落下予感001-01(BLノベルです)

深夜、小さなアパート、暗い部屋。
目の前にあるモチーフの林檎にカッターナイフを突き刺した。腐りかけていたそれは、哀れに形を失って。

ひととおり切り刻んでも衝動は収まらず、そのまま素手で壁を殴りつける。
何度も何度も……左手から血が滲んだ頃、俺の部屋のドアを激しくノックする音が。午前三時のことだった。

「ウタ、ウタヤ!やめなよ、ねぇ!?」
隣の部屋に住む奈智野秋だった。こんな時間に起きてるなんて。いや、壁を殴った俺が悪かったのかもしれない。起こしてしまったのだろう。

なちがあまりに騒ぎながらドアをノックするものだから、仕方なく部屋の鍵を開けた。飛び込んでくるなちは背ばっかり大きくて、小柄な俺と視線を合わせるのさえ苦労する。
なちの乱れた金髪が顔にかかる。
彼はそんなことも気にせずに、半ば無理矢理に俺を持ち上げるように抱きしめた。

「左手、血が出てるじゃないか」
「それが何?関係ないね」

イライラがおさまらないからなちの太ももを蹴飛ばす、だけど彼は動じることはない。

「今日はなに、どうしたの?」
「別に!」

午前三時のテンションだ、俺だってよくわからない。

しいて言えば、腐りかけの林檎をデッサンしていたら、俺自身の心が腐りかけているのに気がついてしまった、それだけで。
「どこにも完璧なものなんてないんだ、ウタヤ。そんなに自分を追いつめないよ」
その言葉が心を突き刺すから、また俺はなちの足を蹴り上げた。

「お前だって俺を馬鹿にしてるんだろ?」
「してないよ」
「いつも見下した顔してるくせに」
「おれの身長が伸びすぎただけ。ウタヤを馬鹿にしてるつもりはない」

なちとやりあっていたら、知らないうちに涙まで浮かんできた。

こんな気分じゃもう今日は絵なんて描けない。

「ウタヤ、描けないときは無理して絵を描かなくていいんだよ、みんなわかってくれるからさ」

「うるさい!」

「……ウタヤ、大丈夫」

「う、うるさい!」

19歳の新進気鋭の"天才アーティスト"。調子にのっているのだと、一部で言われてるのは知っていた。詩屋正彦はあと一年もすれば大人になる。もう誰も守ってなんてくれない。

「嫌いだ! お前も他の奴らも!」
「うん」
「大嫌いだ!!」
「……うん、ウタヤ」

なちはそれきり黙って俺を抱きしめ続けた。これだけ体格が違うと、抱きしめられても拒否することすら出来なくて。

朝が来たのに気付いたのは午前八時のアラームだった。なちがかけていったのだろう。月曜日、授業は朝から夕方まで、別に学校なんてサボってしまっても良かったのだけれど。

ダイニングに用意されたサラダと目玉焼き。なちは気がききすぎて、だからこそ反発したくてたまらない俺がいる。

不完全な俺と完璧ななち。
ろくでもない自分なんか消えてしまえばいい。

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