5人目の家族

3カ月になりますます面白さの増してきた娘が我が家のヨギボと一体化してすやすや寝ているので、ちゃちゃっと書こうと思う。

小心者の私が迫りくる仕事復帰にビビっていることは前回のノートでたっぷり書いたが、ここのところ不安が少しだけ解消されつつある。ついにナニーが決まったのです。それも、思い描いていた通りの、会ってすぐに、この人だ!と思えるような、素敵な人が♡

正直ニューヨークでの手探りのナニー探し・面接は楽しい作業ではなかった。何せこちらは愛する子供の身の安全を託し、彼女の成長の一部を担ってもらう人を探すのだから、はなから臨戦態勢である。相手に嫌われてもいけないからつとめて感じ良く、ナイスなママのふりしていても、実際は完全に粗探しモード。面接しながら内心ダメ出しのオンパレードである。手伝ってくれるという人に対して全くひどい話。でも仕方ないの、ちょっとしたアルバイト気分でやられちゃ困るのだ。

まず大前提として、メールやテキストのレスが遅いのはアウト。丸一日返事がないとか論外。その人の根本的な責任感の強さとこの仕事への本気度がわかる。次に、いかなる理由があろうと、面接ドタキャンして、理由の詳細な説明と代替日の提案がないのはアウト。個人的にFamily emergencyという言葉は信用していない。本当に何かあったのならもう少し真摯に説明してね。そして、当たり前だけど怠惰、不潔は困る。ビデオ電話で面接中、カウチにだらーっともたれかかりながらひたすら頭掻いてる人とかいた。もうありえない。笑 こんな根本的なところすらできない人が、「時給~ドル以上ならやってやるぜ」くらいのノリで登場するのだから、こちらの神経もピリピリする。

ちゃんとまともなコミュニケーションをとってくれる人を見つけてもそこからが本当の選考。資格や経験、テクニカルスキルの部分ももちろん見るけれど、本質はそこじゃない。心なのよ。私たちの娘を我が子のように慈しんでくれるか、根本的に働き者で真面目かどうか、可愛がるだけでなく教育する・躾けるという芯の強さも持ち合わせているか、そしてナニーという仕事にプライドをもっているか。そんな履歴書には書いていないことを見抜かなければいけない。こっちだってド新米の母親なのに!だ。

経歴も人柄も良さそうな人だな、でも何かがひっかかる。そんな感覚を覚えることもあって、条件が揃っている以上、私が妥協しないといけないのかな、なんて思ったりもし始めていたとき、ビデオ面接で挨拶を交わしたその瞬間に、あ、この人に来てほしい。そんな風に思わせる素敵な方がいた。フィリピン出身のグリーンカードホルダーで二児の母、柔らかい眼差しの奥にやんちゃボーイズ二人を育て上げながら仕事をして家計も支えようという芯の強さが感じ取れ、受け答えからは誠実で謙虚で、愛情深い人柄が感じられた。
トライアルの日、ピシっと時間通りに到着し私の前に現れた彼女は、ビデオ面接での印象どおり、柔らかな温かさと母としての強さを感じさせる、素敵な人だった。諸々我が家のルールを説明して、彼女の娘との関わり方を少しの間眺めた後、安心したのでママ部長面接は終了。私は出かけ、我が夫による最終社長面接に託した。といっても夫は膝を詰めて質問攻めにしたりしない。仕事の傍ら、なんとなくふんわりと雰囲気を感じ取っていただけのはずだ。帰宅すると案の定パパ社長は満面の笑みでハンコ押す気まんまんだったので、無事内定と相成った。
 
そのあと彼女には必要なときにスポットで来てもらっているけれど、信頼できるナニーの存在というのがここまで母親の心を軽くするものだとは思わなかった。仕事人間の悪いくせは、全てを労働と対価という観点で考えることで、育休という名の有給をいただいていると、職場、家族、私という三者の関係の中での自分のポジショニングに混乱し始める。つまり、仕事がないなら少なくとも日中は家事育児やって当たり前な気がする一方、職場が私に対価を払い、私は労働を提供しているが、その労働の提供先は家族であり職場ではない、という現在の状況に、私は今いったい誰に対してどこまで頑張るべきなのかわからなくなってくるのだ。(この考え方自体がおかしい!という指摘はもうその通りなんだけど、職業病みたいなものでなかなか変えるのも難しい。あと、育児は労働じゃない、特権だ!と前自分で言った気がするが、まあ現実問題、労働な要素もたくさんあるよね。時間と体力奪われるし。笑)この状況は私がこれまで職場に労働を提供してきたから存在する一時的なユートピアであり、近い将来、職場が対価を支払い私は職場に労働を提供し、家族は置いてけぼり♪ にガラッと変わる。そのときに家族にがっかりされたのではたまらないので期待値コントロールは大事だし、自分の中での安定した自己肯定感の醸成とか罪悪感の払拭とかの観点からも、仕事人間の子育てにおいては、「育休中から」(ここが重要)ナニーを含めた四者(父・母・子・ナニー)での関係を気づいておくことは戦略的に重要なのだと思い始めた。アウトソースはキャパ超えしたらするもんじゃなくて、キャパ超える前にするものなのだ。予防療法。友達が言ってたけど、環境を整え、その継続性を担保する。それは立派な子育てだ。

私自身、働く母とナニーとに育てられた。(父は自由人なのでここではいったんおいておきます。笑)そのナニーさんとは、今も実のお祖母ちゃんだと思っているほど強い関係を築いて、家族のように大切な存在だ。月から金まで10時~17時、幼稚園や学校に行っているとき以外はずっと彼女と一緒だった。それでも私は育っていく過程で、母と彼女を混同したことも、比べたことも一度もない。母は圧倒的に母で。働いている力強い背中も、接待から疲れてそして少し酔っぱらって帰ってくる姿も、仕事で苛立っている姿も、抱きしめてくれる温かい腕も全部、圧倒的に、母だった。

当時の母を思い出し、今になってわかる色々なことがある。この先娘が育っていったら、もっともっと増えていくんだろう。最高の夫とナニーに支えてもらいながら、私は私なりに、圧倒的に、母でいたい。

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