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〔小説〕社会人一年目の私へ

思えば、小学校から大学まで、十六年間にわたって学生生活を送ってきたことになる。その期間に身長は50cm伸び、体重は40kg増えたが、内面はどれほど成長できただろうか。小学一年生のときとは全く違うようにも感じられるし、大して変わらないまま大人になってしまったという心地もする。

会社に入って3週間。新人研修が一通り終わり、今週から営業部に配属になった。まだ革の硬い名刺入れをスーツの内ポケットに入れて、日々の挨拶回りに汗を流している。先輩も優しく、とても働きやすい会社だと思う。

そういえば、社会人になって自分自身の変化を感じているところが一つだけある。仕事終わりに飲むビールのおいしさに気づいたことだ。学生時代には大きな理由もなく居酒屋で注文していたが、あれはビールに失礼な飲み方だった。歯が浮くような営業トークを発した口に少し苦く、一日酷使した喉に甘く、ベルトで締め付けたお腹に爽やか。最近はその感覚を噛み締めて飲むのが習慣になっている。

今晩は同期の仕事が忙しそうだったので、初めて一人で居酒屋に入ってみた。カウンター席に座り、目の前に運ばれてきた焼き鳥を頬張りながら、騒がしい厨房を眺めるともなく眺める。みんながそれぞれの場所で働いて、それぞれの場所で輝いている。そんな単純なことが、素敵なことに思えてきた。

ふと手元の焼き鳥の方へ視線をずらすと、皿の下に紙が挟まっていることに気がついた。レシートかな、と引き出してみると、それは表に「社会人一年目の私へ」と書かれた手紙であった。

中学三年生の秋。四か月後に受験を控えています。総合の授業で、この手紙を書くことになりました。

そうだ、思い出した。確かにこんな手紙を書かされた授業があった。しかし、なぜそんなものがこんなところにあるのか、酔いつつある頭では考える気はなかった。

社会人一年目という節目は、遠い先のことのように思えます。道徳の授業で、中学生は"半分子ども、半分大人"と習いました。でも、社会人は正真正銘の大人ですね。
本当に僕が大人になれるのでしょうか。それだけが不安というか、心配です。
もうそろそろ授業も終わるので、手紙もこのくらいにしておきます。受験勉強頑張ります。

当時の私が考えていた「大人」というものに、私はなることができたのだろうか。傍らのビール瓶に描かれた動物のたてがみの中に隠れた文字を探しながら、ぼんやりとそんなことを考えてみる。そしてコップへ瓶を傾けると、今度は丸められた紙切れが出てきた。うわ、と思わず声を出してしまい、周囲を見渡したが、ざわざわしている店内では誰も気に留めていないようだった。

今度の紙にも「社会人一年目の私へ」の文字があったが、先ほどよりもこなれた字形である。高校でも同じものを書いたんだっけ、と首をかしげたが、答えは違っていた。

入社三年目の私です。
最近では単調な仕事に疲れ、上司との付き合いもうまくいかず、日々終わらない業務を片付けるだけの毎日を送っています。今になって思います。営業職は、この私には向いていなかったのだと。
学生時代に友人に明るく振舞っていたのは、きっと無意識のうちの演技だったのです。人を笑わせて、人からもてはやされて、人気があって。そんな自分になるために、本当の自分を隠しこんでいただけです。
今からでも遅くない。私は転職しようと考えています。

二年後の私がそんなことを書くことになるとは、信じられない。まして、希望に胸を膨らましている入社直後の私に宛てるような手紙の内容ではない。どこか心に引っかかるものを感じながらも、元々しわくちゃだったその手紙を再び無造作に丸めて、隅へ置いた。

コップの結露が流れて、テーブルが濡れている。拭き取ろうと紙ナプキンを引き出すと、それは次の手紙だった。

十年目になりました。
その後いろいろなことを考え直して、結局今もこの会社にいます。この間、主任を命じられ、最近は後輩三人を束ねて仕事をしています。
確かに、この会社はほかの会社と比べると、社内システムがうまく機能していない部分が見えたり、なれ合いの風土が残っていたりして、必ずしも満足できる環境ではないかもしれません。三年目に喧嘩をした上司は、今でも車内で威張り散らしていて、相変わらず私と馬が合いません。
でも、そういったことを全部ひっくるめて、今は割り切っています。
何もかもが自分の理想通りに進むなら、誰も苦労しません。しかし、誰もが何もかもを自分の理想通りに進めようとするなら、この世界は戦争ばかりになってしまうでしょう。
抽象的ですが、人間社会はそうやって回っているのだと、今の私は思うのです。

十年も社会に出ていると、人間は少し丸くなるのかもしれない。それがいいのか悪いのか、すぐに判断できることではないが、これはこれで「大人」なのだろうと思う。

気を取り直してテーブルの水たまりを紙ナプキンで吸い取り、特に意識することもなく箸袋をひっくり返すと、飽きもせず「社会人一年目の私へ」であった。

社会人二年目です。今、十年目までを読んで、ここにたどり着きましたね。去年の記憶を振り返る限り、そのはずです。一年先輩として、この狭いスペースで教えてあげます。目の前のメニューの中に、三十年目の私からの手紙があります。ちなみにB5サイズで片面3枚です。

三十年といえば、五十代半ばでの手紙ということになる。おそらくそこには、私の会社生活を物語る様々なものが綴られているだろう。三枚にもわたる手紙は、入社したての私に伝えたいメッセージの結晶に違いない。

読んでみたい気がした。いや、その気持ちが私の心の大半を覆っていたといっていい。伸ばした指先をメニューの表紙に重ねた。確かに分厚い。どこか温かいような感覚も伝わってくる。

会計を済ませた。春の湿度を含んだ夜風が頬に当たる。

三十年目の手紙は開かなかった。父親ほどに年齢を重ねた自分の姿を想像したくなかったというのも理由の一つだ。ただ、それ以上に、私の人生の行く先をこれ以上知りたくはなかった。

私は社会人一年目だ。先を憂えるには早すぎる。先を知って安らぐにも、やはり早すぎる。人生は旅であり、冒険だと思っている。それならば、何も知らないほうがおもしろいはずだ。先生に連れられて行動する社会科見学よりも、修学旅行の自主研修の方が、苦労が多いぶん楽しい。それと同じことだ。

何も知らないことは、素晴らしい。白紙の地図を広げて歩き出そう。道は自分で歩いて書き加えればいい。

さあ、君も。期待や不安なんて、きっといらない。余計なものを全部置き去りにして、私と一緒に身軽に進もう。

……おっと、仕事終わりのビールは余計なものじゃないからね。それだけは忘れちゃいけない。たまには息抜きも大切さ。なんてね。

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