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近づけない場所から、地域の誇りへ。南池袋公園のつくり方 | エリア再生/南池袋公園 東京都豊島区(2019年掲載事例記事)

※本記事は、弊社旧ウェブサイト(rerererenovation!)からの移行記事です。2019.12.26に制作/更新されたもので、登場する人や場所の情報は、インタビュー当時のものです。



南池袋公園ってどんなところ?

「南池袋公園に寄ろうよ!」「南池袋公園で会わない?」 池袋界隈にとどまらず、そこかしこでそんな会話が聞かれる昨今。広く青い芝生が広がり、料理もムードもいいカフェがあり、無料Wi-Fiがあり、くつろぐ人たちの顔には晴れ晴れとした明るさが宿る。この魅力あふれる公園は、以前は「危ないから行っちゃだめ」と、子どもたちが親から回避を促されるような場所でした。しかし、バブル崩壊後は深刻な財政難に直面し、行財政緊急再建計画が打ち出されるほどの状況のなか、公園を再建するゆとりはどこにもなかった豊島区。

仮囲いされた日々が6年半も続いた末、2016年4月にリニューアルオープンした南池袋公園を見て、「変わりっこないと思っていたものが、変わった」と、多くの都市生活者が衝撃を受けました。また、このように明確なビジョンを持った公園が誕生し得たことをきっかけに、池袋周辺エリア全体さえも大きく変わろうとしています。そこには、裏側で奔走し続けた人たちの熱い思いと突き抜けた発想がありました。

2016年4月にリニューアルオープンした南池袋公園。平日にも休日にも、まちの内外の人々が集まり、思い思いに過ごす光景がある(提供:株式会社nest)


南池袋公園ができるまでのストーリー

STEP 01 こんな経緯から始まった

荒んで近づきがたかった公園に、変化のチャンス

リニューアル前は、月に4回行われる炊き出しごとに何百人ものホームレスが集まっていた 
寺院の隣に位置する南池袋公園の敷地。かつてはうっそうと木々に覆われていた(提供:すべて豊島区都市整備部公園緑地課)


現在は池袋の話題スポットとして華々しくメディアに取り上げられることの多い、南池袋公園。その姿からは想像しがたいことに、リニューアル以前は、多くのホームレスが集まることで有名な場所でした。その頃、深刻な財政難に直面していた豊島区は膨大な数の公共建築の維持管理経費と人件費が赤字を招いており、区の公共施設を整理する方向で大きく動き出していたため、公園の再整備に着手する余地などあるはずもない状況でした。当時の豊島区公園緑地課長だった石井昇さんは、悪化する公園環境を目の当たりにしながら策の打ちようのなかった当時を振り返ります。

「公園の噴水のモーターすら修理できないほどでした。荒んだ南池袋公園には段ボールハウスが並び、バブル崩壊後の格差社会について問題提起する番組でしばしば南池袋公園が取り上げられ、池袋周辺にはさらにそのイメージが定着していく。まさに負のスパイラルが起こっていました」

ところがある時、チャンスが訪れます。2007年のことです。「南池袋公園の地下に変電設備を建設したいので、土地を貸してもらえないか」と、東京電力から打診があったのです。話を受けた石井さんは、「ひょっとしたらこれで公園問題が一気に解決するかもしれないぞ」と直感したと言います。


STEP 02 ピンチをチャンスに

エリアの課題を重ねて解決する発想

上空から見た、現在の南池袋公園。区役所新庁舎との距離は200mほど
路上駐輪が広がるグリーン大通り(提供:すべて豊島区都市整備部公園緑地課)


当時、豊島区は池袋東口エリアに新区役所の建設計画などいくつかの大規模な開発計画を持っていました。そんななか、開発予定地である区役所新庁舎エリアに近い南池袋公園は、東京電力にとって最適な場所だったのです。この地下に変電所を建設すれば、新庁舎までのケーブル敷設費を圧縮でき、上部にビルもないので解体による移設などの心配もない。将来的にも安定して電力を供給できる好条件が揃っていたのです。

一方、豊島区としても地下に変電所ができれば、東京電力から支払われる復旧費によって公園を再整備することができ、今後は地代も入ってくる。さらに石井さんは、地下図面を見て気付きました。

「この余剰空間に“駐輪場”もつくれるのでは?」

「実はこの頃、同じく地域の課題となっていたのは、池袋駅前から延びるグリーン大通り沿いの路上駐輪場の状態だったのです。もしその駐輪場を地下に移すことができれば、 “駅周辺の歩行者空間化”も同時に実現できると思ったのです」

交渉の末、公園部分の面積が縮小されるものの駐輪場整備も併せて成立させる、ということで話がつきました。東京電力と豊島区は、まさにWin-Winの関係を築くことができました。

