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それでも、被害者取材は必要だと思うこと~14年前の福知山線脱線事故をいま振り返って

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何ともタイミングの悪いことに

2005年のJR福知山線脱線事故で、遺族・負傷者取材に携わってきた話を紹介してきた。理不尽な事故で肉親を失ったり、事故で瀕死の重傷や心理的な後遺症を負ってしまった被害者の取材は、正直に言って、やる方も苦しいし、読む方も辛い。私自身、いろんな人を傷つけてきたし、怒られてきた。「センセーショナリズムに走るな」「お涙ちょうだいが売れるからやっているんだろう」と批判もされる。(ビジネスとしては正直、まったく割に合わないと思う)

それでもやらなければならない、と、自分を含め記者たちは自らの心にむち打っていた。それはどうしてだろうか。という話をそろそろ書こうと思っていたら、痛ましい交通事故が相次いでしまい、メディアスクラムと批判される事態が再燃してしまった。

既に過去の記事が話題になり始めているのを見ると、このタイミングでこの記事の投下は勇気が要る。このブログは、主に知人や業界関係者や業界志望者にひっそり伝わればいいやと思って書いている話だけど、それこそメディアスクラム状態になるかもしれない。

私にとっての「メディアスクラム」とは、その場限りでメシウマなネタが取れればそれでいい人たちが大挙して押しかけ、被害者のプライベートを土足で荒らしまくって嵐のように去っていくイメージです。

中の人、気持ちは分かるけど…

先日も、こんな匿名のツイートが話題を集めたようだ。

気持ちは分かる。自分もこんな大事故の取材に巻き込まれるまでは、「こんなことやって何の意味があるんだ」と思っていた。発生直後の嵐のようなメディアスクラムは、自分にとってもトラウマだし、明らかに解決しなければならない問題がたくさんある。ただ、現場を踏むことを記者自身が否定してはいけないし、上昇志向の強い取材者ほど、そういう作業を軽視する傾向があるように見える。

ワイドショーと新聞記者の区別がついていない記事とか、関西メディアの習性に根源を求める記事とか、メディアによるメディア批判も迷走状態だ。まあ、そういう記事を出した人たちは、数字が取れればそれでうれしいのだろうけど。

私自身、この類の記者会見には何度も出たが、ハッキリした声でどうでもいい内容の同じ質問が何度も何度も繰り返されるのは、民放各局のワイドショーが自分の番組のリポーターの声しか使わないという業界の掟を忠実に守っているから。ミヤネ屋のリポーターの質問の映像をワイドスクランブルが絶対に使えないという、部外者には理解不能な完全に内輪の論理のせいで、リポーターたちが貴重な時間を空費していく。地元のメディアは被害者と長期にわたって関係を築かなければならない以上、後は野となれ山となれ的な行動はできないから、関西で起きた事件では、良心的な関西メディアと火事場荒らし的な在京メディアをたくさん見てきた。これも私自身の実感とはかけ離れている。センセーショナルな映像ほしさに泣いている映像だけ撮るために大人数で押しかけて我が物顔でプライバシーに土足で上がり込み、現場を荒らすだけ荒らして平然と去っていく民放のワイドショーと同一視されてしまうのは心外だが、この話、事故1年のときに再度触れると思う。

ただ、ワイドショー以外の被害者取材も実際に多くの問題をはらんでいて、メディアが自主的に解決すべき問題にまったく手をつけられていないという事実は疑いようがない。それについては最後まで読んで欲しい。

それでも、遺族の声を聞いて世の中に伝えるのは必要だと自覚していたし、実際に必要とされていたという実感はある。事故から10年を迎えるときには、被害者が主催する複数の催しに私も招かれて一緒に登壇したり、発言したりした。被害者組織としてJR西日本の対応に向き合った「4・25ネットワーク」や、遺族がJR西日本とともに原因究明を目指した「安全フォローアップ会議」の活動は、メディアの積極的な後押しが大きな役割を果たした。

被害者の心情は時間が経つにつれて変化していく。悲しみの淵で途方に暮れる時期を抜けると(または抜けないうちに)、自身や身内の犠牲を再び繰り返させまいと、連帯して加害企業や、そして原因となった社会のシステムと正面から向き合う人々が出始める。発生からおよそ5年で、同じ事故同士の人のつながりを超えて、同様の別の事故、事件の被害者と連携を始める。これについてはいずれまた。

なぜ被害者の取材は必要か。簡単に言うと、被害者の多様な苦悩を伝えないと世の中が変わらない現実があるからだと、私なりに思っている。

日本は「人柱行政」

残念ながら、まだまだ日本は『人柱行政』なんですよ。人が死なないと、法律も規則も変わらない。それが現実です」。福知山線脱線事故の後、国土交通省の幹部が、自嘲気味に私に言った言葉だ。その実態は、今も大きく変わっていない。

