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2019/1/17 「ファントム」

★四度目の正直
 ひさびさの東京宝塚劇場はまたしても一本もの。雪組「ファントム」である。雪組版は宝塚で四回めの上演。そして、四回目にして初めて望海風斗と真彩希帆という「歌える」コンビでの上演となった。

 「ファントム」は望海が熱望した演目だと聞いている。この二人がコンビを組んでの大劇場公演は二作目(実際には三作目だがうち一作は専科の轟悠主演の「凱旋門」だった)だが、真彩はこの作品でヒロインのクリスティーヌを演じるために望海の相手役に選ばれたと見て間違いないだろう。

 過去三回の「ファントム」のクリスティーヌは少なくとも「天使の歌声」の持ち主ではなかった。宝塚はスター本位主義の劇団なので、作品には「つもり設定」がよくある。私たち観客は役柄の設定上この主人公(またはヒロイン)は「歌手」「ダンサー」「絶世の美男(美女)」であるというのを受け入れねばならない。終演後にこっそりと「○○ちゃんはそれほどの歌手(ダンサー、美女)じゃなかったよね」と本音を囁きあうのが常だった。

 だが、今回は違う。本当に歌える人がファントムとクリスティーヌを演じると、いったいこの話はどうなるのか。否が応でも期待は高まろうというものだ。

★おもな配役
ファントム(エリック)望海風斗
クリスティーヌ 真彩希帆
ジェラルド・キャリエール 彩風咲奈
フィリップ・シャンドン 彩凪翔/朝美絢
アラン・ショレ 朝美絢/彩凪翔
カルロッタ 舞咲りん
ベラドーヴァ 朝月希和
若き日のキャリエール 永久輝 せあ
エリック(子供時代) 彩海せら

 シャンドン伯爵と、支配人のショレ役は彩凪翔と朝美絢の役代わり。ファントムには役らしい役が少ない。文字通りの意味で役の物理的な数が不足している。多くの雪組生はオペラ座の団員や観客、街ゆく人、ファントムの従者といった役回りで舞台に登場する。

★意外なほどマイルドな新演出
 今回、ファントムは演出が刷新された。オープニングでは映像が多用されていて、オーケストラの奏でるオーバチュア(前奏曲)に乗せて観客の視線はパリの街角からオペラ座の地下へと誘われる。こうした仕掛けも含めて雪組版「ファントム」はエンターテイメント性の加味されたミュージカル作品へと変貌していた。

 望海ファントムは緩急自在に歌う。実に心地よい歌声だ。哀しみを、喜びを、あらゆる感情を歌にのせて歌いあげる。これだけ歌えるとやってる本人も本望なんじゃないかと思うほどである。少々意外だったのは望海ファントムが思いのほか幼く見えたことだろうか。地下に降りてきたキャリエールに遠慮なく感情をぶつけていく姿は、やんちゃでわがままな子供のようにも見えた。

 カルロッタ役の舞咲りん、この人の歌い方がまた嫌味たっぷりで芝居がかっている。彼女の歌を聞くだけでファントムが心底うんざりするのは納得できる。オペラ座を去るキャリエールに対する「どんでもない土産を置いていくんだな」というセリフには客席から笑いが漏れたほどだった。ヒメ(舞咲)のカルロッタは誰よりも傲慢で強欲、そしてそんな自分を誰よりも愛している。すごく分かりやすいカルロッタだった。

 ある意味でこの「分かりやすさ」と「くったくのない明るさ」が雪組ファントムの特徴だろう。怒りや哀しみを遠慮なくぶつける、どこか幼さを残したファントムと見た目も演技もすべてが悪役のカルロッタ。ファントムの存在に怯えるオペラ座の団員たちもどこかコミカルで心底怯えているようには見えない。

★声美人のクリスティーヌ
 このファントムで宝塚らしくないものがあるとすればそれはクリスティーヌを演じた真彩希帆だ。彼女の歌は上手いというよりも宝塚の娘役のレベルを超越していた。

