愛だろ_アイ

「投資信託が愛される、リスペクトされる未来」をつくりたい! #noteでよかったこと

こちらのnoteで「つくってみたい!」と発信しました。

じゃあ、何をつくってみたいのよ?

と自分に問いかけてみました。

そしたら、自分のnoteに答えが載ってました。

私は「投資信託のある暮らし」をつくりたいんだ!

「投資信託のある暮らし」をもう少し具体的にできないか、と考えてみて、とりあえず思い浮かんだのが

「投資信託が愛される、リスペクトされる未来」

でした。今後呼び方が変わっていくかもしれませんが、現在言葉にするならこうなるかな、と。

鳥羽周作さんの↑のツイートから頂きました。愛、そして、リスペクト。

What - 「投資信託が愛される、リスペクトされる未来」


「投資信託が愛される、リスペクトされる未来」って何?ということについて、まず書いてみます。

質問です。

今、投資信託って愛されていますか?

今、投資信託ってリスペクトされていますか?

愛されている、リスペクトされている投資信託って何か思い浮かびますか?

皆さんのお答えは如何でしょうか。

私は、自分自身が今、毎月買付けている投資信託を愛していますし、それに関わる皆さんをリスペクトしているつもりです。情報開示の問題もあって、投資信託を通じてご縁を頂いている会社を全てタイムリーに把握できていないので「つもり」としています。

ただ世の中的には、株式投資に対する根強い偏見(「ギャンブルでしょ」「お金持ちのやることでしょ」「そもそも関係無いし」)もあり、投資信託が社会から愛されている、リスペクトされているとはおよそ言い難いのが現状だというのが、私の見方です。

この文脈からすると、株式投資に対する偏見を何とかしなきゃいけないわけですが、その役割を投資信託が担えると、私は考えています。

投資信託は非常にユニークな特徴を持っています。その製品を買った人、つまり、投資家がその使い心地、出来栄えに影響を及ぼすことができるのです。株式市場が元気が無い時には、投資信託の値段は下がります。でも、そんな折でもコンスタントにお金が集まってくる投資信託は、株式市場が元気を取り戻した際に、元気が無かった頃の積み重ねが報われる可能性があるんです。そういう時期にもお金が集まってくる投資信託は、信頼されている、言い換えれば、愛されていたり、リスペクトされているんだろう、と思います。

「投資信託が愛される、リスペクトされる未来」をもう少し、具体的にするとしたら、こういう感じかもしれません。毎年100貯蓄するとします。そのうち10とか20を投資信託に充てる、買ったり買わなかったりではなく、コンスタントに毎年買う人がドンドン増えてくる、これが「投資信託が愛される、リスペクトされる未来」で「投資信託のある暮らし」と言えるような気がします。

Why - 「投資信託が愛される、リスペクトされる未来」


「投資信託が愛される、リスペクトされる未来」をなぜつくりたいのか?

こちらのマガジンで毎月お伝えしていますが、私は15年以上投資信託をコンスタントに買い付けることで、山あり谷ありでしたが、資産形成を進めることが出来ました。4年以上評価損を抱えたこともあったものの、そこでもマイペースで追加買付を続けたことが奏功しました。そういう経験を基にすると、「投資信託って素晴らしい!」と深く感謝していますし、愛やリスペクトも抱くようになりました。

しかし、上述の通り、「投資信託って素晴らしい!」と感じている人は圧倒的に少数派ではないか、と。ネガティブな評価の方が圧倒的に多いのではないか、とさえ思うのです。投資信託を取り巻く環境、製品そのものの問題、販売手法の問題、そして、実際にそれを購入する投資家の問題が、そうした評価を、投資信託が誤解されてしまう状況を、つくりだしているのではないでしょうか。

How - 「投資信託が愛される、リスペクトされる未来」


では、どうやってつくるのよ、「投資信託が愛される、リスペクトされる未来」って?

色々と考え中です。すみません。

note等を通じて、あらためて感じているのは、これまでの考え方ではダメというか、イケてないだろうな、ということ。役所や業界のアプローチは何かが違うなあ、って。

自分の考えを基にして選んで買う!と決める際に基準とするモノサシが、特に若い世代の人たちの間では違っているんじゃないか、ということです。「自分自身」や「効率」「費用対効果(いわゆるコスパ)」を大事にする人もまだまだ多いでしょうけど、それだけでいいの?という人が増えつつある。「(自分の周囲という意味も含めた)環境」「共感」「納得性」「参画感」が(も)大切だという人も増えているんじゃないか、ということです。役所や業界は前者を重視する枠組から全く抜け出せていませんが、それって何十年やってきたものの、成果が乏しかったやり口なんですよね。何か、というか、まるっきり違うのかもしれない。

もちろん、これは私の仮説に過ぎません。が、この仮説を基に、今、Howを色々と思案しているところです。

おまけ

「投資信託のある暮らし」とか偉そうに言ってますが、わが身を振り返ると、実はまだまだ全然です。

私は、妻と二人の息子(高1、中1)と暮らしていますが、暮らしの中に投資信託がビルトインされているのは、私だけです。ここからまず何とかしないと(笑)。そろそろいい加減に何か行動しなきゃいけない、と考える今日この頃です。

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