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ロジャーインタビュー(Classic Rock誌 2013年)

(From; The Complete Story : Queen /Originary from; Classic Rock September 2013)

「ここまではいい人生だった。 自分はとてもラッキーだ」


史上最も成功したロックバンドのひとつの一員である利益で、推定1億2000万ポンドの資産を持つロジャー・テイラーの自宅は壮大である。サリー州ギルドフォード近くの絵画のような村に位置する、一部は13世紀にまで遡る白い豪邸で、なめらかに傾斜して綿々と連なる野原や林を見渡せる何エーカーもの美しく造られた庭の中に建っている。

ここに10年暮らす間に、テイラーはいくらか個人的なタッチを加えた。正面入り口のやや仰々しい屋根つきポーチの下には二頭の黒いゴリラ像。庭には金属のフレームをつけた巨大なゴング。過去のクイーンのツアーの記念品だ。

より実利的には家の中に録音スタジオがあり、暑い夏の午後、テイラーはクラシックロック誌をそこで歓待してくれた。カジュアルな装いでドラムキットの横に座り、冷えたフランスの白ワインをちびちびやりながら、クイーンのドラマーであり、またそれだけにはとどまらないテイラーには語るべきことが多くある。

彼はこの9月に以前のソロ作品コレクションとともに新しいソロアルバムを出す。10月は「公式のトリビュートショー」と宣伝されるクイーン・エクストラヴァガンザのツアー。そして年内には「アメリカン・アイドル」出身のシンガーアダム・ランバートとクイーンで、アメリカのTV用にラスヴェガスでのライブパフォーマンスだ。

クイーンのデビューアルバム発売から40年、そして伝説的なフロントマンフレディ・マーキュリーの死から21年、クイーンの過去、現在、未来をテイラーが語る。その傑出したキャリアの浮き沈み、彼とマーキュリーの関係、ギタリストブライアン・メイとの長きに渡る友情、彼とメイが現在取り組む「失われた」クイーンの楽曲、そして、64歳の現在もなお新たな音楽を生み出す原動力とは。「自分はミュージシャンだ」と彼は言う。「これがやるべきことなんだ」

早速本題に入りましょう、ロジャー。クイーンの今の状況は?
残っているのはブライアンと自分の二人で、歩けるのは一人だけだが(笑)、まだ続けているよ。それが現状だ。

クイーンがあなたとブライアンの運営するブランドだとしたら、アダム・ランバートはどこに収まるのですか?
アダムが常にクイーンの一部になるとは言わない。彼とそのほか何人かのゲストとでヴェガスの10,000席規模の会場でテレビ番組をやるが、今のところ予定はそれだけだ。ルールというものはなく、その時どきで思い立ったことをやっている。

しかし、クイーンとしてのパフォーマンスはアダムがいてもいなくても続けると?
まあね。でも今のところは時々の話だ。昨年はアダムとヨーロッパで3度の大規模ライブ、それとハマースミスアポロで3度のライブがあり、とても楽しかった。もうはるか昔に、ブライアンと自分はこれが自分たちのすべきことで、自分たちのあり方だと悟った。だから申し訳ないがずっと続くよ、読者諸君。

クイーンのシンガーとしてアダムには満足していますか?
我々ととてもうまくやっている。アダムは驚くべき歌い手だ。本当に人を引き付けるステージでの存在感があるし、とてもセクシーだ。我々のより演劇的な曲との相性は完璧。彼はディーヴァ、男性ディーヴァだな。それが彼の追求すべき姿だよ。

アダムとの前に、クイーン+ポール・ロジャースでツアーをし、アルバムもレコーディングしましたよね?
ポールはフレディが称賛したシンガー。フリーとバッド・カンパニー、偉大なバンドを二つ率いた。その意味ではアダムと正反対だ。フリーやバッド・カンパニーの曲をポールとやるのはすごく好きだったね。ただ不思議なことに、ポールのブルース、ソウル系の歌声は素晴らしかったが、クイーンの壮大な曲の数々はアダムの方が似合う。

クイーンのファンには、「アメリカンアイドル」出身の人物の起用はバンドを軽んじていると考える人もいます。それは理解できますか?
こちらが何をするにしても、受け入れるか、そうしないか選択してもらうだけ。どんな場合でもそうだ。

この新しい「公式トリビュートショー」、クイーン・エクストラヴァガンザも同じですね。正確にはどういう意味なのでしょう?
いい質問だ。我々が、というより自分がだが、制作しているということだよ。世は実に多くのクイーンのトリビュートバンドであふれていて、うまかったり下手だったりだ。だから卓越した演奏力の本当にうまいバンドを作ればいいのではと考えた。インターネットでオーディションをしてアメリカでバンドにまとめたんだ。自分が見つけたマーク・マーテルというシンガーはフレディと全く同じ声をしている。