事故はなぜ起きたのか。技術的な側面から言えば、自動列車停止装置(ATS)が備わっていなかったカーブへ、車両が限界速度を超えて突っ込んできたからだ。

脱線事故の起きたカーブには、自動列車停止装置(ATS)は設置されていなかった。国土交通省が、全国の鉄道会社を対象にカーブの安全対策を調べるよう命じ、ATSの設置を義務づけたのは、事故を受けてのことだ。ツアーバスの事故で将来ある大学生が何人も犠牲にならないと、格安ツアーバスへの行政指導や規制強化はなされなかった。人命被害が発生して、放置されていた安全対策に光が当たる。これが未だに繰り返されている「人柱行政」日本の現在地だ。

しかし、技術的な理屈を並べるだけでは、事故の本質はなかなか伝わらない。

東日本大震災で大きな人命被害が生じたのは、堤防が低かったり、津波発生時の避難計画や避難指示などの対応が準備できていなかったりといった社会的な背景があったからだ。次の大地震までに、それらの問題をせめて改善しておかなければいけない。「堤防が低かった」「避難指示が出ていなかった」「避難場所が決まっていたのに守っていなかった」という理屈だけを指摘していても、役所や議員、首長といった人には切迫感を伴って伝わらない。「その問題があったせいで、こんなにひどい目にあってしまった人がいる」ということを併せて伝えていかないと、世の中は動かないのが現実だ。

「107人が死亡」という事実を突きつけるだけで十分でばないかという意見もある。確かに数字は大事だが、本当にそれで十分だろうか。社会の矛盾や企業、官吏の怠慢、法制度の不備がもたらした理不尽な死を、単なる数字の羅列で済ませていいのだろうか。

107人が死んだ事故で失われた一人一人の人生は107通りあったわけで、「107」という無機質な数字に集約されて終わりではない。数字だけが意味をなすのであれば、107人が死んだ事故に比べ、死者1人の交通事故は100分の1の価値しか持たず、520人が死んだ日航機墜落事故(1985年)はその5倍という評価しかされなくなる。

そういう報道で喜ぶのは誰だろうか。紙1枚をリライトするだけで済む報道機関は、取材コストが減って大喜びだ。その裏で、怠慢を追及されなくて済む大企業や官僚機構がほくそ笑む。数字や背景要因を適当に隠蔽して、あとは世間が忘れ去っていくのを待てばいい。今の時代、死者の数はさすがに厳しいだろうが、負傷者の数は何とでもごまかしがきくだろう。海外には実際にそうやって死傷者数を少なくみせかけ、役人の責任回避を図っている国もあると聞く。いや、ずさんな公文書管理とおためごかしの情報公開制度、統計不正がまかり通る国で、外国の事例を笑えるだろうか。

高校生が、大学生が、4人の父が、大事な娘が命を奪われたという個々のリアルを積み重ねて立ち向かわないと、大企業や官公庁は動かない。そのために、理不尽な事故で人生を狂わされた人々の人生を記録して報じないといけない。

いろんなジレンマ

一方で、私は当時、そこまで思えなかった。取材を受けるべきか迷っている遺族や負傷者に「二度とこんなことを起こさないためにもお願いします」というお願いは有効だったけど、自分自身は、「二度とこんな事故を起こさないため」の仕事になっているんだろうかという疑問が頭から離れなかった。きちんとつながってくるのは、自分が直接の取材から離れてからで、当時はそこまでの余裕がなかったからかもしれない。

だから、いろんな遺族や負傷者に取材し、いろんな話を書いてきた。いい記事が出れば世間の反響も大きかった。社内で賞ももらったし、ほめられるのは光栄だった。しかし、掲載された新聞を持って遺族のもとを訪ねるのは、辛い作業だった。

当たり前だが、取材相手の遺族は常に悲しみの淵にいて、自分がいい記事を書いても、その状況が変わるわけではない。記事を出すまでは自分自身、無我夢中だが、記事が印刷されて世に出回って、ふと我に帰ると、「良い記事だ」と喜ぶ上司と、依然として悲しみの淵にいる遺族の間に、私が立っている。玄関先で遺族と向き合いながら、自分のいる玄関先が、遺族宅と外の世界の遠く離れたところから断絶し、その中間で取り残されている。妙な孤絶感を味わうことも一度や二度ではなかった。

メディアは人を加害する

事故から1カ月後、新聞に私のコメントが紹介された。

兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)の脱線事故は、107人が亡くなる大惨事となった。二度とこんな事故を繰り返してはならないという思いのもと、メディアは原因究明や責任追及のための取材を続けると同時に、遺族・被害者の悲しみや痛み、無念を伝えることに力を注いだ。だが遺族・被害者への配慮と報道機関の使命のはざまで、記者は悩まざるを得なかった。
(略)社会部の●●●●●(32)は、拒否されるよりも、遺族に話を聞くつらさを感じた。故人の思い出を聞くうち互いに言葉を失い、黙ってしまったことが何度もある。「理不尽な事故の実態を多くの人に知らせなければ」と改めて思った。
 事故で妻を亡くした男性は「今はつらい期間なので配慮してほしい。でも今後、遺族がいろんなことを社会に訴える際、報道は大事なパイプになる」と言う。

