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天下普請で築かれた尾張徳川家の名古屋城 [日本100名城] [日本三大平城] [愛知県名古屋市]


(2023年3月攻城)

先日の台湾のレースで知り合ったラン仲間が東海道53次踏破に挑戦しているので応援に向かったのだが、その途中、名古屋に立ち寄り、名古屋城を攻城してきた。

城好きになってから訪問するのは初めて、やはり見方が変わってくるんだなあとしみじみ思った。


まずはネットに転がっている名古屋城の古地図を拾って、ざっくりと規模感を掴んでみる。名古屋城って総構えかと思ったら、違ったのね。
(総構え=城下町一帯も堀、土塁などで取り囲む城郭構造のこと)



まず、向かったのは外堀と三の丸跡。城郭の跡が地名で残っているとものすごく分かりやすい。

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外堀通り沿いに歩くと、これまた見事な堀跡と土塁があるではないか。当時はこの堀跡に並々と水が溜まっていたんだろうなあ。

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更に、外堀通り沿いをテクテク歩いて行くと、
おおおっ!!これは明らかに門跡ですね。調べてみると、本町門跡だった。

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古地図を見てみると、枡形門のようだが、今はその形跡は無くなっている。


引き続き、外堀通りを歩く。さっきの本町門跡のところの石橋がトンネルみたいになっている。(この時はそこまで深く考えていなかったが、後でその理由が判明する。)

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三の丸を取り囲む土塁はかつては石垣だったはずだよね?まさか土塁なわけはないよねえ、天下普請の尾張徳川家のお城だもんねえ。後で、資料とか探してチェックするか、と思いながら外堀通りを歩く。

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ここは伏見通りで、ここで三の丸の端まで来たのかなと思いきや、まだまだ続く。

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伏見通りの横断歩道を渡って目に飛び込んできたのが、石垣と橋。

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これはもしやと思ったら、

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やはり門跡だった。御薗御門跡。

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門跡を抜けると、そこは愛知県図書館だった。ここも枡形門だがその跡はもうない。かつて、武家屋敷が建ち並んだ三の丸跡は、今では図書館、神社、市庁舎、県庁、警察などの建物が立ち並ぶ。


そして、その先には櫓が建っていたと思われる櫓台の石垣があった。ということは、三の丸はそこまでってことかな。

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その櫓台まで行ってみた。石垣が少し崩れているなあ。

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そして、その近くにあった掲示板を見て、おー!と1人で唸る。

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そうか、外堀はかつて鉄道が通っていたのかー。

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外堀に鉄道が通っていたって、かなり珍しくて、今まで攻城したところでは長野県上田市の上田城のお堀がそうだったかも。(あ!まだ攻城レポート書いてない。)

明治に入ってから、城郭がどう破却されたとか、どのように変わっていったかっていうのを知るのも面白いなと最近思い始めている。


さて、城の西側から二の丸、本丸を目指す。

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名古屋城は日本三大平城の1つだが、なるほどこちら側から見ると台地の上にある平山城にも見えるんだね。


歩道橋とか渡っていたら、いつの間にか三の丸跡内に入り込み、そして、加藤清正公の銅像と遭遇してしまった。

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なぜに尾張徳川家の人ではなく、加藤清正なんだろうか?築城の名手の1人で、確かに彼は尾張出身で、この天下普請の名古屋築城に関わっているけれども、、だからか?


すぐそばには矢穴石が、、こういうのを見るのが好きなのだ。

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ということで、いよいよ名古屋城内に潜入じゃ。

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ということで、正門(外観復元)から入る。

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正門を抜けると西の丸なのだが、桜が見頃を迎えたということもあり、露天が出て観光客で賑わっていた。

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西の丸から見た本丸の西南隅櫓(現存)

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その石垣をよーく見てみると刻印がある石があちらこちらで見ることができる。

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もう、こういうのが大好物なのよー。資料とかないのかな、どの刻印が、どの家のものかって。これずっと見てられるわ。



そして、御深井丸へ移動する。曲輪と曲輪の間に、堀を内側に入れ込んでいるのを「鵜の首」といい、道幅を狭くすることで、本丸への敵の侵入を阻んでいたとな。

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御深井丸から見た天守。なんか管みたいなのが天守台の石垣を這うようにしてあるのはこれはなんだ?

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御深井丸の説明板。

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この日は御深井丸の大部分が立ち入り禁止になっていて、乃木倉庫とか西北隅櫓(現存)を間近で見ることができなかった。


再び、御深井丸からの天守を眺め。

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おおおおおーっと片隅には天守の礎石があるではないか!