マーク・マーテルの経歴は?
年齢は30代でナッシュビル出身、もとはモントリオールの出で、キリスト教バンドに在籍していた。類まれな歌い手だよ。それに素晴らしいミュージシャンたちも見つけることができた。バンドは最初は9人編成だったが大きすぎたね。シンガーが3人いてほとんどショーバンドのようだった。今は6人編成だ。

シンガーが3人とはミュージカルの香りがしますね
それは絶対に避けたいから。俺はあの手のやり過ぎな歌い方は我慢できない。このバンドは我々の音楽の素晴らしい演奏をしてくれる。全員が歌えるので、ボヘミアン・ラプソディ全体だってできるんだ。

ドラマーのタイラー・ウォレンはどうですか?
素晴らしいよ。それに俺より高音で歌える。ドラマーはバンドで最も大切なメンバーだからな。

最もルックスがよい場合もあるのでは?
ああ、それも(笑)。

まじめな話、クラシック・ロック誌の読者はこのトリビュートショーを気に入りますかね?
自分はロックンローラーだ。バラードタイプではない。そしてロックファンはこのバンドをとても気に入ると思う。俺を本当にノせてくれるんだ。彼らを見ればみんな感動するよ。保障する。

フレディの「失われた」デモをもとにしたクイーンの新アルバムが出るという噂が2011年にありましたが
事実ではない。どのみちデモでできたアルバムを出したくはないね。

フレディと録音したクイーンの未発表曲で将来的に発表されるかもしれないものはありますか?
ブライアンと自分で取り組むつもりのものが2,3曲ある。1曲はみんなで創った曲、もう1曲は主にブライアンのが書いたものだった。

どちらもフレディとの時間の終わり近くに書かれたものなのですか?
いや、実はどちらもかなり古い。別に大げさにするつもりはないが、完成させる予定のものが2,3あって、多分世に出るのではと。

クイーンの新アルバムの予定は?
それほど知られていない我々のスローな曲を集めたアルバムを出したいというユニヴァーサルの意向で、今週ブライアンと編集する。

近々新しいソロアルバムも出ますよね
5年以上の期間をかけて書いて、内容はかなり多岐に渡っている。穏やかな曲、ロック寄りのもの、それに相当政治的なものもある。

政治的な内容の元はどこから?
”The Unblinking Eye" という曲で、幻滅、この国の混乱具合、町の中心部の店々がなくなること、見下げ果てた政治家たちなどについて書いた。

あなたはニュースの放送中にテレビに向かって怒鳴るタイプですか?
それは卒業した。テレビにこちらの声は聞こえない。

新アルバムのタイトルは?
自分の最初のソロアルバム(1981年)が ”Fun In Space” というタイトルだった。当時はSFを多く読んでいたのでね。それで今回は ” Fun On Earth” だ。自分も少し現実的にはなったが(※原文:イディオムcome down to earth ”地球に戻って来る” =現実的になる)、それでもそこに多少の楽しみはある。ご機嫌な曲もいくつかあるんだよ。

アルバムには最近の音楽の影響はありますか?
Sigur Rosは過去しばらくの間に自分が見た中でベストのバンドだ。独特のムードや、やや環境音楽っぽいところがとてもいい。旋律は素晴らしいし、ライブもだ。ブリクストンのアカデミー(※ホール)で観た。

今もライブを見に行くんですか?
ほとんど行かない。でもあの時は行ったんだ。インフルエンザ、というかひどい風邪だったんだが。

9月には、80年代のソロアルバムやバンドのザ・クロスなど、クイーン以外でのあなたの作品全てのコレクションも出ますよね
そう。タイトルは ”The Lot”。

全部いい曲?それとも駄作もありますか?
どんな場合もそうだが、中には悔いが残るものもある。しかし最後のソロアルバム ”Electric Fire"(1988) は今聴いてもすごくいいね。

あなたがクイーンに書いた曲では何がベストでしょうか?
難しいな。”Radio Ga Ga” は好きだ。シンセサイザーと、何と呼ぼうか、エピック・ポップがいい感じに融合していた。

ではワーストは?
少ないけどあるね。「愛しきデライラ」(アルバム”Innuendo”)は大嫌いだ※。あれはとにかく自分のタイプではない。

(※ 「愛しきデライラ」はフレディの曲のはずなので、ここはおそらくロジャーが質問の前半を飛ばしてクイーンの曲全体から答えたのでは、と思います)

あなたが初めてクイーンのために書いた曲はファーストアルバムの ”Modern Times Rock ’N’ Roll” ですか?
そう。それ以前に ”Stone Cold Crazy” をみんなで一緒に書いたが、最初のちゃんとした曲があれだ。

