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”その演奏で何をしたいですか?”という質問に答えられますか?

どうも。RENEW LABのかたやまです。
フリーランスでNPO支援をしながらアマチュアの吹奏楽団でユーフォニウムを吹いてます。
おそらくラボ内でも、一般的にみても、稀有な人種です。

アマチュア吹奏楽団の季節イベントの目玉の一つとしてあるのが、夏の吹奏楽コンクール。
多くの団体が予選や地区大会に臨み、全国大会目指して練習に取り組む、ある意味夏の風物詩です。

ご多聞にもれず私もその一人。

夏といえばコンクール。
な過ごし方がすっかり定着してしまってます。

余談はさておき。
タイトルの文言はコンクール後に審査員からいただいた講評をリライトしたものです。
タイトルにしたのは、いろんな講評の中でこれが一番グサッときたから。笑

こんなことを書かれるということは、お察しの通りで、少し前の地区大会での演奏は、全国大会への切符を逃した結果となりました。

この講評を見て、自分は何を思ったか。
そしてタイトルにあげた「その演奏で何をしたいですか?」という問いにこの投稿を見ていただいた皆さまがどう思考を巡らせるのかを知りたくて、この記事を書いています。

コンクールの在り方自体に疑問を持つ人はたくさんいる

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そもそもコンクールの存在が気に入らない人もいる

別に吹奏楽に限ったことではないですが、「コンクール」というものはクラシック音楽にも形や品を変え存在してます。

基本的に
・審査員(と呼ばれる先達)の前で自分(たち)の演奏を披露する
・審査員の評価で順位が決まる
というのはほぼほぼ共通してます。

吹奏楽コンクールも同じです。加えて、
・課題曲(選択制)と自由曲(団体が選定)で合計12分。オーバーすると失格。
というのが大きな特徴です。

課題曲は作品しだいですがおよそ演奏時間3〜5分。
なので自由曲に割ける時間は7〜9分です。

長い作品が自由曲になると、どうしても演奏したいところ以外は演奏しない、カットするという決定を下さないとならない。

まず波紋を呼ぶのがこの「カット」という行為ですね。

カットは作品の込められた思いや背景をガン無視する行為

という考えのもと、コンクールを忌避するプロアマ問わず奏者・作編曲家が多いのも事実です。

「音楽を評価される」ことへのアレルギー

これはもしかしたらアマチュア特有かもしれませんが、この「音楽を評価される」ことへのアレルギーは結構強力です。
このアレルギーのためにコンクールには出ないアマチュア楽団も多数存在します。

長時間練習するのが苦痛

これもあるでしょう。
今ではコンクール出るのが当たり前の自分ですが、出てない期間もちょっとありました。
その大きな理由はこれですね。

それでもコンクールは楽しい

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コンクールが好きじゃない人の考え方もわかります。それでも個人的には、私はやはりコンクールに挑む意義は一定以上感じてる人間です。

理由はこちらです。

コンクールはいい成長・自己研鑽の舞台

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コンクール、となると普段の定例の演奏会や依頼演奏といったイベントに向けた練習以上にいろんなことに気を使うようになります。

例えばこんな。
・いい音色・音程で吹けているか
・他楽器とのバランス、アンサンブルの調整
・上二つを除く、自分が吹ける音への飽くなき追求(アーティキュレーションやダイナミクスなど)
・楽曲表現自体の飽くなき追求(楽曲の構造や背景、フレーズの狙いや演奏効果など)

普段からやっとけよそんなもん、とプロの方には怒られそうですが。笑
コンクール期間になるとより顕著になります。

そうすると普段の練習からは考えられないくらいの伸びを見せる時があります。

残念ながらコンクールは結果が全てですが、その過程も楽しんだり、さらに自分の演奏を磨いていく機会としてはコンクールはやはりうってつけなんですよね。

演奏以外の能力も鍛えられる

自分の演奏能力を磨くのはもちろんですが、やはりそれだけでは全体の演奏は改善されにくい。

吹奏楽団やオーケストラの合奏の魅力は他楽器とのアンサンブルです。
自分のことだけに集中してる演奏ってどれだけ譜面をさらえててもあまりいい演奏に聴こえないケースはよくあります。私も経験し反省したことがあります。

うちに限った話かもしれませんが、数年前までは指揮者のトップダウン型で音楽づくりが行われてました。
コミュニケーションもそこまで活発ではなかったです。特に本番が近づくにつれ雰囲気が悪くなっていったこともあります。

が、ここ数年はどちらかというと指揮者主導というよりもメンバーも積極的に意見しながら音楽づくりを指揮者とバランス取りながら行う形にしてから、雰囲気もよくなりましたし、練習に要する時間も短縮されてきました。


他の楽器もちゃんと聴く。スコアを読む。
意見を言い合う。


この2行がつけ加わるだけで、練習が活発になり演奏もよくなっていくのが見える楽しみがコンクールにはあると思っています。

コンクールとはいえ「表現する」という行為は変わらない

忌避されがちなコンクールですが、どんな場面の演奏でも「表現する」という行為は変わりません。


今年は特に自分なりの反省が強かったのが、何を表現したいか、という問いに答えられなかったこと。

コンクールはどうしても楽曲の構造を理解し完璧に近づけていく行為に時間が割かれます。
完成形があるプラモデルを組み立てるのに近いのかなと。

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ですが見落としていたのが「それで何をしたいのか、伝えたいのか」ということを見出だし、演奏に落とし込めなかったこと。

さっきの例えで言うと、プラモデルにあえて傷や窪みをつけたり、プラモデルだけでなく周りのジオラマも作っちゃうような。


その勢いまで持っていけなかった、持ってこようともしなかったことです。

残念ながらここに明確な答えはありませんし、それは想像の域を超える何かかもしれません。

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何を大事にするかで、コンクールは自己研鑽の格好の舞台となるし楽しめる**

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何を表現したくて演奏するのか。


これを普段の練習の中で見つけていくことを来年は大事にした方がいいのかもしれない、という自戒もあります。


それ以上に、これができるともっとうまくなれるし全国へ行けるかもしれない、という期待も含めています。

・音楽を厳密に作り上げていく過程を楽しめるか

・作品を全部できないからこそ考える「表現」を見つけ作り上げる過程を楽しめるか


この2つを大事にできる人にとって、コンクールは良いチャンスになると思います。


それじゃあ最後に皆さんに質問させていただきます。
”その演奏で何をしたいですか?”

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