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名古屋城の天守と小天守は第二次世界大戦の空爆で焼失し、現在あるものは外観復元なのだが、復元時には礎石は使わなかったんだね。礎石が観光客のベンチ代わりになっているのもなんか面白い。さすが、天下普請の天守の礎石は規模が大きい。


塩蔵門跡。

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この先は二の丸に通じるのだが、立ち入り禁止になっていた。


仕方ないので、門跡の石の刻印を見てニヤニヤしとくか。

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おっと、切り出し失敗しちゃったのか、石の真ん中に矢穴があるよ。

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あー、やっぱり、石垣いいよなあ。


こちらは天守の礎石そばにあった櫓台の石垣。

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さて、不明門から本丸へ入るとしよう。

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不明門にかかる土橋から見た空堀。石がゴロンゴロンしてるけど、これはどこかの復旧作業に使うものなのか?

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不明門はもちろん枡形門。

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本丸へ入った。

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天守(外観復元)の中は入れず。天守台の石垣をじーっと観察する。

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天守、小天守、本丸御殿(外観復元)をこうやって眺めてみると、江戸時代にタイムスリップしたような気分になるなあ。

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こちらは二の丸へ通じる東ニ之門跡。

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美しい枡形門跡なんだか、ここもやはり立ち入り禁止なのだ(涙)


頑張ってズームで清正石の撮影に成功。

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加藤清正が運んだ巨石という伝承が残っているのでその名前がついているらしい。


そして、本丸の東南隅櫓(現存)

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復元された本丸御殿の見学は今回は時間がないので見送り。次の機会に、他の立ち入り禁止で見れなかった遺構と併せて見学することにする。

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本丸表二之門(現存)から本丸を後にして、二の丸へ向かう。

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二の丸へ向かう。

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おっと、ここも西の丸と二の丸の鵜の首ってやつか。

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そして、また出た、虎之助、、じゃなかった加藤清正だ!

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石の上で音頭取られても石曳く人たちはその分加重されてたまらんのでは?といつも石曳きに関する資料を見ると思う、ワタクシ。



二の丸から東南隅櫓(現存)を眺める。

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あー、東二之門周辺は立ち入り禁止エリアなので、遠目で見ることしかできん。

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この辺りは復旧工事が行われているのかな、ご苦労様です。


しかし、城郭と桜はほんとよく似合うなあ。

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二の丸の一角にこんな案内板が、、

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そう、戦国時代に今川氏が築いた那古屋城跡にこの名古屋城があるのだ。

織田信長の居城でもあり、その後清洲城に移り、尾張の中心は清洲だった。が、江戸時代に徳川家康がこの地に、名古屋城を天下普請として豊臣恩顧の西国大名達に作らせた。


二の丸庭園。

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二の丸御殿の案内板。

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一通り見て回ったので、再び正門に戻り、そこからお堀に沿ってぐるっと、二の丸東門まで歩いてみることにする。

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ここもどうやら門跡だったようだ。

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いやぁ、満開の桜と石垣とお堀、最高の組み合わせ!

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こういう屏風折の石垣を見ると近代城郭だなあとしみじみ。

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西の丸と御深井丸のところの鵜の首を確認。

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そばで見ることができなかった御深井丸の西北隅櫓が見える。

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西北隅櫓(現存)

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あー、やっぱり屏風折の石垣は美しい(うっとり)

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天守が見える。

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ここも鵜の首?立ち入り禁止で入れなかったエリア。目の前は櫓台の石垣、そのすぐそばに天守の礎石があったところだな。

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屏風折の石垣とお堀、ずっと見ていられる。

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あら、ここは石垣が崩れてしまっている。だから立ち入り禁止だったのか。

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まだまだ続く。

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おお、ここにも櫓が建っていたと思われる櫓台の石垣がっ。

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東門跡が見える。

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東門跡。

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東門へ通じる橋から眺めた二の丸の石垣。

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東門も枡形門。

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二の丸への入り口。

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来た道(東門)戻る。

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そして、再びお堀沿いを歩く。

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このそばに地下鉄名古屋城駅があったので、もうここでいいかなと攻城終了させたのだが、後から二の丸の大手二之門(現存)を見落としていたことに気が付き、軽くショックを受ける。


三の丸跡地にナイスなセンスな建物。

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ということで、名古屋城攻城だん。
次は今回見ることができなかったところや、見落としたところなどを見て回りたい。


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