西野亮廣さんという人物

映画「えんとつ町のプペル」が公開された。

最速試写会での西野さんの発言が気持ち悪かったので、気持ちを記録しておこうと思う。

西野亮廣『プペル』公開に目をうるませる「挑戦する人に無理だと言うのは簡単」(オリコン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/9efc904296ab5f2914f4c2117eb2374d2f8d8635

上映後には、目をうるませながら再び壇上に登場した西野。感無量な様子を見せながら「挑戦する人に無理だと言うのは簡単です。挑戦する人を笑って、行動する人を叩くのは簡単です。でもそれをやって何が生まれるのか。僕はこんな世界全然ドキドキしないし、僕が夢見た未来はこんなんじゃなかったんです。こんな息苦しい世界を次の世代に渡せないじゃないですか。だから夢を語れば叩かれるこの世界を終わらせに来ました」と力強く語った。
そして「2020年は皆さん本当に大変だったと思います。ただ、作品のメッセージにも通じますが、白旗を挙げるのはまだ早すぎる。もっと可能性を探って、知らないことを勉強して耳を傾ける。まだまだやれると思いました。これからもエンターテイメントに命を捧げて頑張っていきます。ありがとうございました」とあいさつし、イベントを締めくくった。

 私はそれなりに西野亮廣さんを観察したと思うけど、西野さんの「夢」って「自分が賞賛される世界を構築すること」なんだと思う。

「打倒!ディズニー」とよく仰ってるけど、この一言で先人への敬意が無い人だということはわかる。それにエンターテイメントの世界で「勝つ」とか「負ける」という意味もわからない。お客さんが楽しんだり、喜んだら「勝ち」なんじゃないの?クリエイターなら目指すところはそこだと思うけど、結局は集金屋さんだからどれだけ話題になったかや売上額が多いかを競って「勝ち」と言い張りたいらしい。思考が商人。拝金主義的。何とか坂48とかが歌姫と呼ばれても、どれだけの人がそれを肯定するんだろう。

私や他の人も同じだと思うけど、「西野さんが『夢』を持っているから、西野さんのことを嫌い」と言っているわけではない。

黒ペンひとつで絵を描いていた「にしのあきひろ」や、チケットを手売りしてまで「西野亮廣独演会」を開催しようとしてた「西野亮廣」が好きだった人は結構いると思う。こういう行動をしていた時の西野さんはエンターテイナーだと思う。

ところが「クラウドファンディング」という武器を手に入れた後の西野さんは、他人が描いた絵を「にしのあきひろ」作として数万円で販売したり、作品の内容ではなく、売り方で注目されているにも関わらず、「エンターテイメントに命を捧げている」と嘯いてる。

「エンターテイメントに命を捧げている」人というのは、作品の中身で勝負する人のことであり、寄付金を集めてそのお金で自分の作品を買い、事前に売上を立て、あたかも内容で評価されてるかのように思わせる人ではないし、事前にオンラインサロン内で「映画を見終わったら、スタンディングオベーションするように」と根回しする人でもないと思う。

私がずっと「胸糞悪いな〜」と思っているのは、西野さんのクラウドファンディング内で彼の商品(絵本や映画チケット)が通貨のように使われていること。西野さんへの忠誠の証だったり、どれだけ善人かの証だったり。中身に関係なく売買されてて、それは作品に対する冒涜にならないんだろうか?と思う。他人様に描かせた絵だったり、人のお金で作ったものだから、愛着すらないのかもしれないけど。

支援者は中身がどうであるか関係なく、面白がったり、可哀想な子供たちへのプレゼントだったり、それぞれが勝手な思惑で西野さんにお金を恵む。それを彼は「私には信用があるから、お金に換金できる」と嘯く。

「多額の現金を手に入れられたから、私には信用がある」とはならないのがクラウドファンディング。有名人が「帰る電車賃が無くて困ってる」とネットを使って寸借詐欺をしたって結構な金額が集まっちゃう。たとえ、彼はだらしがなくて、平気で約束を破る人で、ふざけたり、嘘をついてお金をせびっていると知っても、面白がってお金を出す人が一定の割合でいる。それは負担にならない「少額」だから。

そんな人に「信用がある」だなんてちゃんちゃらおかしい。前時代は信用がある人にしか多額の現金は渡されなかった。銀行が信用ある人に貸すものだったり、投資家が将来性を感じる企業や経営者の株を買うことで託されたりするものだった。

それが信用や将来性などなく、単に注目を集められる人にお金が集まる時代になってしまった。それはユーチューバーなどを想像すればわかると思う。

人の命を預かるような看護師さん、介護士さん、保育士さんたちは儲かっているか?一対一で人をケアするような仕事の賃金はジリ貧である。一対多、ネットでクラウド(大衆)を相手にする商売はやたら元気がいい。黎明期だから、法(ルール)の整備もまだまだこれからで、倫理観や道徳心がない奴のふざけた配信などが衆目を集めてしまっている。


今の時代、趣味の悪い「エンターテイメント」が存在していることは知っている。

西野さんが「エンタメ」と呼んで行い続けてることって、大した才能のない人物を「天才」と持ち上げ、その人が残した作品を「世界最高傑作」と世の中に思い込ませるゲームなんだと思う。売上はその得点。それを皆が手伝いながら「うはっwwエンターテイメント!サイコー!」と言ってゲラゲラ笑ってる。

西野さん本人がどこまで気づいてるかはわからないけど、西野さんの価値って「金も才能もコネもない俺でも、この仕組みを利用したらできるんじゃないか?」と大衆に思わせられる素人臭さなんだと思う。意識だけは高い、元気な素人がコンサルや東宝配給映画の製作総指揮になれるなんて夢があるよね、クラウドファンディング&オンラインサロン。ファッションを華美にしてないし、支援者の層に合わせてるのかいつもだらしなく臭そうにしてるから、意図的なのかもしれないね。


「裸の王様」として存在している西野さんを、皆のお金や宣伝などでどこまで「真の王様」と見てもらえるか?

