本当の意味で、嫌われる勇気

みなさまこんにちは。RENです。

気持ちを伝えるコツの授業枠動画がもうすぐ出ます。
その前に色々と考えて見たけれど、無理だった私のパターンを載せておこうと思います。
けれどこれにはコツや正解はありません。
これを読んでみなさまがどう感じるのかを問う話だと受け取ってください。

私は、自分の治せない周りから見て“ダメ”なところがあります。
それは“正論を言ってしまうところ”です。

“周りから見て”というのは、当事者ではなく、他者の意見を聞くとダメではなく良いことだと言われることもある事実を加味して、どちらが良いとか悪いとかではない領域と判断し、そういう言い方をしています。

正論というのは、人を傷つけることが多いです。

まるで病を発見して、患者に伝える医者のように。
まるであなたの親が滞納していた借金がありますと告知する人のように。

人を傷つけたり、がっかりさせたりしてしまうのが正論です。

だから細心の注意を払って言葉を選んできましたが、どうしても無理な時もあって。

私が伝える正論は、上記で例えたようなことばかりで、大体は改善策がしっかりとそこにあることを述べます。
つまり人格否定はしていません。

けれど人格否定をされたと言われることがあります。
これがとても難問です。

人格否定とは?
思わずググりました。
“その人の人間性を否定したり、人格を否定すること”

まだまだ分かりません。

具体例を調べてみました。

簡単なことを言えば「性格が悪い」「頭が悪い」「育ちが悪い」「顔がブサイク」「背が低い」というような明らかに否定するような例文が並んでいましたが

私はこれに該当しません。そもそも人のあれこれの大半は改善できる可能性を持っていると伝えているのが教えの軸です。

・他人と比較して下げる

(例)「〇〇さんはこうできているのに、お前は頭が悪いからできない」

これも人格否定になる場合があるそうです。
これも当てはまりません。

なのでさらに例文を探しました。

・例文「お前はノロいから何もできないんだ」
「暗いからお前にはこの仕事が向いてない」

やはり該当することはありません。

「こういうことが起こってしまってトラブルになった。人を不快にさせる可能性があるので、周りの人の気持ちを第一に考えてみてほしい」や「〇〇のようなトラブルになりかねないので気をつけてほしい」や「私や〇〇がとても傷ついた。それに対してどう感じるのか」という類の発言だからです。

つまりこれは、どちらかといえば仕事のミスや、根本的な考えが至らなかったことで起こる事に対する注意です。

注意や叱咤激励は、人格否定に繋がるのでしょうか。言い方によっては繋がるのかもしれませんね。でも「あなたのそういうところがダメだ」とは言っておらず「原因と改善」を伝えている以上、人格否定の定義には当てはまらないのではないかなと思うのです。

そして色々と考えた末に

何故私は、「人格否定された」と、私自身が否定されなければならなかったのか。

というところに戻ってきます。

けれど、私は人格否定をしていると決めつけられたことに、ひどく傷つくことはありません。
もう柔らかいメンタルを持っていないようなのです。

でも周囲に解決策の相談すると
「それだけ一生懸命人と向き合っているんだから、頑張ってきたんだから、もう付き合わなくていいんじゃないの。辛くないの?」と言われます。

そうすると「あぁ、これだけ考えるということは自分は辛いんだろうか」とまた考えます。

けれど幾度もそういう経験をしてしまっているせいか、辛いという感情が湧くことはなく、ただ「私以外の人がこういう状況なら、ひどく傷つくだろうな。昔の私はひどく傷つくこともあったから」と考えたのです。

ならばこれは“高次元からの学び”であるはずなのだけれど、いつものような解決策が見当たらない。

そして振り出しに戻る。

もう一度まっさらにして考えると
「やはり言わなければ改善はされなかっただろう」と思うことばかりでした。
そうなると「嫌われることは当たり前なのかもしれない」と思ったのです。

相手の行動や考えを注意するということは、嫌われるんだろうと。

自分の子育てを振り返れば、危ないことや、他人の気持ちを考えない怪我を伴いそうな行動にはきつく叱ってきた思い出があります。

私は子どもにとって、よく遊び相手になる人でもあっただろうけれど、怖いお母さんだっただろうし、優しくて見下しても、顔を叩いても怒らないお父さんのほうが人気があった自覚があります。

それでも私は子供たちに嫌われてもいいと思って叱る時は叱って生きてきました。

その人がいつか「確かにムカついたけど、一理あったな」と思ってくれたり、言われたことを思い出してトラブルを回避してくれたらそれでいいやと思ったのです。

けれど基本的に私は人に叱る行為が嫌いです。
角が立つし、相手にわざわざ不快になって欲しいなど思ったことはありません。
むしろそういうことを避けたくて生きてきました。

