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令和の始めに~なぜ被害者は取材に応じるのか(初期)

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というわけで、平成が終わったが、14年前の回想録はまだゴールデンウィークも終わっていない。来年の4月25日、事故から15年のメモリアルイヤーまでに完結することを目指して、ぼちぼち書き進めよう。

107人が死亡し、562人が負傷した事故では、遺族、負傷者やその家族を中心にした「被害者」もかなりの数に上った。葬儀や法事など忙しいときに訪ねて来る記者に応対したところで、法的・金銭的なメリットなどあるわけがない。それでも時間を割いて取材に応じてもらえる被害者には、いくつかのケースに大別できた。

まず、事故直後に集中的に取材に応じる方々。

語弊を恐れずに言えば、事故直後は、被害者の精神状態も高揚している。葬儀業者やJRの担当者、あまり付き合いのない親族など、普段出入りしない人が次々出入りする中で、詰めかける記者に応対するのも、ある種当然のこととして受け入れていた方々が少なからずいた。

警察の事情聴取と同様、「記者さん」に応対するのも一種の社会的義務のようにとらえていた人も一部いたが、おおむね共通していたのは「無念の死を遂げた家族がこの世に生きていた証しを、世の中に残したい」と考えていたことだったと思う。

ただ、時間が経つにつれて、継続的に取材に応じる方はどんどん少なくなっていく。取材に応じて、どれだけ素晴らしい記事になったところで、亡くなった親族が帰ってくるわけではない。取材が続く中で、そうした現実に気づき、記者とのやりとりに疲れていく人も出始める。先に登場した女子大生2人組のもう片方のお母さんは、3カ月ほど経った頃、私に電話でこう言った。

ごめんなさい。別にあなたに恨みはないんだけど、お話ししたところで何も変わらないですし

記者の無神経な対応に怒り、取材を受けなくなる人も出始める。応じる余裕のない心境やタイミングのときに押しかけて、相手の心境に配慮せずにこちらの都合ばかりを無神経にねじ込むような取材は論外だが、よかれと思ってやったこと、丁寧に真面目に取り組もうと思って発した一言や行動が、極限状態で必死に応対している被害者を爆発させてしまうことがある。

私は先述した「記事、よかったです」と感激してもらった女子大生の家族を、その後の企画でも取り上げることになり、いろいろ話を聞かせてもらっていたが、話しながらどんどん落ち込んでいく両親の姿が、いたたまれなくなった。ある日ふと「ごめんなさい、思い出させてしまいまして」と口走ってしまった。

その言葉がご両親の神経を逆撫でしてしまった。2人にしてみれば生涯忘れることのない娘を「思い出させた」とは何事か、あなたは遺族の気持ちを理解していない、と、後に厳しく怒られることになった。

当初、取材に応じてくれていた被害者が疲れて沈黙していく中で、逆に発生当初は余裕がなかったが、時間が経って気持ちが落ち着いてきて、話をしてくれる人も出てくる。そうした人々を掘り起こしていくのも、応援が帰った後の遺族取材班の仕事になった。

つづく

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