ピンチをチャンスに変え、そのチャンスを掴むだけでなく、そこから新たなチャンスを絞り出して生かし切ることを考えた石井さん。

「だって、『地域課題の解決を』と財政課に相談しても、『お金見つけてきてからの話でしょう』と言われるだけですからね。本気で解決するためには、補助金を獲るか、もしくは今回のように外から入ってきた話に区の課題をどう重ねてどう稼ぐか、自らが考えるしかない」


STEP 03 連携事業者を選ぶ

ともに公園の未来をつくる事業者は、地元への熱意で選ぶ

現在までの公園づくりの様子を振り返る石井さん(左)と渡邉さん(右)(撮影:馬場未織)
株式会社グリップセカンド代表の金子信也さん。南池袋公園内にオープンした「Racines FARM to PARK」の前にて(提供:株式会社nest)


整備工事のため、2009年より公園は一時閉鎖。その間、整備プランを地域で考えようと住民参加のワークショップを行うことにしました。

「ところが、町会と商店会の意見がまったく合わず、どうにもまとまりません。地域に良かれと思って行ったワークショップで地域分断が起きては元も子もないので、中止せざるを得ませんでした」

住民参加のワークショップは崩壊。ひとまず冷却期間を置くことにして、石井さんはそれぞれの意見を個別に聞いていきましたが、話し合い再開のメドは立たず、平行線のまま月日は流れていました。

そんななか、2011年3月、東日本大震災が発生。池袋駅前は大混乱、あいにく南池袋公園は地下掘削中で立ち入れないということもあり、帰宅困難者がまちに溢れる事態となります。これが公園が担うべき役割を改めて考える機会となり、「まず区が南池袋公園整備基本計画をつくり、地元に提示する」という方向へ転換されていきます。

とはいえ、町会や商店会の人たちの苛立ちは沸点に達しようとしていましたから、生半可な計画はつくれません。「小さい頃遊んでいた公園を誰も来られないような状態になるまで区は放置しただろう。今回も中途半端な提案を持ってくるようだったら、公園緑地課長をやめてもらう」といった厳しい声が飛ぶなか、石井さんは突き抜けた設計によって地域の思いに応えていける実力者をプロジェクトに引き入れることを考えます。豊島区の新庁舎にてランドスケープを手がけていた平賀達也さん(ランドスケープ・プラス代表)を、公園設計者として区が選定したのです。

豊島区在住という当事者でありながら、公園がまち全体へもたらす効果を俯瞰できる彼は、「気持ちのいい緑の下で美味しいものを食べられる公園」「防災のために広々とした場が確保されている公園」という未来のあるべき公園像を提案。これをもとにカフェが併設される全体計画となり、さらに・カフェ・レストラン運営事業者選定のプロポーザルが行われることになりました。


STEP 04 利用者本位の公園づくり

自分たちの公園は、自分たちでまわしていく

リニューアルオープンのセレモニーが明けると、すぐに来場者が芝生の上で思い思いに過ごす光景が広がった(提供:上、中/株式会社nest、下/豊島区都市整備部公園緑地課)


石井さんは、なによりも「区としてこのカフェに何を求めるのかを明確に示した募集要項づくり」に力を注いだといいます。
「実は、試しに経営コンサルタントに周辺調査を依頼してみたところ、『ここにカフェをつくってもまず失敗します』と言われまして(笑)。たしかに公園近くにできたドーナツ屋もカフェも潰れた実績がありましたからね。そんな状況にも打ち勝って挑戦できる事業者を求めて、募集要項への反映にも非常に気を遣いました。今までにないものをつくるための努力です」

さらに、当時、国土交通省から豊島区副区長に着任した渡邉浩司さんもこのプロジェクトに加わることに。事業者選定に行う際に渡邉さんが強く意識された点があったそう。

「事業者選定のポイントは、なによりも『ここを拠点にして地域を変えていくんだ』という熱意とまちにインパクトを与える力を持つ尖った事業者であることでした」

大手カフェチェーン店も含む10事業者の応募の中から選定されたのは、池袋の文化形成に大きな影響をもたらしたと噂されるレストランである「GRIP」や「RACINES」などの経営者・金子信也さん(株式会社グリップセカンド)。彼の提案とは、「レストランの運営を、オール豊島区民でやります!」というものでした。さらに、“公園へ行く”という区民の習慣づくりにまで言及。カフェのつくり手も使い手も公園に関わるチームメンバーとして育てていくんだという情熱は他を圧するものでした。

区民による、区民のための公園。このスタンスは、2016年4月2日の公園リニューアルオープンイベントにおいても揺るぎませんでした。「日常がここにあるようなオープニングがしたい」という思いから、行政としてのセレモニーはテープカットのみとして、描いていた公園の日常の風景を初日から実現。6年半待ってようやく開放された公園で「思いっきりくつろぎたい」という区民たちの思いを最優先させる判断でした。

