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学校を卒業すれば使う機会がないから数学は勉強しない

大学時代、学習塾のアルバイト講師として勤務した。担当科目は中学5教科、高校英語・文系数学。非常に多くの生徒と触れ合うことになる。今回のコラムのタイトルは、その時にしばしば耳にした言葉である。友人との会話なら軽く受け流せるセリフも、報酬を得て教壇に立つ講師という立場では捉え方が変わってくる。いかに説得して彼らのモチベーションを高めるか、当時は大いに悩んだものである。


「数学を使う機会、意外とあるよ」という回答で生徒が頷くはずがない。「じゃあ二次関数は? 積分は? ベクトルは?」と追及されたときに、一つひとつ的確に答えられるだろうか。「測量の時に三角関数を使うよ」などと言ったところで、「測量なんてしない仕事をすればいい」と返されるのが関の山だ。数式なしで生きることは可能なのである。

では、「成績のために必要だから」はどうか。塾に通うということは、定期考査で点数を取り、通知表で高評価を狙い、入試に合格することの少なくともいずれかは目指しているはずだから、異論を唱えるはずがない。しかし、納得もしないのである。「やれと言われるからやっている」では生徒の意識は何も変わらない。冒頭で「説得してモチベーションを高める」と書いたのはそのためである。


そこで私は、数学の内容そのものではなく論理性を説くことにした。法学部を出た私には円の公式が日常生活のどの場面で必要になるかなど分からない。しかし、整然とした論理は生きる上で役立つと確信している。

数学的な書き方と非数学的な書き方は、どちらも重要でありながらも本質的な違いがあると考えている。ここでは前者を「正面突破型」、後者を「外堀埋め型」と呼んで区別する。正面突破型は、誰もが正論と思う結論までストレートに積み上げて到達させる。一方で、様々な論を並立させ、その結果最も妥当な結論を導く構成が外堀埋め型である。これらは、どちらか一方だけを身につけるのでは生きていけない。ものの考え方には幅が必要なのだ。このうちの「正面突破型」の論理こそ数学で学ぶべき中核なのではないか。その最たるものが数学の「証明」である。

しかし証明法の学習だけでは足りない。証明には根拠が必要である。そのために、関数を学び、公式を覚えているのだ。それは社会に出たとしても同じことであろう。人に何かを伝えるのであれば、論拠を示さなくてはならない。


数学は、数を学ぶのではなく、数で学ぶということだ。

(文字数:1000字)

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