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敬老の日に伝えたいこと

「おらは、もダメだ~」(訳:私はもう死ぬ)

私が生まれたときから、おばあちゃんの口癖はいつもこれだった。

病気の何一つない彼女が明るく大きな声で言うから、周囲の人たちは「そんなに声がばかでかくて元気なんだから、死なないよ」と冷めた口調でなだめる……が一連の流れ。

だから、おばあちゃんは一生元気で死なないんだって信じてた。


でも、勝手な思い込みだったみたい。

2020年9月3日11時17分、おばあちゃんは天国へ旅立った。


いつも元気で、声が異常にでかくて、お菓子の食べ過ぎで()ちょっと太っていて、肌がつやつやしているイメージが脳裏にあったけれど、

棺の中に入った無言の彼女はやせ細っていた。39キログラムだったのだとか。

火葬後に出てきた骨はどの部位ももろくて、頭蓋骨は箸で拾おうとしたらいとも簡単にさらさらと崩れた。

こんな骨でどうやって生きろっていうの。


実は10年前から、間質性肺炎という原因不明の病気にかかっていたらしい。

おばあちゃんは病気のことを教えてくれなくて、東京で一人暮らしをする私と妹のことをいつも心配して、応援してくれていた。

「がんばれ」と言われると、しんどくても安心して、なんだか大丈夫な気がしてくる。

おばあちゃんは私の選ぶことを絶対否定しないで、いつも全力でエールを送ってくれた。今思うと、1つの愛だったんだなぁ。

自分が一番苦しいはずなのに、人のことばかり考えてくれていたんだ。


おばあちゃんの容態がよくないことはうすうす気づいていた。

ここ最近は、1年に1回しか会っていなかったけれど、会うたびに痩せて腰が曲がり小さくなっていく。(あいかわらずお菓子はぼりぼり食べていたけど)

肌のツヤはなくなり、顔はやつれ……。

「先が長くないのかもしれない、電話しようかな」と思っていたけれど、ここ半年は認知症が始まったとも聞いていて、電話をかけるのがなんだか怖くてできなかった。現実と向き合いたくなかったから。


田舎に住むおばあちゃんが危篤のとき、都会のコロナ菌()を持ち込んでは大変だからという理由で、会いに行けなかった。(というか親に拒否された)

彼女のそばにいた親も、コロナのせいで決められた面会時間内でしか話ができなかったという。

限られた時間の中で電話した。

「おら、も……ダメだ………」

聞きなれた口癖は、いつもと違ってとてもかぼそくて。

「大丈夫だよ」とも「がんばって」とも言えずただただ涙が出た。

でも、あのとき「がんばって」と言わなかったのは正解だった。

だっておばあちゃんは十分がんばったから。

細くてもろい骨で一生懸命生きたから。

お空に行けて、やっと楽になったんだ。


死に目に立ち会えなかったのは悔やまれるけど、火葬や葬儀など一連の儀式には参加許可が出て(親族とは最低限の接触)、お別れをしっかりできたことで気持ちに踏ん切りがついた。儀式って気持ちの整理をする上で大切なものなんだなぁ。

でも、「もっと電話すればよかった」っていう後悔はなかなか消えてくれない。ここ半年おばあちゃんがやたら夢に出てきたし、何か私に伝えたいことがあったのかも。

だから、祖父母がまだ生きているという方は、敬老の日を口実にぜひ、コンタクトをとってほしい。

何か、自分の今後につながるメッセージが得られるかもしれない。


おばあちゃんに思いをはせていたら、彼女と自分のつながりを意識するようになった。

「おばあちゃんは社交的で黄色のオーラが似合う人だったな……でも私はロールパンナみたいなキャラだし(?)紫なオーラだな……ww彼女の血を受け継いでるなら黄色のオーラを出す素質あるんかな」とか、

「おばあちゃんみたいに、自分が苦しいときも、人を応援できるような人になりたい」とか。

おばあちゃんはご先祖さまを大切にする人だった。毎日仏壇そなえるものを取り換えて……

祖先を大事にする理由の1つは、自分の中にあるものをご先祖さまから引き継いでいるからだと気づいた。(「祖先」は「ルーツ」とも言う)



太陽みたいに明るくて、料理も家事も上手なおばあちゃん。

あなたの孫であることを誇りに思います。

おばあちゃんが私のこと、とっても大切にしてくれたことを思い出しながら、私も私のことを大事にして一生懸命生きていこうと思うよ。

……きっと隣で応援してくれてるよね?

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