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義務と権利

平日の自営業仲間とのゴルフへの行き帰りの車内。たいていは仕事観の話で盛り上がっている。
 
ゴルフのプレーそのものはもちろん面白いが、お互いの経験や出来事。そこからの考えを話し合っているその時間が、実は一番好きなのかもしれない。
 
飲み会や食事会でもいいのだが、恐らくそのときとは違う脳細胞で会話をしている。
 
 
 
帰りは、ゴルフ場からインターチェンジに乗る前に、決まってコンビニに寄る。
 
 
アイスとホットコーヒー
 
 
その日のスコアが良ければハーゲンダッツ。
 
そうでなければパピコと相場は決まっている。

 
僕は、コーヒーが一番美味しく飲めるのは常にホットだと思っているし、
 
相手は、まだ暑いんだからアイスコーヒーでしょ、と。
 
お互いに相容れない小さな価値観の違いを、くだらないくらい語り合う。
 
 
そうすることで
 
深くにあるかもしれない潜在的な共通点を探し合っているのかもしれなし、
 
私は私、あなたはあなた、と、お互いの考えを尊重し合うためかもしれないし、
 
温泉を掘り当てるような第三の発見を無意識に期待しているのかもしれない。
 
 
 
コンビニの駄菓子のコーナーを見ると、懐かしい思い出が頭を巡る。

小学1年か2年生か……、学校が終わると100円玉1枚を握りしめ、小学校をまたいで反対の地域にある駄菓子屋さんまで歩いた、夕暮れ時の風景を覚えているからである。
 
 
100円のうち、60円はブタメン。これも相場は決まっている。
 
残りの40円をいかに組み合わせて、満足できる駄菓子のオーダーを組むか。
 
100円以内という決められたルールの中で、いかに欲求を100%に近づけるか、を考えることが楽しかった。
 
 
思えば、当時はすべてに刺激があり、自分を疑うことなく毎日が希望に満ちているようだった。
 
同時に、いま当時を振り返ると、100円玉1枚の可能性は不自由かつ限定的で、小学校に通うという義務とランドセルを背負い、約半径1km圏内の狭い世界で生きていたように思う。
 
 
 
学生という義務を卒業して社会人になると、毎月月末に給与が貰える権利を得た。
 
その代わり、ネクタイを締める義務が生じた。
 
 
会社を辞めて自営業になると、好きな時間まで寝てていい権利を得た。
 
独立資金で借りたお金の返済という義務を担った。
 
 
返済義務を果たすと、平日にゴルフに行ける権利を得た。
 
 
 
僕が自営業になった理由は、
 
稼ぐためもあるけれど、その先にあるところは、
 
 
 
義務を減らしていきたいから。
 
 
 
義務を乗り越えると、権利が生まれる。
 
義務さえ果たせば、文句は権利に成る。
 
 
 
ゴルフからの帰りそのままに、友人の仕事を手伝いにいった。

普段使っていない不動産やカフェや別荘などのスペースを、ユーザーが時間単位でレンタルできる事業を営んでいる。

整った空間の便利さの裏には、彼の見えない壮大な努力を感じた。
 
 
多くの権利を手に入れるほど、その代償としての義務は、もしかしたら孤独との戦いなのかもしれない。
 
 
孤独を共有し合うために僕はまた、ゴルフに行く。

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