大学史上“最恐”のストライカー、赤﨑秀平の実力とは。そして、なぜ川崎へ?

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【KEYWORD】「秀平が点を取れないって、Jリーグどれだけレベル高いんだよ、って筑波の奴らと話しますよ。15点くらい取ってくれないと困ります。」(某 筑波大学蹴球部OB)


大学サッカー史に残るストライカー


満を持して、というのはこういうことだと思う。

赤﨑秀平が川崎フロンターレにやってきた。

正直、Jリーグで多くの人の目を引くだけの数字を残してきたかと言うと、決してそうではない。ただ、大学サッカーをそれなりに継続的に見てきている自分にとって、後にも先にも彼を超えるほどのインパクトを脳内に残してくれたストライカーは今のところ存在しない。

佐賀東高校3年次に浦和からオファーを受けるもそれを断って筑波大学に進学すると、1年時から主力として活躍して1部の得点王を獲得した。もともとアジリティの高さと得点力は折り紙付きであったが、風間監督の薫陶を受けて“動き出し”
“裏取り”
という2つの武器を更に研磨させ、文字通りのアンタッチャブルな存在となった。風間監督が言うところの“外す”動き。これが飛び抜けて上手かったのが彼だ。

大学生活でFWとしての能力を磨き続けて、4年間で74試合のリーグ戦に出場し、48得点を記録した。彼がこの数字を打ち立てるまでの関東大学リーグ最多得点記録は渡邉千真(神戸)が早稲田大学時代に記録した37得点だったので、それを11点も上回ったことになる。文字通り、関東大学サッカー史に残るストライカーだ。

文句無しの“大学ナンバーワンFW”となった彼は、実績を買われて鹿島へ加入したが、所属した4年間で二桁得点を成し遂げることができなかった。要所要所で重要な得点を決めたり効果的な動きを見せたりしていたが、「打てば入る」と敵から恐れられながら爆発的に得点を奪っていた大学時代を思うと、プロ入り後の成績には物足りなさを感じていたというのが正直なところだ。

そして2018年。プロ5年目となるシーズンで川崎の地に足を踏み入れた訳だが、彼の恩師でもある風間監督が礎を築いたこのクラブのスタイルが、彼に合わない訳がない。

1月24日の木曜日。2018年になって初めて、自分は川崎フロンターレの練習場である麻生グラウンドへ行った。そして福岡へ移籍した森本貴幸の背負っていた背番号9を継いだ彼に話しかけた。「ついに、だね」と

すると彼はこう言った

「ついに来ましたよ」

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Reona Takenaka

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