けれどそうやってスルーできないことも人生には幾度もやってきてしまう。

私の正論を改善策だと受け取って一緒に方法を考える人と、そうは受け取れない人の違いは明白です。

ここでその理由を明らかにしないのは、人格否定に該当するワードだと思われる可能性があるので、伏せます。

理由はあっても、それは改善策ではありません。受け入れることができない事実です。これはどう足掻いても今すぐに改善できるものでもありません。

なので省略して話を戻しますが

誰かを叱ることも、高次元の教えを広めることも、叱咤激励をすることも、すべて角が立つことです。何故なら相手の行いを変化させるための言葉だから。

嫌われるしかないんだなと。

アインシュタインは偉大な物理学者ですが、自分が作ったわけでもないのに、原発の怖さを知っていながら原発を止められなかったことを悔いて、人生の後期には人が幸せになれる方法をずっと考えていたそうです。

そう考えたら、やっぱりここでやめてしまっては、自分が後悔すると確信しました。

正直、今は活動していて何も面白くないです。
本当に正直いうと何も面白くない。
大半がのれんに腕押し状態です。
でもそうやって昔の人はみんな幸せになれる方法を伝えてきたのだなと思うと、私なんてまだまだこれからなんだろうなと思っています。

けれどやっぱりいつ辞めてもいいなというのは、ここ数ヶ月、頭の中にあって。
それは生活が安定したからでもなんでもなく
「私がやっている活動よりも、周りの方がずっと人を幸せにしているのかもしれない」と思うからです。

未来のことなんて、本当はどうでもよくて
良くする必要などなくて、それなりに暮らせればみんな満足なんじゃないだろうか。悩むことはあっても、そうやって年老いて、人生を終えられたら、それがベストなのかもしれないと。

人に嫉妬したり、見下したり、見下されたり、悪口を言ったり、傲慢や高慢になったり、そういうのが当たり前で、夢が叶わないことも当たり前で、我慢するだけ我慢して、人に怒るだけ怒って、自分が嫌いだと泣いたり、自分がこんなのなのは誰かのせいだと責任転換したり。

それが本来人のあるべき姿なのかもしれません。
それでいいのかもしれません。

そのほうが幸せなのかもしれません。苦労をしなくていいから。
苦労や変化が伴うことは、人をがっかりさせやすいから。

そう考えても、全肯定はできない自分がいます。

とある方と話していて、ソロモンが考えた悪魔について教えてもらう機会がありました。
ソロモンの考えた悪魔たちは博識で、人に教育をする悪魔なのだそうです。
私はそういう悪魔なんじゃないかと思えば、全肯定できない自分に納得してしまいました。

悪魔は嫌われているものな。悪魔崇拝の人の方が少ないもんなあと。

けれど先日、新しいスタートを切った人から連絡が届きました。
ずいぶん前に個人鑑定させていただいた方です。
アドバイス通りにしていただいたので、時間はとてもかかったみたいですが、そうやっていて良かったと。
それを読んだ時に、とても嬉しい気持ちでいっぱいになったのです。
そして信じていただけたことに深く感謝しました。

嬉しいことに、すでに今年はその報告がとても多いです。

そういう連絡がある度に「正しくはないのかもしれないけれど、間違ってはないよな」と思って、また活動に励んでいます。

でも私にとって、自分がやりたいだけの気持ちで継続できることは、少ないです。
誰かが喜んでくれなきゃ意味がないから。
誰の役にも立たないのであれば、一人部屋にこもって映画や本を読む日々で満足だから。

そうやって、何度も辞めようかと考えます。

以前よりずっと動画を出すのが臆病になりました。
現在のラジオは3、4回位撮り直していることが多くて、リーディングも5回くらいチェックして出していたりして、常に「いいんだろうか」と悩むことの連続です。

そんなに悩みながら、怯えながらでも、活動している自分はマゾなのかなとすら思います。

ちなみに病みそうになったら、いつでも活動は辞めようと思っています。
なので心配はしないでくださいね!
私の心配などいらないのです。みなさまには一番周りと自分の心配をしていただきたいです。

ただ今日ここにこれを記したのは、私と同じように悩む人がいるんじゃないかと思ったからです。

リツイートしてくれたり、FACTを広めてくれたり、動画に高評価やコメントを残してくれる人たちに救われているのも事実です。
どんなことがあってもタロット解説だけは最後までやり遂げたいとも思っています。

そんな風に私は、皆様からいただく眩しいくらい輝く光の粒をかき集めて、やる気を出させていただいています。

私はその光の粒に出会えて本当に良かったと思っています。
私の人生と関わってくださったことに、心から感謝を。
そしてその気持ちを裏切らないように、私は私らしく悪魔的なチャンネルを続けていくと思います。それで最後までやってみて、ダメだった時は、一人でのんびりする時間にあてがっていきます。

失敗はしても、自分の心が後悔をしない選択をすることが、大切だと思っているから。

REN

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