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八田與一さんについて語るクラブハウスのルーム

2021年10月5日〔火曜〕夜9時から一時間、このルームでの参考資料です。
八田與一さんは明治19年(1886)、石川県に生まれ、明治43年(1910)に東京帝国大学工学部土木科を卒業し、台湾総督府土木課の技術者として赴任し、ほぼ全生涯を台湾で過ごし、台湾のために尽くされた方です。

台湾元総統・李登輝氏が日本人に紹介した八田與一さん
~「日本人の精神」スピーチ全文からの抜粋~

・台湾で最も愛される日本人のひとり
・東洋一の大規模な灌漑土木プロジェクト「嘉南大圳」を10年かけて完成させた。予算は(当時のお金で)5400万円。
・世界の土木界に驚嘆と称賛の声
・八田さんがつくった新しい水路から水が流れてきたとき、嘉南平原に住む台湾農民60万人は「神の水が来た」といって感激のあまり涙を流し、八田さんを「嘉南大圳の父」と呼ぶようになった。
・ご夫妻の墓が造られ、毎年の命日は農民によりお祭り。
・彼が作った烏山頭ダムとともに永遠に台湾の人民から慕われ、その功績が称えられている。
・この事業を完成した1930年の八田さんはなんと、四十四歳

この若さでこの偉大な仕事を通じて台湾に残したものが三つ。
1)不毛の大地といわれた嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯に変えた。
2)独創的な物事に対する考え方
3)生き方や思想は、我らに日本的なものを教えてくれた。

1)不毛の大地といわれた嘉南平野を台湾最大の穀倉地帯に変えた。
・32歳で設計に取りかかり、34歳で現場監督として指揮
・戦後の日本における近代農業用水事業の象徴である愛知用水の十倍を超える事業(給水路一万キロ、排水路六千キロ、等々)
・アメリカ土木学会は「八田ダム」と命名し、学会誌上で世界に紹介
・ハードウエアは完成しましたが、それを維持管理し有機的に活用するためのソフトウエアが大切(という事を理解していた)。
・農民への技術指導が連日、組合の手によって繰り返され、三年目に台湾最大の穀倉地帯に変貎を遂げる。
【成果】
・農民が被る洪水、干魃、塩害の三重苦の解消
・三年輪作給水法によって全農民の稲作技術が向上
・地価が二倍、三倍の上昇。全体で9540万円もの価値を生んだ ➡ 全工事費を上回る。
・農民の生活はこれによって一変し、新しい家の増築や子供の教育費に回す余裕がでてきた。

2)独創的な物事に対する考え方
セミハイドロリックフィル工法の採用:東洋では誰もてがけたことが
なく、アメリカでさえもこのような大きな規模の工事では採用されていなかった。なぜ ➡ 地震対策:決壊を防ぐアースダム方式
・未経験の工法を採用するに当たり、徹底的な机上の研究とアメリカ視察
・工法の採用と設計が間違いでない確信を持って工事にとりかかった
・強い信念・信条:コンクリートコアの高さと余水吐をめぐって、セミハイドロリックフィルダムの権威者ジャスチンと大論争しますが、自説を譲らず、設計どおりに構築
・七十年経過した今日でも、堰堤は一億トン以上の水を堰とめて、八田ダムの正確性を証明
・大胆な「大型土木機械の使用」➡ 高い機械で工期が短縮できれば、それだけ早く金を生む。結果的には安い買い物になる。労働力のあまっている時代。当時としては偉大な見識と英断 ➡ 後の基隆港の建設と台湾開発に非常な威力を発揮
・烏山頭職員宿舎の建設:「よい仕事は安心して働ける環境から生まれる」という信念のもと、職員用宿舎二百戸の住宅をはじめ、病院、学校、大浴場を造るとともに、娯楽の設備、弓道場、テニスコートといった設備まで建設
・芝居一座を呼び寄せたり、映画の上映、お祭りなど、従業員だけでなく家族のことも頭に入れての町づくり。(10年間の工事年数を考えて)
・工事は人間が行うのであり、その人間を大切にすることが工事も成功させるという思想が、三十歳代の八田さんの考え