表立って見えないところにも、その精神は貫かれています。それが、税金に頼らない公園運営の仕組みづくりです。公園の維持管理費は、東京電力変電所の地下占有料と東京メトロ有楽町線の地下占有料に加え、カフェ・レストラン事業者の建物使用料を資金源に。カフェ・レストランの建物使用料については、固定分とは別に、一定金額以上の売り上げが発生した場合には歩合分で10%を徴収。直接公園に関わるお金だけで成り立つ仕組みづくりは、将来に渡って持続的な維持が可能な公園づくりと同義だからです。


STEP 05 賑わいをまちに広げる

公園効果で歩行者が増え、まわりの店が賑わったとき、初めて成功と言える

オープン後も、週末を中心にさまざまなイベントが日常的に開催されている
(提供:株式会社nest)


オープン以来、口コミで来園者がどんどん増えています。平日には周辺の住民や会社勤めの人たちが、休日には遠方からも多くの人が訪れて、賑わいが絶えません。実は、嶋田洋平さんの建築事務所もすぐ近く。「池袋は、新宿や渋谷と比較され続けてきた」と言う嶋田さんは、南池袋公園オープニングの日を振り返ります。「ぽっかりと広がる芝生の真ん中に立った僕は、ああ、新宿や渋谷にない光景を手に入れたな、と思いました」。

長年に渡る南池袋公園の紆余曲折に寄り添ってきた石井さんは、新しい南池袋公園が生まれたことでまち全体が大きく変わりつつあると実感しているそう。

「商店街の人たちは、公園ができて歩行者が多くなったと喜んでいます。周辺の民間事業者が稼ぎやすい状況をつくり出すのが、公共にとっての“いい仕事”。今後、公園のまわりに新しいお店ができ、それが賑わい、定着していけば、この公園事業は成功だったと言えるかもしれませんね」


STEP 06 境界を越えて地域課題を解決する

「稼ぐ仕組み」を考えられる行政であること

南池袋公園の開園とともに、地下駐輪場ができ、グリーン大通りからは大量の駐輪自転車の姿が消え、池袋の風景は大きく変わりました。ただ、これは始まりに過ぎないと、渡邉さんは言います。

「公園は公園、道路は道路、ではありません。本気で制度を変えるためには、同時多発的にコトを起こし、それらの相関関係の中で出てくる課題を解決していく作業が必要です。これからは、社会実験や国家戦略特区などでオープンカフェやマルシェを道路上で行うといった自治体と民間が連携した取り組みをどんどん推進していきたい」

子供連れや若い女性たちの来街者が驚くほど増えたのは、「あのまちに行けば、きっといい時間が過ごせる」と明確にイメージできるようになったから。広々とした芝生でのびやかに走りまわるこどもたちを想像し、カフェでくつろぎながら満たされる自分を想像し、木漏れ日の美しい大通りをのんびり歩く自分たちを想像する。そして、実際に思い通りの1日が過ごせれば、「また来よう」と思える。さらに、「ここで暮らしたい」と思う人も多くなるはずです。

公園に訪れたチャンスが、池袋駅東口周辺エリアを変えるチャンスにできたのは、 “税金を使うだけのまちづくり”から“お金を稼ぐまちづくり”へと行政が意識を変えたからだと言えます。稼ぐことを考えると、必然的にまちは、具体的な目標を持ち、特徴や魅力を生かし、無駄をなくす努力をするようになる。でもこれは、民間にとってはごく当然のこと。つまり、稼ぐまちづくりを目指すことで、行政は民間と意識の隔たりのない連携がとれるようになるのです。財政難のなかで石井さんが絞り出した“公共空間それ自体が稼ぐ仕組み”は今、豊島区に大きなベネフィットをもたらし、区民生活も豊かにしています。

日本の多くの公共空間が以前のこの公園と同様に、課題を抱えたままスタックしている状況にあるはずです。南池袋公園は、「変わらないはずのものが、変わった!」と、特殊な事例のように賞賛されることがありますが、やり方を変えた行政・地域を良くしたいという民間の熱意が合わさって、ともに公園とエリアの未来の姿を描き「強い意志」を持って着実に変化を起こした事例です。このような変化を起こすことができる空間が、これからも全国にたくさん生まれるかもしれません。ぜひ、あなたのまちの気がかりな公園や道路を思い浮かべながら、南池袋公園に足を運んでみてください。


(Writer 馬場 未織)

エリア再生 南池袋公園
住所 東京都 豊島区南池袋2-21-1
URL  http://ikebukuropark.com/mip-greenblvd/
運営 豊島区都市整備部公園緑地課