 きぃちゃん(真彩)は歌声の使い分けが見事だ。冒頭、通りで楽譜を売りながら歌うときは、美声ではあるが声量もなく歌声は控えめ。オペラ座の衣装係のときも愛らしく心に響く声ではあるけれど歌声は「オペラ歌手」のものではない。ビストロのオーディションでも最初は消え入りそうな声で歌っていたかと思うと、後半は見事に歌手らしいテクニックを披露し、オペラで主演するのにふさわしい技量のあるところを見せる。

 望海と真彩のコンビはこの物語が本質的に「音楽賛歌」であることを思い出させてくれる。クリスティーヌがオペラ座でいつか歌う夢を歌い上げる「Home」。私はこの歌がとても好きなのだけれど、彼女の歌声は心に沁みいる。その声に惹かれて歌いだすファントム、やがて二人の声が重なって二重唱になるとそこは希望に満ち溢れた温かな世界が広がっていく。ビストロでクリスティーヌが見事な歌声を響かせると、オペラ座の団員たちは新たなプリマドンナ誕生を祝い、「パリのメロディー」の歌がビストロのすべての人を巻き込んだコーラスになるのも素晴らしい。

 だが、そんな真彩クリスティーヌも思ったよりも表情の変化に乏しかった。歌は雄弁だがお芝居はまだまだ。そんなところがむしろ宝塚らしいと思ってしまうほどだった。

★彩凪シャンドン、朝美ショレ
 この日のキャストは彩凪翔がシャンドン伯爵、朝美絢がカルロッタの夫アラン・ショレ。この二役を役がわりにする意味はよくわからない。役替わりはチケット販売へのテコ入れであることが多いけれど、今回その必要はないはずだ。

 雪組のスターの序列から考えると彩凪シャンドンは妥当。アラン・ショレは本来ベテランの男役が演じるべきものだろう。ただ、ファントムはとにかく役が少ない演目なので、止む無くここに朝美を入れた。でも、朝美に華やかな役をさせないのはもったいない。そこで役がわりということにしたのだろうか。

 彩凪シャンドン伯爵は外見は二枚目で、若きシャンパンの王様でオペラ座のパトロンというお金持ちの雰囲気は十分なのだが、惜しいことに歌の方は相当厳しかった。彼女は低音域の声がまったく出ない。そして、シャンドン伯爵の歌は易しくない。たしか、初演のとき歌える星組スター(当時)の安蘭けいがシャンドン伯爵を演じた。歌の得意でないスターには鬼門の役だ。

 あ、でもシャンドン伯爵役で「歌えること」を「二枚目らしい外見」より優先すると宝塚ではなくなってしまうので、ここは目をつぶっ……いや、耳をふさいで見るのがお行儀のよいファンというものである。

 他方アラン・ショレはといえば、妻を愛し、金を愛し、自分の地位を愛し、でも芸術には何のこだわりも理想も持ち合わせていない、ましてやオペラ座の支配人にふさわしい美的センスなどは微塵もないという俗物だ。朝美がこれをどう料理するかは密かに興味があったのだが、想いのほか楽しげに演じていて良かった。カルロッタとの掛け合いも面白く、芝居心だけでなくコメディセンスのある人なのだな、と思う。ショレにはソロ歌がないのも安心(?)だ。

★ファントムとカトリック
 (ここから先で物語の核心に触れます、あらすじを知りたくない方は読まないでください)

 オペラ座デビュー当日にカルロッタの策略で声の出なくなったクリスティーヌ。怒ったファントムは公演を中止に追い込みクリスティーヌを連れ去る。と、ここまでが第一幕。第二幕でオペラ座の地下に囚われたクリスティーヌの元に現れたキャリエールは彼女にファントムと呼ばれる男の生い立ちを語りはじめる。

 若き日のキャリエール(永遠輝せあ)はオペラ座のダンサーだったベラドーヴァ(朝月希和)と恋に落ちる。彼女は実は素晴らしい声の持ち主でオペラ座のスター歌手となった。子供を宿した彼女は結婚を望んだがキャリエールには妻がいた。彼は「私はカトリックで、再婚は考えられなかった」と説明している。

