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自分の人生を諦められる人が減ったから少子化してる

 現代の少子化の原因は、もちろん経済的理由なんて見当はずれで、実際は、大人が自分の人生をいい歳になっても諦められず、心は文系大学生みたいにモラトリアム気分のままだからだ。

 大人になっても、まだ自分は何者かになれるかも、と思っているから、人生のリソースを割かねばならない結婚育児に尻込みしてしまう。

 もちろん、何者かになれるなんて、本気で思っていない大人が大半だろう。
 だが、日曜日の夜、もっと何かできたんじゃないかと、往生際悪く、無駄に夜更かししてスマホを眺めてしまうような、そんな気持ちで、独身という週末を延命させてしまう。

 毎晩、YouTubeにゲーム実況をアップすればいつかは登録者が何万人にもなるかもしれない。休みの日にしている趣味の筋トレでインフルエンサーになれるかもしれない。英語を勉強して、外国を旅できるかもしれない。
 そんな醒めない夢を大人が持つようになってしまった。

 多くの大人が、実際にはYouTubeにゲームや筋トレの動画をアップしたり、TOEICを受けたりはしない。でも来週からするかもしれないとずっと思っている。だから、結婚して子供を持つなんて、夢の終焉であり、わざわざ現実という朝に目覚めたくない。

 子供を持つには経済力が必要というのは、一面では真実で、現代の大人には、もし家庭を持つなら、子育てに自分があまりリソースを割かないで済ませられるくらいの金が必要なのだ。家事を簡略化してくれる食洗機などが完備かれたマンションに住めるのは前提で、保育園、幼稚園、学外の習い事で子育てをなるべく外部委託できる資金力がなくては困る。都内においては、それらに容易にアクセスできる立地に住むだけでも金がいる。

 そういう意味では、子供がいても、経済力のある親というのは、結局は自分を諦めていない。金の力で、夢を見る時間は確保できるようにしている。

 私達は成長というファンタジーの世界にいる。漫画やアニメの登場人物のように、努力をして、実戦を経験すると、ちゃんと成長する、そんなファンタジーを、真面目な顔したサラリーマンさえ信じている。
 だが、現実では、人は成長しない。勉強して覚えたことも、大変な経験をして肝に銘じたことさえ、すぐ忘れるのが人間だ。職歴や資格というのはファンタジーで、まるで積み重ねた何かがあるように錯覚させてくれる。
 私は中学から陸上部で、その後も趣味で毎週40キロはジョギングしていた。去年34歳になるまでずっと続けていた。驚くことに、20年ジョギングしていたのだ。しかし、今年に入ってこの二ヶ月殆ど走っていない。理由は特にないが、なんだか走るのが辛くなってきたのだ。こんなことは未だかつてなかった。
 そして、20年ジョギングし続けてきたのに、二ヶ月休んだら、もう運動したことない30代と大差のない体力に落ちている。
「20年毎週40キロジョギングしてきた」というのは職歴や資格と同じだ。数字と言葉にすれば、まるで努力の積み重ねが具体的な質量を持つような錯覚をもたらす。
 だが蓄積は幻想なのだ。

 大人になり仕事をしていると、何年この仕事をしている、何年この業界にいる、こんな資格を持っている、あんなやばい案件を乗り越えてきた、とかなんとか色んなことが自分を形作り成長させていると信じてしまう。
 しかし、人間は連続した自己を持たない。記憶は途切れ、消去されていく。細胞は分裂し、破壊されて、生まれ変わっていく。
 過去の自分は今の自分の他人なのだ。
 感情さえそうだ。誰か、何かを大切に思う気持ちも、持続力はあまりなくて、途中からその感情は本物ではなくなっている。幻想であり作り物になっている。

 この幻想社会の中で、もし一人目が醒めてしまったら、どうやって生きていけばいいのだろう。もちろん、絶望はない。ただ現実の味が、美味くもない。




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