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運用会社は運用の話をしなきゃダメでしょ?!

"運用会社の人間が運用を語るな"

正直、驚きました。

#ステキな投資信託をそだてましょう  と常々考えている私は、投信会社(運用会社)の情報発信(月次レポート等)や投資家との関係づくり(運用報告会等のイベント)に長く注目しています。

"運用会社の人間が運用を語るな" の続きは、こうなっていました。

運用を語ってしまうと、その話に食いついてきたお客様は、運用にしか興味がなくなるわけです。あの会社は運用が上手いとか、下手だというふうに。でもお客様にとって本来の目的は、運用の上手い下手を見極めることではありません。

言わんとすることは、ちょっぴり(ほんのちょっぴりですよ!)分かるような気もします。「運用を語る」が、「儲かった、損した、騰がった、下がった」ということ中心になってしまっているからではないでしょうか。

「参考指数は今月x%の上昇となる一方、当ファンドは・・・」とか「当ファンドの組み入れ銘柄のうち、y社の株価が堅調に・・・」とか、そんな話です。これらの話は、投資先の会社の株価のお話です。市場からどう評価されているか、それもごく短い1ヶ月の間のお話。「価格」視点のお話です。中には、株価の動きを説明できるような材料もあわせて紹介しているケースもあります。確かに「運用を語る」ということが、「価格」視点のお話ばかりになっていれば、それに触れている人たちは短期的な価格の動きから「運用の上手い、下手」を判断しようとするかもしれません。しかし、「運用を語る」際に、語れるはずのコトは「価格」、株価の動きだけではありません。なぜその投資先を選定したのか、買ったのか、売ったのか、どんな基準で、どのような調査を通じて、その「価値」を評価したからその判断に至ったのか、たとえば、「短期的な市場の動向ではなく投資対象の価値を重視して選別投資」することを投資家に約束しているのであれば、それをどのような行動を通じて実現しようとしているのか、を丁寧に、出来る限り具体的に説明すること、これも「運用を語る」ということではないでしょうか。

「運用を語る」とは、託されたお金をどれだけに大切に、丁寧に扱っているかを伝えようとすること

先日参加したイベントで、投資信託への理解や支持が広まらない理由の一つとして「納得感」という言葉が挙げられていました。

投資信託が、それを運営する投信会社(運用会社)が、投資家からより多くの「納得感」を得るためには、託されているお金をどれだけ大事に、丁寧に、取り扱っているかを伝えようとすることが何より大事です。

投信会社がお金をどう扱うか=運用

でしょう。つまり、「運用を語らない」とは、託されたお金についてどんな取扱いをしているか、長期の目線で「価値」の認められる投資先はどんな会社で、それをどのようなプロセスを通じて選別しているのか、について、伝えようとしない、その努力を行わない、ということのように感じてしまいます。

投資信託の短期の値動きを見て、運用の上手い、下手を判断するのは悪手だ。

こうしたメッセージを粘り強く発信し続けることも「運用を語る」の一つだと思います。

「運用を語るな」というのは、お金を託される投信会社と託す側の投資家との間にある「情報の非対称性」を維持したい、そう考えているのではないか、旧態然とした業界の考え方そのものではないか、とさえ感じてしまいます。この文脈で「生活者」という言葉を持ち出すことに少なくない違和感があります。

「運用を語る」が「納得感」をそだてる

視点を大きく転換します。

#IKEUCHIORGANIC  さんのタオルの取り扱いを開始された #わざわざ  さんの作成されたページ。そのタオルが、どれだけ大切に、丁寧につくられているか、が生活者の目線で、優しく、温かく語られています。触れることで、その一瞬で「うわっ!」と感動できるタオルなのに、ここまで「運用」を伝えようとしているのです。

その良さを実感するのに相応の時間が掛かってしまう投資信託にあって、「運用を語らない」なんて、、、

とにもかくにも、「運用を語る」(:託されているお金をどれだけ大切に、丁寧に、扱っているかを伝える努力を継続する)運用会社、投資信託がふえていくことでしか、投資信託が深く根付く、広く支持され、愛される存在にはなり得ない、と私は思います。


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