 えっ、ここまであれだけ「分かりやすい」路線で来たのに、ここで突き放すの?「私はカトリックだから再婚できない」という釈明程度では、ベラドーヴァが頭がおかしくなるほど絶望した意味、キャリエールが生まれた子供の顔に見たものの深刻さや彼の贖罪の意識というものが見えてこないよ、と思う。

 カトリックはキリスト教徒の中でも結婚・出産に関する戒律が厳しい。結婚は神の前で誓うもので一生に一度しかできないというのが建前だ。王侯貴族はお金の力で「結婚の無効」を教会に宣言してもらうことで離婚を可能にしていたらしいが、若きキャリエールにはそんな財力はなかったのだろう。

 ベラドーヴァも聖母マリアに祈ったというのだから同じカトリックだと分かる。彼女は妻帯者と通じるという宗教的なタブーを犯しただけでなく、生まれてくる子は「洗礼を受けられない子」「姦淫によって生まれた罪の子」となる。彼女にとってつらかったのはそこではないのか。キャリエールはエリックの顔を見る度に自分が犯した罪と向き合わねばならない。エリックを養育することは一種の贖罪だったのだろう、と脳内で補完しながら物語の成り行きを見守る。
 
★なぜ彼女は逃げたのか
 エリックの生い立ちを聞いたクリスティーヌは彼の心に寄り添おうとする。「本当の彼を知るには彼の顔を知らなければならない」というキャリエールの言葉に従い、彼女はエリックに仮面を取るよう促す。それも母のように優しく「あなたの真の姿を見つめたい」と歌うのだ。逡巡した末にエリックが仮面を取ると、彼女は悲鳴をあげて逃げ去ってしまう。

 なぜ、彼女は逃げたのか。逃げる理由がわからないという声はSNSでも時々見かけた。そりゃ、仮面の下の顔があまりにも悲惨で見ていることに耐えられなかったからに決まってるのだが、実際に私たちが目にするのは自転車で転んだときの擦過傷みたいなのを顔の一部につけた、美しいトップスター望海風斗の顔なのだ。

 残されたエリックはウィリアム・ブレイクの詩をメロディーに乗せ「母は僕を南の荒野に産んでくれた」と歌う。愛されないと分かっても愛を求めずにはいられない。実に感動的な場面なのだが、感動の半分は美しすぎる顔によって観客から奪われてしまった。

 顔にアザや傷を負った人の話を上演するのは本当に難しい。どうしたらこの場面の説得力が増すかは明白だ。初演の和央エリック並みに顔にアザをより濃く、より大きく描けばいい。が、トップスターの顔を「醜く」すること、その顔ゆえ罪なく理不尽な目に遭う主人公の姿はあまりに悲惨で正視に耐えない。美しすぎるファントムは宝塚らしいファンタジーなのだ。

★美しき父子の愛
 何の罪もないのにただ顔が醜いというだけでオペラ座の地下深くに押し込められて育ったエリックという主人公の絶望と破滅をドラマティックに描く代わりに、宝塚版ファントムは別の場面に光を当てて物語を書き換えた。父キャリエールとの親子の情愛である。

 キャリエールはオペラ座の支配人の職を解かれても、何かというとオペラ座に現れる。シャンデリアが落ちてくるときにもエリックとクリスティーヌをかばうように逃してやる。警察に追われるエリックをなんとか逃がそうとするのもキャリエールだ。キャリエール役の彩風咲奈は歌も相当レッスンを積んだのだろう。銀橋でエリックと掛け合いで歌う場面はとても良かった。

 通常なら主人公の父親役というのは組長クラスの男役、あるいは専科から特別出演の年配の男役さんがやることが多い。二番手スターの彩風をわざわざこの役に当てたのは「醜い顔の息子を支えてきた父」と「本当は心優しい息子」の情愛の物語であるという劇団からファンへのシグナルだ。