妻を亡くした男性は、前回紹介した人だろう。インターホンを押して誰も出なかったり、とりつく島もなく追い返される「塩対応」をされたりすると、当時はそれで終わりなので逆に何となく安堵していた。そこから中に招き入れられると、仏壇や祭壇の前で手を合わせた後、愛する肉親を失った遺族の悲しみを一身に浴びながら、遺族自身が悲しみを反芻して打ちひしがれていくのを、じっと横で聞いていなければならない。

東日本大震災が起きた直後、2011年の4月に、映画監督の森達也氏にインタビューした。こんなことを言っていた。このときもまさに、被災地のメディアスクラムが問題視されていた。

3月下旬に被災地を回りました。潮と腐臭の混じった臭いは、テレビや新聞では伝わらない。風が吹くと、がれきが音を立てる。360度、かつての街が消えてしまった光景に、ただ圧倒されました。
 宮城県石巻市で、遺体を搬送する様子を撮っているとき、一人の住民から「人の不幸がそんなに面白いのか。今すぐやめろ!」と怒鳴られました。当然の怒りです。でも「申し訳ない、ごめんなさい」と謝りながら撮り続けました。メディアは多くの人を加害します。その後ろめたさを絶対に正当化できない仕事です

それでも伝えなければいけないことがある。今は分かってもらえなくても、いつか分かってもらえるかもしれない。永遠に分かってもらえないかもしれないけど、加害性を自覚して、腹を決めるしかないのだ。

メディアスクラムに対処する最後の機会

その前提として、当然のことだが、被害者の感情やプライバシーには十分配慮しなければならない。「このままじゃいけないから何とかしよう」と何度も社内で声を上げた(つもりだった)が、いつも冒頭のようなお為ごかしの記事をまとめてエクスキューズして終わりにされてしまった。声を上げた現場の記者も、やがて日常業務の忙しさに、立ち止まって考える余裕を失い、現場の沈静化とともに問題意識も置き去りにしていってしまう。

上記の記事は、社会部長の長行コメントも載った。記事が出る前には取材班に書面で意見聴取があり、現場の報道への課題や提言など、自分なりに長く書いたが、メディアスクラムや「報道被害」と呼ばれることへのエクスキューズの性格が強い記事にでは採用されなかった。
「遺族の承諾が得られない顔写真は掲載しないことにすればいいのではないか」と、この意見聴取でもその他の場でも主張したが、以前紹介したように、顔写真の掲載枚数を同業者間で競っている文化では、聞き入れられることはなかった。

誰もがある日突然、当事者になるのであって、自分の運命ですら冷静に受け止められないのに、メディアの取材まで受け止められる人は多くない。メディアスクラムの問題は、業界全体が真剣に考えないといけない話なのだが、その場しのぎの対応を繰り返してしまった結果、メディアの衰退とともにそうした責任意識も失われてしまったように思えてならない。

たとえば、先の記事には、こういう記述もあった。

警察やJRには、遺族から苦情も寄せられた。「メディアスクラムになりそうな状態になっている」との連絡を受け、27日午後、神戸に拠点を置く新聞、通信、放送でつくる「兵庫県編集部会」(13社)は「遺族感情に思いをはせて、節度を持った取材を心がける」と申し合わせた。在阪報道機関8社の報道責任者も、同様の申し合わせをした。

メディアの自主的な対処とは、この程度に留まっていた。ところが、大きな事故になると、記者クラブ加盟社以外も、ものすごい数のメディアがやってくる。ワイドショーなんて番組単位で、大勢のクルーを引き連れてやってくる。とても実効性なんてない。

大事故が発生すると、取材する側もろくに準備ができていない状況で、一般のメディアの数も膨れあがり、最低限の常識や礼儀を知らないのも紛れ込んでいて、被害を加速させてしまう。山場が収束しそうな頃に「申し合わせ」なんかしても遅い。もっと根本的な対策を話し合わないとダメなのだ。

そしていつの間にか、過熱する遺族取材を警察や弁護士がブロックするのが当然の光景になってしまった。弁護士はともかく警察がメディアの取材を制限する構図は、いかに被害者の意向だとしても、公権力による恣意的な情報開示の選別につながりかねず、実は深刻な問題をはらんでいると思う。

被害者取材の現場で、善の警察vs悪のマスコミという図式が定着してしまったことは、不毛な特ダネ競争と足の引っ張り合いに終始していたメディア全体の怠慢の結果起きた、深刻な事態ではないか。それを喜んでいるのは誰か、もう一度考えて、真剣に対処する必要があるだろう。そろそろそれができる最後の機会が来てしまうかもしれない。逃したら、目も当てられない。

ただ、私自身は悲観的だ。「手遅れ」と以前書いたのは、メディアの経営環境がどんどん悪化してしまったことだ。収入確保や「新規事業」といった目先の食い扶持を稼ぐことに追われ、メディアスクラム対策のようなリスク管理、信用確保といった当座のお金にならないことにコストと労力を投じる余裕がなくなってきた。もう少し早く、きちんとやっておけばよかった。

(つづく)

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