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こんな無機質な文でしか愛を語れない僕を鼻で笑ってくれ

殊に恋愛ということになると、矛盾はしばしば調和である。誰かから愛されないことで強まる愛もあるし、逆に、愛されることで弱まる愛もある。人の感情であるから当然と言えばその通りだが、それを論として解するのか情として感ずるのかには大きな隔たりがある。恋愛は道理ではなく衝動である。


——それは昨年の今頃だったろうか。私は一人の女性に寂しい恋をした。仮に彼女をぴーちゃんと呼ぶことにしよう。彼女のことをその様に呼んだことはないし、もし呼べば怒られるかも知れない。しかし、「Aさん」などと記号で表せるほど彼女は無味ではなく、「はなこ」などという仮名を使うのは様々な点で失礼だ。したがって、以下で彼女をぴーちゃんと呼ぶことを許されたい。

初めてぴーちゃんに会ったのは冬の薄暮の下だった。清楚でありながら強い意志を感じさせる眼差しと、包み込むように柔らかな物腰に、私は雪崩れるように恋に落ちた。ぴーちゃんに恋人がいるという事実など、その時の私にはもはや防雪柵の役割さえ成さなかった。その重力には抗しがたい。苦しい恋のみが私の心を埋め尽くし、理性は必死でそれを抑え込み、それでも増殖し続け、しまいには私そのものを破裂させんばかりであった。このままでは生活にも支障を来すかもしれないと怖くなった。

そして、私は最大の覚悟を携えてぴーちゃんを水族館へと誘ったのだった。それは自分の気持ちを伝えるための覚悟ではなく、会うことはこれが最後になるであろうことに対する覚悟である。彼女と二人きりで会うのはこれが2度目のことだった。今となってはその日のことをよく思い出せない。朝早くに待ち合わせ、開館前の列に二人で並んだのは確かである。館内を見て回り、イルカショーを眺め、電車で移動して昼食を摂った。そういえばお台場にも足を伸ばした。

やがて気づけば夜になっていた。ぴーちゃんは、恋人との関係を悩んでいるようだった。その話しぶりからは彼女が恋人に抱く愛情を強く感じた。ただの知人に過ぎない私に気を配るような余地などあるはずがないのだ。そんなことは初めから知っている。それならしっかりと彼女の恋を応援したいし、そうすべきだ。しかし、そう思うほどに、私の恋愛感情が強く胸を圧迫するのだった。それはもしかすると、ぴーちゃんも同じだったのかもしれない。愛する人からの愛を感じられないことは、行き場のない愛を空虚に膨張させるのだ。

愛は常に無限である。

(文字数:1000字)

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