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多様性のすゝめ

僕たちが生きるこの社会は多様性で溢れている。色んな動植物が生きているし、人間社会で見れば色んな多様性が絡み合っている。街を歩けば、エスニックレストランを見かけるし、スーパーに行けば外国の食べ物を簡単に手に入れることが出来る。海外の人が配信する動画をスマホで見ることだって今となってはいつでも誰でも出来る。最近なんかはホテルにも多様性が出てきて、人がいないホテルも有名になっている。グローバル化によって、技術革新によって、たくさんの多様性にアクセスできるようになった現代は絶えず価値観がぶつかり合っている。もちろん良い意味で。

でも、最も身近で忘れてはいけない価値観は「ヒト」の多様性であると思う。物理的で触れるもの(食べ物、レストランなど)はすごく多様化しているけど、人間にそのスポットライトが当てられることはまだまだ少ない。人間こそ多様性で溢れた生き物であるはずなのに、その本質に反してなぜか僕たちは人の均一化を目指してきた。社会というコミュニティーで生きる以上、その状態をカオスにしないためには均一であった方が良い。その方が”支配”しやすいから。まさに「右へ倣え」の慣習。江戸時代なんかは面白くて、「士農工商」っていう身分制度で人を分けていた。社会の構成員を4種に分類するってよくよく考えるとおかしい。けど、これが功を奏したのか265年間にも渡る長期安定武家社会が出来上がった。そして、黒船という当時の日本からしたら異質(本来であれば多様な価値観)によって日本の扉が開かれて、結果として明治維新へと向かっていく。

時代背景によって考える人も違えば、その時によって使える道具も大きく異なったりするから、昔から多様であるべきだったなんて言えない。そもそも僕がその時代を生きていないからそんなことは想像からでしか言えない。でも、今の時代はもっと多様性に寛大になるべきだと思うし、そうならない理由はない。

SNSによって個を発信できる時代になったからこそなおさら、”スタンダード”と言われるであろう人々からはみ出した人が目立つようになった。ここ数年で見ても、そういう”普通”ではない人の数は増えた。たぶん「増えた」という表現は適切でなくて、可視化できるようになった、といった方が正しいんだと思う。スマホが普及してから、YouTubeに動画を投稿するようになってから、Instagramにおしゃれな写真をアップするようになってから、多様性が生まれたわけではない。もともと社会の隅っこで細々と生きていた過去の”マイノリティー”にスポットライトが当てられるように、あるいは自ら光を当てれるようになっただけのこと。

それが「性」っていうジャンルで表れたのであって、「障害」にも表れるようになった。「性」なんかは近年少しずつ日本でも認知されてきている分野であって、これも根本から考えるとハテナが浮かんでくる。オスとメスに分けるのは良いけど、それを正しいものとしていたからその間にいる人たちは迫害されてきた。

身体に障害を持つ人を身体障害者っていうことがよくあるけど、「害」っていう言葉のせいでどうもネガティブな印象を受けざるを得ない。僕が以前知った言葉に「身体ダイバーシティ」というものがある。どこで聞いたかは忘れたけど、よくできた言葉だと思う。個人的には好きな言葉だ。これまで障害という括りで暗黙のままに害悪視されてきた風潮があるけど、そもそもその前提が間違いで、僕たちが与えられた身体には多様性(ダイバーシティ)があるということ。

身体にダイバーシティがあるなら、メンタル面でも多様性はあるはず。アスペルガー症候群っていうのがあるけど、あの有名なアインシュタインもそうだったっていわれているし、発明王トーマス・エジソンもそう。意外にもメンタルダイバーシティを持つ偉人が多かったりする。

身体ダイバーシティもそうだと思うけど、そういう人に限って突出した能力を持っている可能性がある。ノーベル物理賞を受賞したアインシュタインは数学がまるでダメだったらしい。数学の成績が2だからこの人はダメだ、と切り捨てるのはあまりにも勿体無い。ジェネラリストよりもスペシャリストが活躍する現代においてはこういう人は今後たくさん出てくるはず。

だから本来多様性でしかない人が関わることは今度もっと多様化していると思う。わかりやすい例でいうと、働き方なのかもしれない。最近でさえ転職って言葉をちらほら聞くようになったけど、人が多様である以上は変えるべきタイミングもあるだろうし、違う畑を耕すことにも寛大になるべきだと思う。AI時代に備えてポートフォリオを組んでリスクヘッジするっていう考え方も必要なんじゃないかなって思う。

人を均一に育てていくのは少なくとも今の時代にはそぐわなくて、本来一人一人のベクトルが違うはずなのに一方向に向けようとするのは中国の纏足と似ている。そんなことをしていたら日本のアインシュタイン、21世紀のエジソンみたいな人は社会の隅っこに追いやられてしまう。それってすごく勿体無いよね。自分で自分にスポットライトを当てれる時代に生きる以上は多様性はもっと広がっていくべきだ。

人はもともと多様性に富んだ動物だ。
お互いの「違い」に注目して、リスペクトしていけたら
僕たちが生きる地球はもっと丸くなると思うんだ。

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今日の一枚。多様性といえばこれまでなんども登場しているプライドの写真。これはパレード終わりの音楽ライブの様子。これまで悪いとされてきたことを違う視点から見ると意外にもそうでもなかったりする。多角的な視点というやつがもっと必要だ。

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