三年輪作給水法の導入

・ダムや水路は農民のために造る。
・すべての農民の生活の向上ができて初めて工事の成功であると考える。
・十五万町歩の土地に住むすべての農民が、水の恩恵を!
・すべての土地を五十町歩ずつ区画し、百五十町歩にまとめて一区域にし
て、水稲、甘蔗、雑穀と三年輪作栽培で、水稲は給水、甘蔗は種植期だけ給水、雑穀は給水なしという形で、一年ごとに順次栽培する方法。スゴイ発想と実行力!
・給水路には水門がつけられ、五十町歩一単位として灌漑

3)生き方や思想は、我らに日本的なものを教えてくれた。
・肩書や人種、民族の違いによって差別しない。
・これを育んだ金沢(八田さんの出身地)という土地、いや日本という国でなければかかる精神がなかったと思います。
・工事では十年間に百三十四人もの人が犠牲
・完成後に慰霊碑が建てられ、百三十四人の名前が台湾人、日本人の区別なく刻まれている。
・関東大震災の影響で予算が大幅に削られ、従業員を退職させる必要に迫られたことがありました。その時、八田さんは幹部のいう「優秀な者を退職させると工事に支障がでるので退職させないでほしい」という言葉に対し、「大きな工事では優秀な少数の者より、平凡の多数の者が仕事をなす。優秀なものは再就職が簡単にできるが、そうでない者は失業してしまい、生活できなくなるではないか」といって優秀な者から解雇しています。
・部下思いや、先輩や上司を大事にすることでは、数え切れないほどエピソードがあります。

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「嘉南大圳」後の八田與一さん
・1942年(56歳)南方開発派遣要求として招聘され、大型客船「大洋丸」でフィリピンへ向かう途中、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃に遭い、大洋丸が沈没。八田さんもこのため遭難。
・妻の八田外代樹さんは三年後、戦争に敗れた日本人が一人残らず(台湾から)去らねばならなくなったときに、烏山頭ダムの放水口に身を投じて八田與一さんの後を追いました。四十六歳でした。
・八田さんご夫妻に対する台湾人の哀惜の念は尽きない。

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李登輝総統:「八田與一によって表現される日本精神を述べなければなりまん。何が日本精神であるか。八田氏の持つ多面的な一生の事績を要約することによって明瞭になります。」

1.「公に奉ずる」精神こそが日本および日本人本来の精神的価値観
・日本を数千年の長きにわたって根幹からしっかりと支えてきたのは、そのような気高い形而上的価値観や道徳観
・「人間いかに生きるべきか」という哲学や理念を八田さんは教えてくれた。

2.伝統と進歩のアウフヘーベン(止揚)
・絶えず伝統的なものと進歩を適当に調整しつつ工事を推進
・三年輪作灌漑 ➡ 新しい方法が取られても、農民を思いやる心の中には伝統的な価値観、すなわち「ソーシャル・ジャスティス」には些かも変わるところがありません。まさに永遠の真理であり、絶対的に消え去るようなことはないものです。日本精神という本質に、この「ソーシャル・ジャスティス」があればこそ国民的支柱になれるのです。

3.義を重んじ、まことを持って率先垂範、実践躬行する日本的精神
いまや、人類社会は好むと好まざるとにかかわらず、「グローバライゼーション」の時代に突入しており、こんな大状況のなかで、ますます「私はなにものであるか?」というアイデンティティーが重要なファクターになってきます。この意味において日本精神という道徳体系はますます絶対不可欠な土台になってくると思うのです。

「皆さんの偉大な先輩、八田與一氏のような方々をもう一度思いだし、勉強し、学び、われわれの生活の中に取り入れましょう。」
「日本は精神文明の面においても、モラルの面においても、アジアのリーダーになりうる唯一の国であることを忘れてはならない。明治維新を成し遂げた日本は、東西文明の融合地として、いまなお台湾が見習うべき偉大な兄なのである。」
- 李登輝

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大沢たかおが演じる八田與一さんとダム開通のシーン。
https://youtu.be/PvBvkp-r4C4?t=300
映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』(日本台湾統治時代、台湾から一校、甲子園高校野球大会に参加できる。甲子園で準優勝した『嘉義農林学校(KANO)』に基づくノンフィクション映画。)

地図:工事中、八田さんの住処
https://goo.gl/maps/ZQ4JZsdYp98kJeWv7

地図:八田さんの銅像
https://goo.gl/maps/pBeZHXQJhetX2hMo7

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八田さんがセレクトした運搬用機関車はベルギー製でした。

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参考文献・記事:
http://www.ritouki.jp/wp-content/uploads/2015/02/20021119.pdf
https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/3808
Photo by Ren Egawa


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