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秋、大学4年

本気で自殺しようと思っていた時期がある。


大学4年の夏が過ぎても、ほんの一社からさえ採用内定通知を受けられず、途方に暮れた末の結論めいたものである。当時の私にとっては、会社からの「不採用通知」は社会からの「不要通知」であった。この国で私という存在を求めている会社が一つもないということは、私の価値を否定されているに等しかった。残り半年足らずで学生の身分からも離れる。いよいよ社会から隔絶され、ただ家族の稼ぎを胃の中に収めるだけの生活を送ることになるのではと思った時、生を重ねるほどに恥であるという確信に至ってしまった。


月が替わるごとに新聞に掲載される「大学新卒の内定率」は、更に私を追い詰めた。記事で紹介される同い年の内定者が在籍する大学名を見て、更に落ち込む。お世辞にもレベルが高いとは言えない大学ばかりだ。

――それならば高校三年間を遊んで暮らして、それでもなお入れる大学を受ければよかった。何のために上を目指してきたのだろうか。


就職活動期間は、現在の自分の存在だけでなく、22年間を生きてきた道のり全てを否定された気がした。「人柄を見て採用します」というのを頻繁に見かけたが、裏返せば「あなたの人柄が悪ければ不採用です」ということになる。

他の応募者が真っ黒のスーツ一色であるところ、紺のスーツで面接を受けに行ったところ、「一人だけ明らかに違う色合いのスーツを着ることを、どう思いますか」と聞かれたことがある。私が答えんとするのを遮るようにして、「協調性がないということではありませんか」とたたみかけられた。

そもそも人柄とは何か。努力しても変えられないような領域に目盛の見えないものさしを置いて、見ず知らずの人に自分の人生が決められてしまう。就職活動とはこれほど理不尽なのか、と何度も思った。


40社ほど落とされた頃、私は全てを諦めるような心地で、近所の公園にふらふらと赴いた。端に置かれたベンチに座り、残暑の夕陽を眺める。

――自殺したいな。

そういう心理状態のときは、意識せずとも頭に浮かんでくるので悲しいことだ。ふと友人に電話を掛けてみる。

「自殺したい」
「なんで?」
「自分の存在意義がない気がする」
「そんなの自分次第だろ。あると思えばある」

私は自殺しなかった。だから、当時の私と同じ考えで自殺しようとする人がいるのなら、思い直してほしい。他人は他人を定義できない。

もう一度、「わたし」を生きてみよう。


(文字数:1000字)

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