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左脇のバケット

ブラインドの隙間から差し込む光が優しく朝を知らせてくれる。時刻は7時半を少し回った頃。体内時計もすっかりこっちの生活に切り替わり、目覚ましをかけなくても自然と目が覚めるようになった。疲れの溜まった重い瞼をかすかに開くとそこにはオレンジの光が広がっている。

「今日は晴れか。」

光の微妙な色の違いでその日の天気がわかるようになってきた。ぬくぬくした布団の中でそのまま横になりながらiPhoneを開く。今日も数件の通知が入っているようだ。目を擦りながらNorrの事務連絡のチェックを一通り終えると次はインスタグラム。こっちにきてから自分のアカウントを動かすことがめっきり減った。フォロワーが浮き沈みするNorrのアカウントにはハートがたくさんきているようだ。寝ている間にフォロワーが2人増えた。そんなことに一喜一憂しながら次はFacebookへ。何の前触れもなく思い付きで書き始めたブログも、はや2週間が経つ。就寝前に投稿したブログが誰にも届いていなかったらどうしよう、と少し不安を感じながら恐る恐る開いてみると、親指マークが数十件。ほっとしながらコメントを一つ一つ読んで返信する。橙色の明かりにも慣れ、少し重たい体をのっそり起こす。

2ヶ月前から毎朝欠かさずラジオ体操をしている。凝り固まった体を溌剌とした音楽に合わせてゆっくりとほぐしていく。小学生の頃あれだけ嫌いだったこの体操も、今となっては体が覚えるくらいには馴染んできた。3分半の軽い運動を終えると、なぜだか決まって尿意を催す。日本の実家から持ってきた黄色いビーサンにスッと足指を通してトイレに向かう。パタパタと安っぽい音を立てるこのビーサンは意外と嫌いじゃない。トイレを済ませて洗面所の鏡を覗き込む。すっかりパスタ中心の食生活になりちょっとは太ったかな、と思いながら目線を上へと向けてみる。少し茶色い癖のある毛たちは、いつもの如くそれぞれが思い思いに広がっている。クシャクシャと頭を掻きながら、部屋に戻って靴下を履く。寝巻きは白ティーに膝上丈の黒い短パン。ねずみ色のフーディーに首を通してまたiPhoneを開く。時刻は7時57分。

「おととい買ったバケットは昨日食べきっちゃったっけ。」
そろそろ近くのスーパーも開く頃だ。無駄なものは持ちたくないので、財布から20クローネ硬貨だけを取り出して、部屋を出る。来る前は真っ白に履いていたお気に入りのスタンスミスもノルウェーの予測不能な雨を前にすると少し黒ずんできた。太陽に背を向けてスーパーに向かう。最近の朝は少し肌寒いので、ポケットに手を突っ込んでみる。頭上に広がる真っ青な空とあたり一面に広がる緑に心を踊らせているとあっという間にスーパーの看板が見えてきた。

お目当てはバケット。8ノルウェー・クローネ(100円)で買える500gのこのバケットが朝食のお供だ。バケットはいつも入り口の左手にある。レジに座っているお姉さんに軽い挨拶をして、紙袋の中で大人しくしてるバケットを一つ手に取る。ノルウェーではスーパーに置いてある機械で自動で薄くスライスしてくれる。いつものようにセットしてゴゴゴと機械を動かす。薄くスライスされたバケットを再び紙袋に入れて他の商品の誘惑を感じながらもそのままレジへ。開店後数分しか経ってない店内にはお姉さんと僕しかいない。さっきポケットに入れた20クローネ硬貨をサッと取り出してお姉さんに渡す。

「袋はいる?」とお姉さん。
「あ、大丈夫です。レシートもらえますか。」と僕。もはや常套句になってきた。

レジで聞こえるノルウェー語なら少しわかるようになってきた。片言のノルウェー語で返してバケットとお釣りとレシートを受け取る。ノルウェーに来てからレシートを必ずもらうようになった。家計簿をつけるためでもあるけど、どれくらい消費税がかかるのかを一つ一つ確認するのが趣味になった。ノルウェーではモノによってかかる税率が変わるためだ。

バケットを左脇に抱えてスーパーを出る。左手はポケットの中。バケットはすっかり冷たくなっている。なんでもないごくごくふつうのバケット。右手で切れ端をつまんで口に入れる。プレーン味の奥に隠れている塩っぽさと、小麦のほのかな薫りが口の中にほんのりと広がって、なんだか嬉しくなる。100円で感じられる素朴な幸せに少し浮き足立ちながら部屋に戻る。前に近くのショッピングモールで買った1000円のケトルのスイッチを入れ、お湯が沸くのを待つ。その間にジャムとお皿を取りに共用キッチンへ。よくわからない銘柄のコーヒーの粉を匙2杯分。部屋中に広がるコーヒー豆の匂い。「そろそろ沸いたかな。」

熱々のお湯をフィルターに注いでいく。「ジョボジョボジョボ、、」フィルターからマグカップに落ちるこの音が何にも例えられない。この音を聞きたくてついついお湯を入れすぎてしまう。あっという間にマグカップいっぱいになって、出来立てのコーヒーをすする。程よい苦味とあっさりした酸味がノルウェーのコーヒーの好きなところだ。さっき買ったバケットに少し甘いジャムを塗って頬張る。ついでに爽やかな音楽をかけてみる。最近の流行りはジェイソン・ムラーズ。

どこにでもあるようななんでもない朝を感じて、今日も頑張ろうと思える。

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いつもの朝を少し小説調で書いてみました。なんの変哲もない朝ですが、こっちに来てからこんな朝を過ごすようになりました。心に少しだけ余白ができたんですかね。今週も頑張っていきます。


今日の一枚は少年たちの戯れ。ある日の夕暮れときの、街の高台での写真です。仲の良い少年たちがキャッキャッと笑い声をあげながら遊んでいる様子。やっぱ遊戯って大切ですよね!

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