最も影響を受けたドラマーとしてジョン・ボーナムを挙げていましたが。
主に影響を受けたのは3人。ボンゾ(※ジョン・ボーナムの愛称)、キース・ムーン、そしてミッチ・ミッチェル - 過小評価されていると思う - だ。ミッチ・ミッチェルについてのジンジャー・ベイカーのものすごくひどい発言を聞いたことがあって、最低な野郎だと思ったね。

ソングライターとして最も影響されたのは?
断然ジンジャー・ベイカー(笑)。真面目に言うとディラン、レノン・・・スプリングスティーンも素晴らしい。

あなたが書いた歌詞でベストな曲は?
”Heaven For Everyone”(まず ザ・クロス で、後にクイーンでもレコーディング)は愛と尊厳、それにお決まりだが反戦についてもなかなかいい内容を含んでいる。”These Are The Days Of Our Lives” (「輝ける日々」)も振り返ればかなりいい。昔ながらの良さという意味で。

そしてフレディの死後、あの曲はもっと大きな意味を持つようになった
共鳴現象を起こしたね。あの曲を書いた時はある意味自分たちについて言っていたんだが。フレディの体調が良くないとは知っていたから。

フレディより優れたフロントマンを見たことはありますか?
フレディほどうまく観客とつながりあえる奴は絶対にいない。

しかしステージでのショーマンぶりにもかかわらず、プライベートでの彼は多少自信に欠ける部分があったのでは?
ああそうだ。とてもね。あらゆることがらに関してだ。それから妙なことに、いろいろな意味で内気でもあった。でも彼はスイッチを入れたり切ったりしていた。親しい仲間だけの時は絶好調でも、よく知らない人がいると相当な気まずさを感じていたり。

フレディの性格で何かいらつくところはありましたか?
ほとんどないが、ちょっとぞっとするような大きな音を立ててせき払いをしていたな。でも俺たちは本当に仲が良かった。

2011年のドキュメンタリー「Queen: Days Of Our Lives(輝ける日々)」で、フレディがその最後の年にタブロイド紙からしつこく追われたことを話している時のあなたは、もうずいぶん前のことなのにまだ大変腹を立てていたようでしたね
今でもそうだ。あれはサン紙だった。まるで暗殺行為だよ。新聞を少しばかり売るための。何と悪意に満ち、ひどかったか。やり過ぎだと思ったね。当時はフレディを守らなければと強く思っていた。つい最近 News Of The World (※サン紙の日曜版にあたる週刊タブロイド紙)が廃刊になった時はくそジグを踊ってやったよ。

タブロイドの機嫌を取ったことはありますか?
あまり。タブロイドがレコードの売り上げやキャリアの助けになると思ったことはないし。やつらとは距離を保つのが賢明だ。役に立たないどころかこちらを間抜けに見せるだけだから。危険はそこらじゅうに潜んでいる。とにかくなるべく関わらないこと。フレディとブライアンはひどい記事をたくさん書かれた。自分も少しはあったが、それほど多くはない。

フレディの死に関する報道には背後に同性愛嫌悪の意図が隠れたものも多少あったと思いますか?
間違いなく。” これが結果だ... " ただただ好色だったと思わないか?

フレディが今もいると夢見たりは?
するよ。ブライアンも同じことを言うだろう – 我々はフレディとともに生きているようなものだとね。長い時間を一緒に過ごし、互いに頼り合っていた。かなり一緒に遊んだりもしたし。なので彼はいなくなったりする奴ではない。ただ、だからといって自分の残りの人生をフレディ・マーキュリーの陰で送るつもりもない。フレディは親友だった。そして逝ってしまった。神のご加護を。彼がいなくて寂しいけれども、自分の人生を歩まなければならないんだ。

クイーンの最初のアルバムが出て40年です。制作中の思い出は?
全てがとてもエキサイティングだったね。スタジオの使用料がとても高くて – 1時間が30ポンド、当時としては大金だ。朝の4時に入ったりもしたものだ。大変だったよ。そしてあのファーストアルバムでは自分が望んだ音を完全には作れなかった。十分なコントロール権がなくてね。2作目ではそれを手にできた。

そのような初期、クイーンへの希望や夢は何でしたか?
仕事がたくさん欲しかったし、認めてもらいたかった。リッチで有名にもなりたかったね。

それはうまく行きましたか?
いい感じに。でもそういうのはいつだって、他人が想像するよりはずっとゆるやかなプロセスだ。

クイーンのキャリアを振り返って一番誇らしいのは?
自分たちの音楽の一般の意識への浸透の仕方。今でも時々ラジオで流れるし、まだ人気の曲も多いこと。今の子供たちも我々の音楽を知っているなんて素晴らしいと思う。

