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言葉だって生きてるんだ

こうして毎日ブログを書いたり、Norrで記事を書いたりしていると、どんな言葉を使おうか、どんな表現にしたら伝わりやすいかをすごくよく考えます。このブログも突然書き始めたわけですが、できるだけ話すように、固くなりすぎないように僕なりに気を遣っています。記事を書くときも同じで、幅広いジャンルで書いているのですが、「こんなこと知ってる人いないだろうな」って思う内容にはいかに親しみを持って話すように書けるか、そんなことをいつも考えています。

ライティングの基盤をちゃんと学んでこなかったし、もともと読書は大がつくほど嫌いだったので、全て我流。だから所々で「ん?この表現間違ってない?」「ここでこの言葉を使うの?」そんなこともあるかもしれません。

たぶん日常的に使う言葉ってこんなことで溢れていて、それが若者言葉だったり、略語、外来語だったりするわけです。例えば、僕が今パッと思いついたのは「コミュ障」「ディスる」これって本来の日本語からしたらすごく不自然ですよね。そういえば大学にいるとき色んなところで聞いた「ワンチャン」なんかもいい例かも(僕は最後まで正しい使い方がわからなかった)。

でも、僕はこれでもいいんじゃないかって思います。もちろんアカデミックな文脈ではちゃんとした日本語を使うべきではありますが、コミュニケーションの道具として使う上では、どんどん変化していっていいんじゃないかな。

言葉だって生きてるんだもん

よくよく考えてみると、昔の日本語と現代の日本語には大きな隔たりがありますよね。時代背景やその時の文化によって言葉が生まれたり、なくなって死語になっていく言葉だってたくさんありました。

「ら抜き言葉」っていうのがあるけど、これも抜けてもいいじゃん?って思ってしまう。そっちの方が言いやすいならわざわざ「ら」を言わなくても伝わればそれでいい。そこに神経質になるよりも、話している内容にもっと神経質になった方が、言葉はもっと生きると思うんだ。伝わって初めてその言葉に意味が生まれるとするなら、絶対的にそのキャッチボールの数が多い方がいい。

変化に沿って生きるのに抵抗を感じてしまう僕たちは、どうしてもそこに目がいってしまう。僕の周りには日本語を学ぶ海外の人がたくさんいるけど、そんな細かいところに気を遣っていたらいつまで経っても日本語は古典的なまま。ある程度変化に寛容でいないと。

以前塾講師としてアルバイトしてたとき、小学生の作文の添削を長いことやっていたということもあって、たぶん他の人よりも日本語のミスに目がいってしまう。それに大学入試からこれまでずっと英語でモノを書く訓練をしてきたから英文法のミスにもすぐ気付く。あれ?これ僕が学んだ文法にはない、僕が学んだ文法とは違う。結構あります。

「あー、この子は『ですます』が全然できてないな」
小学生の作文ではこんなの日常茶飯事。主語と動詞が噛み合ってないことなんかもよく起こる。
「私は、将来の世代のためにも環境問題解決に向けていますぐ行動を起こすべきだ」
正しくは「私は、〜〜だと思う」
(もちろん正しい日本語を使えるようにするためにちゃんと指摘しました)

英語なんかでよくあるのが「more easier」
正しくは単純に「easier」だけど、そんなことどうでいい。

今だって、文法的にはめちゃくちゃだけどまともな事を言ってる人はたくさんいるし、その逆の人もいる。極論、言葉の正確性なんかもう放っておいて、言葉の内容にもっと目を向けた方がいい。子どもだけじゃなくて大人でもちゃんとした言葉を使えない人はたくさんいる。よくあるのが二重敬語。「拝見させていただきました」なんかよくみる間違い。

でも、それでもいいじゃん。言葉だって生きてるんだし、文法的に間違っていてもその間違いが多数派だったら、それってその文法が変わってもおかしくない。言葉の文法って絶対的に正しくなんかなくて、あくまでも人間が長い時間の中で作り上げてきたものだから、そのルールが長い時間をかけて変わったっていい。法律が時代とともに変わっていくように。

その変化を「日本文化が廃れる」みたいによく言うけど、そうなってる時点で廃れてるだろうし、言葉として無理に残そうとしなくてもいいんじゃないかなって思う。別の方法で残せるはず。

言葉を知ることがその国の文化を知ることに繋がる

こんなことを聞いて確かにそうだなって思う。北欧なんかでは男性でも女性でもない性別に関係なく使える中性語ってやつが流行っているし、それって国柄をよく表している。そもそもフィンランド語を除く北欧の言語はもともと同じ起源を持つけど、今では結構違ってきている。お互い理解できるけど、変化の過程で微妙に表現が変わったってこともある。アイスランド語なんかは面白くて、珍しく言語的な変化が少なくて昔の北欧語のままって言われている。

言葉に変化があるんなら文化に変化が起きたんだなって、その変化を楽しんだ方が面白い。50年後にでも言語年表なんか作ってみたら、この時はこういう文化が流行っていたのか、って感じですごく面白いと思うんだ。流行語とかその最たるものだよね。そう言う意味で言葉って永遠に不完全であるべきなんだと思う。

言葉だって生きてるんだから
もっと生き生きとした言葉を使っていこう

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今日の一枚。昨日今日と珍しくかなり天気が良くて、家の近くの丘にまたいってサンセットを見に行きました。日の入りをみると嫌なことがあっても、なんだか全部忘れさせてくれる。サンライズよりもサンセットの方が好きです。たくさん喋って、良い日曜日でした。

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