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ブライアンショートインタビュー(Jackie誌76年7月24日号)

完璧な紳士!

クイーンというバンドの華々しいショーマンがフレディ・マーキュリーなのは明らかですが、同じぐらい才能のあるギタリスト、ブライアン・メイは内気なタイプで、裏方に徹するのを好みます。

彼はとても穏やかで控えめ、いつでも人のために時間を割いてくれます ― 約束をすれば守りますし、この時間にこの場所でと彼が言えばきっとやって来ます。

クイーン、そしてギターを弾くことは彼の人生です。天文学(ええ、本当に!)の学位のためロンドン大学で勉強していた時はSmileというバンドで活動していました。大学やクラブで演奏していましたが結局だめになり、その後間もなくクイーン(現ラインナップの)が生まれたのです。

バンドが活動し始めた頃、いろいろな人たちの態度にブライアンはとても傷つきました  ―  バンドは多くの批判を浴びたのです。でも最近はそれほど気にしていません。

「誰にでも自分の意見を持つ権利はあるからね ― 僕は時には同意しない選択をするまでだ!」と彼は言います。「ただ、僕たちは全員クイーンに多くの労力を注いできたし、今の位置にたどり着くまでには苦労も多かったんだけど、人は時々それを忘れてしまう」

グループ全員が同等の役割を果たすことなしにはクイーンが現在の位置に到達できなかったことも忘れられています。ただ、ブライアンは特に、最近はより前面に出てくるようになりました。

「僕はバンドそのものだけではなく個々のプレーヤーも評価してもらいたいと常に願っていた。僕らは自分たちの音楽にすごく真剣に取り組んでいるわけだから」と彼は言いました。

「僕の初めてのギターは実は手製のものだった。自分の望む音を絶対手に入れたくて、唯一確実な方法が自作だったんだ!」

「すごく時間がかかったし忍耐力も必要だった。ちゃんとした音の鳴るギターが本当に必要だったけど、買おうにも金がそれほどなかったんだよ」

そしてそのギターこそが、私たちがギターに期待する普通の音だけではなく、クイーンっぽく特別な弦楽器や木管楽器のような音も作り出したのです。フレディが言うように「ブライアンは本当にギターを語らせることができる。聞こえないかい?」です!

ただ、ブライアンには問題がひとつあり、彼はいわゆる「丈夫な人」だったことがありません。ブライアンが体調を崩し深刻な病に倒れたためクイーンが初の全米ツアーから早々に帰国してから2年が経ちます。

「病気になって僕はものごとを見つめ直す時間をもらった。あらゆる思考を整理する手助けになった」と彼は私に言いました。「自分がいかに幸運だったか気づき、もっと頑張ろうと決めた。バンドが自分にとってどれほどの意味を持つか突然分かったんだよ」

近ごろのクイーンには専属マッサージ師のスティーブンがいて、ブライアンがきちんと食べ、頑張りすぎず、適度な睡眠を取っているか気を付けるのが仕事の一部です。

しかしステージでのブライアンはまた別の話です。暗闇にとどまり、ライトが自分の方に向くのを待つ方が好きだった時代が彼にはありました。

でも最近のクイーンのステージではしばしば、ブライアンがひとりで5分ほども主役になり、彼がいかに素晴らしい才能の持ち主かが分かる最高のギターソロを弾きます。彼はまた「オペラ座の夜」のためにハープを独習しました。ほとんどの人は学ぶのにずい分長くかかるであろうフルサイズのモデルです。

でも彼はそれについてはほとんどそっけないほどです、いつもどおりに。

「ハープを運び込んだものの僕は弾き方が全くわからなかったよ!」と彼は笑いました。「数時間触ってみて、それからチューニングを完璧にするのに長い時間をかけた。ようやくできたけど、意図してというよりは偶然だったという方が近い思う!」

将来はどうでしょう? エースギタリストでハープ奏者のブライアン・メイはクイーンを去りソロで活動したくなるのでしょうか?

彼がそうなる可能性はほぼありません。彼の心の拠りどころはクイーンにあり、フレディはその音楽的アイデアが彼自身のそれに火をつけてくれる人物なのです。

「他人に自分をどう思われたいのか僕はよく分からない  ―  『スター』としてでないのは確かだけど」と彼は言います。「ミュージシャンとして評価されたいし、ミュージシャンとして尊敬されたい」

「僕はクイーンに大いなる自信と信念を持っている ― いつだってそうだった。最初は少々辛い時期があったが、今、人は僕たちに目覚めてくれた」

そして私たちはブライアン・メイに目覚めました。クイーンのギタリストというだけではなく、とても穏やかなポップの紳士としても。

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(Jackie Magazine  24 July 1976)


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