見出し画像

九度山で真田昌幸・信繁の聖地を巡る [和歌山県伊都郡九度山町]

(2021年5月の訪問記録)


和歌山旅行の目的は真田家の聖地を巡るというものでして、前年は長野県上田市に行ったり(あ!まだ城攻め記録書いてない!)、そしてちょっと前は大阪に行って真田丸の跡を見に行ったりと、どんだけ真田家好きなんだ、と.....(笑)


そして、今回、和歌山駅から電車を乗り継ぎ、降り立ったのは九度山駅です。

もう駅に降り立った時点でテンションが爆上がりです。真田家の家紋がどこかしこに!!


そう、関ヶ原の戦いで西軍側について敗れ、高野山に蟄居された真田親子(昌幸・信繁)がその後、麓の九度山へ移り住みました。
父、昌幸はこの地で亡くなり、息子の信繁は後にここを抜け出して、大坂の陣に参陣します。


このご時世かここで乗車するもの好きは私しかおらず、人寂しい駅前ですが、観光案内の看板を見て更にテンションが上がります。

さてと、どうみて回ろうかな、と考える幸せな時間。



いざ、出発。



九度山町のメインストリートだと思われる「真田のみち」

誰もいません、、シャッター降りてます、、。



でも、至る所、真田の家紋で埋め尽くされております。

真田丸が放映されていた頃はきっとたくさんの観光客で賑わっていたんでしょうね、、。



さて、目指すは「真田古墳」と「真田庵」です。


真田古墳に到着。

6世紀の古墳跡なのですが、この穴が大坂城に続いていて、真田信繁(幸村)達がここを抜けて戦場へ向かったという抜け穴伝説があるんですよ。ん?抜け穴?大阪にもそんな話ありましたよね?さすがにここから大坂城までの抜け穴は無理がありますな。



そして、真田庵に到着しました。

真田庵は真田親子が九度山に移り住んだ庵跡なのですが、今は高野山真言宗の寺院が建てられています。九度山での生活ゆかりの品々を公開している真田宝物資料館があり、見学したかったのですが、この寺院内に人気が全くなく、誰もいないのでなす術なく、今回は見学を諦めることにしました.....涙



敷地内には、真田昌幸の墓地が!!(歓喜!)

ここでこうしてお会い(?)できるなんて感無量です。合掌.....。



と、エンマ様からのお願い事?

聖地巡りでいろんな方々がやってくるからかな?




そして、真田庵のすぐそばにある、そば処幸村庵でお昼ご飯を頂きます。

ここで蕎麦というのは、お兄ちゃんが仕送りで蕎麦を送っていたという流れからかしら?


昼時で地元のお客様で満員御礼状態でしたので写真は控えましたが、古民家を改装した雰囲気の良い店内でした。


注文したのは大助セットです。

大助は信繁の嫡男で一緒に大坂の陣で戦うんですよね....。で、最後は.......涙
天ぷらとお蕎麦、美味しかったです。



食後に向かったのは、九度山ミュージアムなんですが、、、

本日休館日.....!!!
不覚でした、事前にこういうことは調べておきましょうよ.....。ということで、ここもまた次回の楽しみに取っておきますよ。



九度山駅に戻ります、、。

個性的な自販機に大正時代に作られたという九度山焼の陶像と、この町にはまだまだ見所がありそうでしたが、高野山に向かう電車が少なく、時間もないので、今回はこれにて撤収となりました。


次に来る時は、今回見逃したところをカバーしつつ、九度山からゆっくり参道を歩いて高野山を目指すことになると思います。


サポートして頂けると単純なのでものすごく喜びます。サハラ砂漠の子供達のために使います。