後悔は?
たくさんある。ほとんどは些細なことだが。ただ、南アフリカに行った(アパルトヘイト時代の1984年、サン・シティで演奏)のは誤った判断だったと思っている。適切な助言を受けられなかったのだと思う。善意で行ったのだが、間違った決断だった。

でも翌年のライブエイド出演は正しかったですよね。クイーンは今も語り継がれるパフォーマンスで人気をさらいました
ライブエイドは素晴らしい日だった。ボブ・ゲルドフがあのコンサートをグローバル・ジュークボックスだと表現したのを覚えている。そして俺たちはそのとおりのことをやった。曲を詰め込めるだけ詰め込んだんだ。全世界的なステージに出る場合、テレビで見ている人のほとんどは自分たちのファンではないと分かっている。だからその人たちが知っている曲、いや、知っているかもしれない曲だな、をやるのが最も賢明だと考えたんだ。で、そうしたわけだ。

ブライアン・メイとあなたの関係を表現すると?
我々は親友だよ。ブライアンの博学ぶりは本物だ。彼が人生でどれだけのことに取り組んでいるか。驚異的だよ。天体物理学の博士号を持ち、世界で一流の立体写真の専門家でもある。ありとあらゆることをやっているんだ。中にはちょっとイカれているものもあるが。

あなたとブライアンはフレディ、それにもう一人の創設メンバーで音楽業界から90年代に引退したベーシストのジョン・ディーコン抜きでクイーンとしての活動を続けています。ロバート・プラントがなぜレッド・ツェッペリンともうツアーをしない選択をしたか理解できますか?
ああ。ロバートはとても心の純粋な男だ。それにツェッペリンはシンガーにはキツい – あの体操競技みたいなボーカル。過去と同じレベルではできないのではと彼は思っているのかもしれない。それからボンゾへの大いなる敬意。最高のロックドラマーだったからな。だからロバートがなぜやらないかはわかる。彼には彼自身の評価の高いキャリアもあるし。

でも、フレディが生きていたとしてクイーンとのツアー再開を拒んだら、それは受け入れ難いのでは?
そうだろうな。でもフレディが安全地帯と感じていたのは我々みんなが一緒の時だったんだよ。いつだってね。・・・口げんかしたり(笑)

クイーンには4人のソングライターがいたことがそういう口論の原因ですか?
その通り。曲作りでは四つの流派がせめぎ合っていた。ジョンと自分がそれぞれの強みを理解したのは他の二人より遅かったね。フレディはもう最初からどんどん進んだ。彼はなんというか、自分自身を創造たんだな。でも結局はお互い理解し合あったし、それがとてもうまく働いた。

クイーン全盛期、あなたはプレイボーイと評判でした。本当ですか?
いや、それは大げさだ。俺たちは楽しい時を過ごした。とても楽しい時間をね。しかしそれを声高に叫んだりはしなかった。

年を重ねて、ペースは落ちましたか?
当たり前だ。誰だってそうなる。もしくは死ぬ。そして自分はまだ死ぬつもりはない。

ロジャー・テイラーの次の予定は? 新アルバムのソロツアーですか?
友達を集めためちゃくちゃイケてるバンドでツアーに出ることも考えている。もしそうなったら、ドラムには息子のルーファス・タイガー・テイラーを起用する。彼はクイーンのツアーでも演奏している。ほとんどはパーカッションで、俺が舞台の前面に出る時はドラムを叩く。奴はブライアンお気に入りのドラマーじゃないかな。

息子さんにうまく教えすぎた?
いや、彼は俺よりもむしろテイラー・ホーキンス派に近いよ。

ドラムをやめようと思ったことはありますか?
それは想像もできない。二度とドラムを叩かないとか歌わないなんて、考えるのもいやだね。画家のようなものなんだよ。画家の多くは描き続ける。

でも、ドラムを演奏するよりは絵を描く方が少し易しいのでは
それはそうだ。しかし自分のスタイルはより効率的でリラックスしたものになっている。無意識にね。昔ほどワイルドではないが、今も演奏するのが大好きだ。最近もジェフ・べックといくつかライブをやってとても楽しかった。ジェフは本当に素晴らしいギタリストだ。

では引退は考えていないのですね?
なぜやめたいと思うんだ? ドラムを叩きに行くのに朝7時に起きなければならない、とかではない。いつ叩き始めるのかやめるのか、自分の好きなようにできるのだから。

昔あなたはリッチで有名になりたいと思っていて、その夢は実現しました。そういうことのマイナス面は何かありますか?
ほとんどない。大して気づかれずに行動できるし、それが完璧に性に合う。派手に登場して注目を集めるのが好きなタイプもいるが、自分はそうではない。

ここまでは良い人生だったようですね?
そうだね。自分はとてもラッキーだ。

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