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はるさめスープ #4 『よく分からない』


「ぬへ。ぬへへへへ」

入学早々、変な先生の登場だ。中根厚治はため息をついた。通常授業が始まって最初の授業は現代文だった。彼のクラスの担任である。

「君たちは今、コトノハのラビリンスにさまよいこんだわけよね」


三角形レンズの眼鏡に、寝癖のついたままのスポーツ刈り。ネクタイの色は紫で、ワイシャツの色は緑色。とても人に勉強を教える立場の人とは思えない風貌である。それまで何とも言えない緊張感に包まれていた教室に、一瞬にして異様な風が流れ始めた。よそよそしかったクラスメイトに一体感が生まれたといっても大きな間違いはなかろう。


彼が通う全寮制のハルサメ中等教育学校は、寮単位での行動が非常に多いものの、授業は寮に関係なく編成されたクラスで受講する。各学年3クラスずつで、成績順に1組から3組となっており、中根は最下層の3組である。入学してからずっと、彼の隣に座っている気の強そうな女の子が何となく怖かったが、今は教壇に立つ先生の方がよほど怖いと思った。

「じゃ、授業を始めましょうか。今日は4月19日だから……、出席番号19番の人、挨拶をお願いしますね」

まだ授業始まってなかったんかいっ。


「起立」

がたがたがた。椅子が動く音である。

「礼」

ぼわっ。制服が風を切る音である。

「着席」

がたがたがた。再び椅子が動く音である。


「さて、皆さんが今机の上に置いている教科書ですが、それは最初の考査までに1年分終わります。つまり、1学期中間考査のテスト範囲は、その教科書1冊です」
「えー、そういうの最初に言わないでほしいかも。やる気なくなるから」

隣の女の子が突然声を出すので、中根はびくっと背筋を伸ばした。横顔をこっそり見ると、思っていたよりもまつ毛が長くてかわいらしかったので、なおさら怖くなった。無理無理、ボクには無理、こういう子。

「ん? 何か言いましたか。八雲さん」
「何で私の名前を知っているんですか」
「入試の国語の点数がダントツだったからですよ」
「どうせ下から1番、とか言うんですよね。この底辺クラスに組み分けられた時点で分かってます」
「いえ、上からです」

おお、という声が教室に広がる。

「でも、算数と社会と理科があまりにひどかったので、総合得点では下から2番目です」
「何それ! すごく恥ずかしいからやめてください!」
「ぬへ。ぬへへへへ」

15分ほど、ぬへぬへ笑った後で、突然真剣な表情に変わった。

「何を隠そう、今年の国語の入試問題を出題したのは、このゼンプクジカオルである」

突然黒板に「善福寺薫」と大書した。さすが国語の先生、と言えるような達筆ならきっと圧巻であろうこのいかめしい名前も、彼の手にかかるとやけに文字が横長で、不恰好だ。

「あの投げっぱなしの出題、字数ではなく解答欄の枠内ならOKという制限、まさに東大の入試問題である。5年後に君たちが目指す大学である。これから頑張るのである」

その時、授業終了のチャイムが鳴った。善福寺先生は、また「ぬへえ」と笑った。

中根は呟いた。「なんなんだ、この先生」
隣で八雲は呟いた。「それを言うなら、『なんなんだ、この話』でしょ。こんなシュールな話、なかなか見ないよ。主題がよく分からないし」
中根は「突然声を出さないでよ」と思いながら、びくっ、とした。

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