 最後のシーンでエリックの亡骸の側に立つのもキャリエールだ。エリックが「父さん!」と叫んだ声を全員が耳にし、二人が親子であったことを悟ったから、周囲の人々も彼らの父子が歩んだ不幸な道のりを慮ったのだろう。たしかにこの「ファントム」には救いがある。

 でも、これはやり過ぎだろう。エリックはバカではない。父子関係を周囲に知られてはキャリエールに迷惑をかけることくらいはわかっている。昔の演出では「父さん!」という叫びはキャリエールの心の中にのみ響く声だったと記憶している。私はむしろそちら方が自然なのではないかと思うのだが……。

★新しい「ファントム」の形
 かつての「ファントム」はホラー小説の舞台化であることを隠そうとはしてはいなかった。

 エリックは自分の顔を見たジョセフ・ブケーを殺害する。「なんということだ」と嘆くキャリエール。エリックもキャリエールもすでに疲れ果てて交わす会話に感情の起伏すら感じられない。子供の頃から泣き続けたエリックはもう一滴の涙すら出ない。悲しみを通り越えたその先で闇に生きる。母の面影に似たクリスティーヌは彼の世界に射し込んだ最後の光だった。人間を躊躇なく殺めることのできる怪人の末路は死。まったくもって救いのないお話だったのだ。

 だが再演のたびに少しずつホラー色は薄まっていった。ジョセフ・ブケーは事故で死んだことになったし、ファントムの顔のアザも小さく、薄くなっていった。純粋だが心の歪んだ狂った主人公は、ワガママだが内心に優しさを秘め、誰よりも音楽を愛する青年になった。死と隣り合わせのオペラ座もいまや明るくくったくのない団員たちであふれるようになった。まるでコミックかアニメの世界のように。

 かつての暗く重々しいホラーの代わりに、私たちの前に示されたのは夢と希望に彩られた温かな「ファントム」だった。母がいなくても、生まれながらのハンディで辛い目にあっても、音楽を愛する心と父の愛が息子の心を救う。エピローグのショー場面も増え、私はそれを存分に楽しんだ。「ファントム」は今後間違いなく望海真彩コンビの代表作に挙げられることになるだろう。

★問題は再演だ

 再演ものの作品がこれほどはっきり形を変えた例を私は他には知らない。そこまでして今回再演に踏み切った理由はどこにあったのか。それは「ファントム」を演じたいというトップスター望海風斗の想いだろう。そして彼女がそう願った理由も、この作品を観たあとなら私にもわかる。それはこの物語のもう一つの主役が「音楽」だからだ。

 エリックがクリスティーヌを知るのも彼女の歌う声を聞いたから。そして彼が彼女を愛したのは歌声の奥に優しい心根が見えたからだ。カルロッタは音楽を自己顕示欲のために利用したために殺された。キャリエールがエリックを見捨てなかったのも彼に音楽を愛する心があるのを認めたから(それが自分から彼に受け継がれていたから)に違いない。

 「音楽は素晴らしい、音楽を愛する者は美しい」というメッセージを伝える上で、エリックとクリスティーヌが共に「美しい声で歌う」ことは必然だった。音楽を、歌を愛し、それを生きる上での至高の存在として崇めているのは実はだいもん(望海風斗)本人なのではないか。

 雪組「ファントム」では「オペラ座は呪われている」ようにも「取り憑かれている」ようにも見えないし、望海ファントムは「闇に潜む怪人」にすら見えなかったのだが、それは些細な問題に過ぎない。だいもんは音楽の天使に選ばれたエリックなのだから。

 むしろ、問題なのはこの生まれ変わった「ファントム」がさらに再演を重ねることができるのか、だ。これほど歌えるキャストを再び見つけることはできるのだろうか。宝塚歌劇団とファンの双方にまた一つ悩みのタネが増えた。

【作品DATA】「三井住友VISAカードミュージカル ファントム」は脚本アーサー・コピット、作詞・作曲モーリー・イェストン、潤色・演出 中村一徳、翻訳 青鹿宏二。宝塚大劇場では2018年11月9日〜12月14日、東京宝塚劇場では2019年1月2日〜2月10日に宝塚歌劇団雪組によって上演された。

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