見出し画像

「みんなができること・かんたん・たのしい」までの道程は遠い?

株式投資は、みんなができること・かんたん・たのしい
投資信託は、だれもが株式投資をはじめ、続けられる仕組み

こんな風に認識してくれる人を一人でも多くふやしたいなあ、と私は考えています。

さて、先日、こんなコラムを読みました。

本当の投資の普及を図ろうとする人は、長期投資の名のもとで、投資対象の価格変動よりも、そこに内包された価値が長期的に実現していく過程を強調するのですが、その努力が功を奏したとしても、おそらくは、一般の認識は、長期投資とは、上手な投機、あるいは長期の投機だということにとどまるのです。
こうした発想の倒錯は、関係者のなかでは異常なことだと気付かれないのでしょうが、一部の心ある人が長期投資の重要性を叫び、短期的な価格変動にとらわれないように訴えたとしても、一般の常識からすれば、短期的な価格変動が長期的に投資収益を生むとは考え得ないはずで、仮に納得したとしても、長期投資とは、長期の投機だという理解になるほかありません。おそらくは、ここに投資信託の普及を妨げる最大の原因があるのです。

なるほどなぁ、と思うと同時に、より強く感じたことがあります。

表現、言い回しが独特過ぎて分かりにくい!

森本さんはおそらく業界に良く通じた人たちが目の前にいるという想定でこの文章をお書きになったものと想像します。しかし、ごく普通の人にはとてもとっつきにくく感じるのではないでしょうか。

この文章はこう結ばれています。

それらについては、国民は専門的知見をもつ必要は全くなく、金融機関の責任のもとで適切に提供されればいいことです。

金融業界の中の人たちって、金融機関とそれを利用する消費者との間には「情報の非対称性」があって当然、難しいことは金融機関に任せればええねんや、と考えているんだなー。そんな風に私は受け止めました。が、実のところ、最後のパラグラフ全体は意味、何を伝えようとされているのか、が今一つ理解できませんでした。

「情報の非対称性」がゼロになるなんてことは起こり得ない、と私も思うのですが、「非対称性があって当然」という意識が強すぎる限り、私は #株式投資  も #投資信託  もその社会の浸透はのろのろと今までとあまり変わりないペースでしか進めないと考えています。となると、「株式投資は、みんなができること・かんたん・たのしい」も「投資信託は、だれもが株式投資をはじめ、続けられる仕組み」も、のろのろとしか進まない。

業界側にいる人たちの多くは、きっと「情報の非対称性」を維持したい、堅持したいと考えていると思うのですが、それじゃあ変わらないでしょ!という意識をもって、11月6日のイベントに臨みたいと思っています。

11月6日のイベントへの意気込み、込めた想いを綴ったノートは、昨日もつくったので、良かったらご覧ください。



サポート頂いた際は、TableforKidsへの寄付に使わせていただきます。 https://note.com/renny/n/n944cba12dcf5