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第四回 新時代のドライブイン自販機食堂に看板が付いた日

ドライブインやオートレストランといった呼称が、コンビニの登場で廃れて数十年は経った。

人々は新しく伊勢崎に生まれた自動販売機だけのレストラン、自販機食堂の名称を他店舗を訪れた際にも用いるようになり、オレンジハットで親しんできた我々昭和の大人達の肩身も狭くなって、平成の世代が思い描く「ドライブインに代わる新たなる愛称」を模索する時期が近づいてきた。

自販機食堂に続く新たなる店舗戦略は他県でも起こり、相模原では自販機コーナーが立ち並ぶ等、ロストテクノロジーだった食品自販機が商業的な価値を復権させるまでに成長を遂げた。

そんな復権の先駆者となった自販機食堂も今年で3年目。
タコスとハラペーニョソースを厚切りのハンバーグに乗せた「メキシカン」に、ラーメンに使われるチャーシューを挟んだ「チャーシューパン」等の限定メニューや店舗グッズがすっかりオジサン世代になった我々を楽しませ続けている。

だが、道路を飾る自販機食堂の看板が昨年取り付けらればかりな事は、ご存じだろうか?
オーナーのご家族が運営してきた店舗を改装して作られたため、店先の看板は取り替えても道路に面した大きな屋外看板には「焼きそばとフライ」の文字がかかれたまま。
店内に焼きそばの自動販売機でもあれば良いが、ここにはラーメンくらいしか出せそうにもない。撤去して新たな看板を建てたいが、予算的にも難しい。

そこで話を持ちかけたのが、当方の友人でもある群馬の老舗看板屋「アド·マツモト」の2代目社長。

食品自販機の売り上げが良いと言っても、単価は安いし実入りも少ない。高価な屋外看板を建てられる程の予算の元を取れる保証はない。
自販機食堂としても、未来を見据えた大きな勝負に討って出た。

群馬の新名所Tagoスタジオも手掛けた2代目もオーナーの期待に応えるべく、古くは松本ネオン時代から続く看板技術の限りを尽くしていった。

そして、2016年の5月。
看板の見積もりと工事の打ち合わせが始まった。
既に文字が薄れ始めた焼きそばの看板に、初めてのメスが入り自販機食堂へと変わっていく下準備が進んでいく。

現場は大通りに面した交通量の多い場所。
設置の際には樹木の伐採が必要となり、工事も1日がかりの大規模なものになった。
早朝から工事は続き、大きな大木が姿を消すと旧店舗の看板が姿を表した。ここでどれだけたくさんの人が休息に訪れて焼きそばを食べ、それから本庄ICに乗って都内に向かったのだろう?

既に使われていない短い番号と新たに見えるうどんの文字。
これから鉄柱の錆を取り、焼きそばだった看板は自販機食堂に生まれ変わる。
新時代の自販機店舗の看板を飾るのは、ハンバーガーのマスコットHaco(c)(箱ちゃん)と自販機食堂のロゴ。
養生テープが剥がされ、オーナーやスタッフ、常連客が見守る中。アドマツモト2代目社長がシートを剥がしていく。

┄┄┄┄2016年5月24日、無事に屋外看板が設置された。
自販機食堂営業から、わずかに二年目。自販機食堂を運営する伊勢崎市の企業ミトミは大きな一歩を踏み出した。

まだ、ドライブインに代わる愛称も定まらないままの「自販機だけのレストラン」との未来を望んで建てられた看板。
レトロ自販機の先は、ロストテクノロジーとの闘いの日々。
いつ壊れるかもしれない、いつかは使えなくなるかもしれない。そんな怯えながらの経営に大きく出した勝負の看板。
┄┄┄あれから一年。自販機食堂はどんな店に成長しているだろうか。

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