数万円、数十万円くらいじゃ、他人の人生を盛り上げたり、また逆にめちゃくちゃにすることはできないけど、大勢が集まれば、それなりの金額や信用になる。それに騙されて、仕事を発注してきた企業や西野さんを持ち上げる人物が彼に信頼やお墨付きを与えてしまう。ホラ吹きの経歴ロンダリングみたい。そういうのも今は「エンターテイメント」と呼ぶんだと思うけど、私は悪趣味だと思うし、流行るのは嫌だなと思っている。でも、素人が世間に見出されて、スターになれるシンデレラストーリーは流行ってるよね、今。

真剣に西野さんのことを祭り上げてる人たちは、これを読んで「私にはそんな悪意はない」と言うと思う。でも、やってないこと(実力でないこと)で賞賛されようとする人物に乗っかって盛り立てるのって最終的には「裸の王様」に赤っ恥をかかせることになると思う。

「自分に才能がないんだ」と気づいてしまったら、知識や技術力を身につけて、才能の無さを補おうとするか、その世界での活躍を諦めるかなんだと思う。


「僕は1つの絵本に10年かけることもできる、これで勝ちが決定した」西野亮廣氏が語る“プロの倒し方” - ログミーBiz

見たときに、自分の勝てるところを1回探そう、そこを重点的に伸ばそうって決めて、プロに勝ってるところはどこなのか非常に考えた。
考えた時に、画力負けてますよね。絵なんか勉強してないから。画力負けてる、出版のノウハウもない、コネもツテもない。結局プロには負けてるところだらけ、だけど1つだけ時間なら勝ってるなって。

「プロに勝てるものは持ってないけど、時間だけなら無限にかけられる。だから、私はプロに勝った」という西野さん特有の謎理論で、「プロに勝った」と思い込み続けた結果、頭のおかしいことになる。

嘘ついてます、ああいうの。売れるように嘘をつくって。4年かけて作って世に出したら、3万部しか売れなかった。絵本って5,000部とか1万部でヒットって言われる。市場が小っちゃいから3万部でも、十分ヒットなんですけれども、自分のなかで1回100万っていう目標をたてちゃってるから、3万の落ち込みようはすごかった。
俺、言うの忘れてましたけど、「ウォルトディズニーを倒す」っていうのは決めちゃっているので、3万じゃ倒せない。これじゃ話にならないと思って、2作目『ジップ&キャンディ』っていう話を描いた。これは恋人たちのロボットたちのクリスマスの物語。
そしてまた発売の時期をちょうどクリスマスにぶつけて、「これは大変なことになるぞ」「恋人同士が絵本を贈りあって、クリスマスプレゼントの定番になるんじゃねーか」みたいなことを思って、世にバーって出したらこれも3万部しか売れなかった。
俺の絵本3万部しか売れない、どんだけがんばっても3万部しか売れない。その時点で絵本作家になるって言ってからもうすでに7年くらいたっちゃってるの。たいした結果もまだ出ていない。

「ニッチな分野(規模の小さい市場、隙間市場)なら、天下が取れる」

西野さんはそう言って絵本業界に飛び込んだのに、3万部しか売れないと嘆く。「俺なら100万部!」という何の裏付けもない数字を出して、勝手に落ち込む。「ジップアンドキャンディ」などの気が狂ったかのような点描画は凄みがあったのにね。

「何の才能もないけど、プロ以上に時間がかけられる」

それが西野さんの考える、100万部を売る絵本作家になれる唯一のポイントだったけど、7年かけても3万部作家から抜け出せないことに西野さんは気づいてしまった。

そして、どうするか?となった際に、西野さんは「プロ・セミプロの力を借りて、プロを名乗ろう」「足りない名声はサクラで補おう」「必要なお金はファンに泣きついて集めよう」という方向に走り出した。

西野さんの集金力は凄いと評価・注目されてるけど、ことごとくだらしなく詐欺まがいなのでプロデューサー(企画屋・集金屋・宣伝屋)としてもどうかと私は思ってる。しかし、オンラインサロンのメンバー数や絵本の映画化の事実を見る限り、世間からプロデューサーとしての能力は買われてるんじゃないかと想像してる。

でも、西野さんは「ウォルト・ディズニー」という実業家、漫画家、アニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、声優、実業家、エンターテイナーを「倒す」ことを目標としてしまっている。

今までの行動を見る限り、能力があるかないかは西野さんにとっては関係ないようなので、映画が売れ、ディズニーランドのような空間が作れ、賞賛されてる体が取れれば勝ちっぽい。肩書きや賞賛という上っ面が欲しい人なのよね、西野さん。口先では捨てろとか捨てたと言い張ってるけど。

こういう願望を抱いちゃいけないとは言わないけど、能力が伴わない名声にどんな価値があるの?と私は思ってしまう。絵を描いたイラストレーターたちに著作権を手放させて、その人たちの努力や才能を自分のものかのように振る舞ったって自分がホンモノになれるわけではない。

「西野さんは裸の王様ですよ」と真実を指摘する人たちは“アンチ”であり、“敵”であり、自分の夢の邪魔者という思考はカルト宗教的で怖いなと思う。






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