる」という謝罪記事を掲載した。

脱線事故をめぐるJR西日本幹部の記者会見で、読売新聞大阪本社の社会部記者に不穏当・不適切な発言があり、読者の読売新聞及びジャーナリズムに対する信頼を傷つけたことはまことに残念です。読者や関係者に不快感を与えたことに対し、深くお詫(わ)びします。大阪本社は事実を確認した段階で、ただちに当該記者を厳重注意のうえ、既に会見取材から外すなどの措置を取っています。
 本社は日頃(ひごろ)から、日本新聞協会の新聞倫理綱領、読売新聞記者行動規範にのっとり、品格を重んじ、取材方法などが常に公正・妥当で、社会通念上是認される限度を超えないよう指導してきました。今回の事態を重く受け止め、記者倫理の一層の徹底を図ります。
 JR西日本の記者会見は記者クラブ員のほか、新聞、テレビ各社から常時100人から50人の記者が出席して事故発生の4月25日から連日開かれています。
 質問する記者は少なく、主に当該記者や他社の記者数人が質問、JR側から各種情報や資料を引き出す形になっていました。
 当該記者は、5月4日から5日未明の幹部らの会見で、事故直後の対応や天王寺車掌区の社員がボウリング大会や懇親会を開いていた問題の説明を求め、「あんたら、もうええわ、社長を呼んで」などと声を荒らげたり、感情的発言をしたりしていました。
 JR側の説明が二転三転したため、会見は全体として詰問調になったようですが、当該記者の発言の一部は明らかに記者モラルを逸脱していました。
 この模様がテレビや週刊誌で報道されると、読者から叱責(しつせき)や苦情が寄せられました。使命感や熱心さのあまりとはいえ、常に心がけるべき冷静さを欠いたと言わざるを得ません。日頃の指導が生かされなかったことに恥じ入るばかりです。
 脱線事故報道では今も、社会部などの記者70人前後が取材を分担、遺族らの声に耳を傾け、事故原因やその背景など、惨事の真相に迫る努力を続けています。引き続き全力で取材に取り組みます。
(2005年5月13日付読売新聞=大阪本社版=朝刊 34ページ)

余談になるがこの記者は、地方に転勤させられるわけでも、記者職を外されるわけでもなく、その後も大阪社会部でずっと実名で記者を続け、JR福知山線事故の現場でも顔を見たことがある。厳重注意と言いつつも処分はされなかったようだ。

被害者の反応も様々で「もっと言え」といった肯定的な反応もあった。関西弁は得てして本人の意図よりきつく聞こえるものだが、やましいことなど一点もなかったのであれば、本人も潔く名乗り出るべきだっただろうと思うのだけど。

そんなわけで、何となく引っ込みが付かなくなり、ヒゲを剃ることに抵抗感を感じるようになってしまった私は、今に至るまでひげ面で人様の前に出続けている。

つづく

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