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「少女型」へのまなざし(の違い)に寄せて

IDOLOGYのMimyoさんが下記の記事をRTされていて、とても興味深く拝読しました。

걸그룹의 표정 / 소녀형 그룹 양산 러쉬에 부쳐
(ガールグループの表情/少女型グループ量産ラッシュに寄せて)http://taengal.tistory.com/133

読んでいると色々な部分で興味深く感じたり、色んな方向に考えが巡ったりするのですが、1つ中核となる議論のポイントとしてあげたいのは、著者の탱알さんが、TWICEサナの「シャシャシャ」を、10年前のワンダーガールズソヒが流行らせた「어머나!(あらまあ!)」への回帰と位置づけている点です。

つまり、탱알さんは現在の少女型グループの量産にみられる、幼かったり、技術が劣っていたりする姿を「かわいい」として愛でる風潮を、新しく出てきたものではなく、女性アイドルに対するまなざしの「基調」として捉えていて、したがって、5年前くらいからの過剰なセクシー系グループの台頭も、「어그로(悪質、悪趣味な注目集め)」という意味で、少女性へのまなざしの同位対立物にすぎないと、整理しています。

「清純」にせよ「セクシー」にせよ、男性アイドルがじっくり育てられ、それぞれに技能と特徴をいかんなく発揮しているのに対し、女性アイドルは、まるで「女性社員はニコニコしてコーヒーでも入れていればよい」と言われているOLと似たような境遇にある。問題は、パフォーマンスの良し悪しではなく、(男性に対してむける)表情のみ。それも、その表情は、愛嬌か恍惚かのどちらかの二択。こうした中、男性アイドルはまるで「財閥」のようにパフォーマンスの王道を歩むことができるが、女性アイドルは過剰に露出したり、一発芸的な愛嬌をふりまいたり、雨でずっこけたり、まるで「成金」のような戦略を駆使せざるをえなくなる、というわけです。

ここまでくると、現代社会におけるジェンダー一般の問題にまで展開するのですが、ここでは記事の整理するにとどめ(註1)、あくまでこの「少女型量産」現象の、日本からみた見え方と、韓国国内での見え方の違いという点に限定して話しを進めます。

つまり、こういうことです。

日本のファンからすると、TWICEサナの活躍や、少女型アイドルの量産と活躍は、「日本型アイドル像の韓国への流入」と捉えたくなります。私自身、LOVELYZのデビュー時の衣装が非常に日本の女子高生風に見えたことから、少女型の量産現象が気になり、「日本化が進んでいるのではないか」という視点で最近のガールグループを見てきました。しかし、韓国のファンからすれば「原点回帰」でもある、ということになるわけです。これについては、Mimyoさんも昨年どこかで、少女性への着目を、原点回帰的な現象であると書かれていたのと一致します。

例えば私のように、Apinkだけが少女っぽさを売りにしていて、他のグループからめっちゃくちゃ浮いている状態、という時期にKPOPに入ったものとしては、虚を突かれる感じになってしまうのですが、実際、ワンゴルにせよ、少女時代にせよ、KARAにせよ、少女性を基軸にして、2007年の第2次女性グループブームは始まっているのです。

この点、下記のような記事を書いたものとしても、少し注意をしなければと思います。

ただやはり、「幼さ」であったり、技術ではなく「キャラ」といった、「日本化」の側面が、単に「ミサモ」の活躍という現象だけでなく、実際に他のグループも含め、最近のKPOPにはあるようにも感じますし、韓国の方もそのように感じる向きもあると思います。裏返して言えば、上記記事で書いたような、<子どもっぽさ>に対する緊張感が、韓国社会には日本社会よりも強く存在しているのではないか、という仮説も、いまのところまだ私としては捨てないでよいのかなとも思っています(それが変化しているとしても)。

そろそろ今年も終わりですし、このあたりについてはもう少し整理してみたいな、と思います。

それにしても、TWICEは、いまのK-POPに対する私のアンビバレントな感覚の中心にいるような存在なのだなと、冒頭の記事を見てあらためて感じます(註2)。なんでいきなり↓こんな気合をいれてリミックス的なトラックを試作したのか、よくわかりません…(いまだにちょこちょこiPad上でイジっている)。

註1:なお、記事の最終段落では、ジェンダー論の基本に立ち返り「主体性」の問題を取り上げ、女性アイドルがひたすら「客体化」される(つまり「ミューズ問題」)存在となってしまっている点を指摘しています。
 この点、個人的に私は、TWICEのCheer Upの歌詞と「綱引き」の意味については、アンビバレントな見方をしています。確かに、チアの恰好で男性を応援する姿そのものは、「男性=主体」「女性=客体」という観念の強さを感じます。しかし、「女の子は自分じゃ告白できないんだから、がんばって私にアプローチしてね」という意味の歌詞は、むしろ男性との駆け引きを試みる「恋愛の主体」としての女性が浮かび上がってくるようにも思えます。
 「アイドル」というカテゴリーである以上、男性アイドルに対するまなざしにだって客体化・モノ化の契機が含まれることは避けられないでしょうし、男性にせよ女性にせよ、「かわいい」「エロい」といった「表情」の中にもパフォーマンス性は宿り、そこに「主体性」が立ち現れることも大いにあると思います(「ぶりっ子」とはまさに本来そうしたパフォーマンス性をもつ言葉です)。そうした中に、ジェンダー構造の微細な「ゆらぎ」を捉えていくことも、「アイドル語り」の面白さのひとつなのだろうと個人的には思います。

註2:註1を参照。そのほか、KPOPにスキルの高さを求める自分と、労働という観点から過酷なトレーニングに対する違和感を持つ自分との葛藤という点でも、TWICEに対してはなんともアンビバレントな感じを覚えます。

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