見出し画像

〔スカーレット年表:1937~1969年1月〕ドラマを支える「社会」の描き方

 あけましておめでとうございます。

 さて、年末の折り返し地点。父常治が亡くなり、ドラマは、父を失った喜美子の悲嘆を「土を力いっぱいこねる」という場面で描きました。「自由とは何か」「自分らしく生きるとは何か」「他者のために生きることは、不自由なことなのか」等、このドラマが提示する「問い」が凝縮されたような、珠玉のシーンでした。

 そしていよいよ、解放された自由な喜美子が!というところ…
 あれあれ?なんだか雲行きが変ですね。日本社会に「主婦」が最も多く存在した時代。喜美子もすっかり「ええ奥さん」に…。うーん、これでいいのか、と全視聴者がもやるなか、信作がガツンと言ってくれましたね(百合子!信にぃ、ええ男やんか!)。 さぁ、喜美子はこれからどうなる!?

 それにしても、このドラマ、個々人の登場人物の描き方(脚本、演出)、役者による演じ方が、本当に丁寧で素晴らしいのですが、それを下支えしている、「社会」の描き方の適切さ、無理のなさにも、いつも唸らされます。

 ざっと物語を年表にすると、現時点でこーんな感じ?

【スカーレット年表:1937-1969】
1937年 喜美子、長女として大阪で生まれる。
1947年 春、川原家、信楽へ。喜美子9歳。
     常治、丸熊陶業の下請けの運送業始める。
    冬、借金取りを草間が追い返す。
     赤手袋とラジオ大野夫妻により川原家に。
1953年 2月、15歳。丸熊への就職が白紙に。
    4月、大阪へ。荒木荘で女中見習いに。
    5月、新聞社からの引き抜き話しを断る
     川原家盗難に遭い、常治無心のため来阪。
1955年 秋、圭介恋愛成就、喜美子の初恋、失恋。
    川原家、オート三輪の借金などで、
     マツの薬代も払えない経済状況に。
1956年 初春、美術学校進学諦め信楽で丸熊に就職
     絵付けと出会い、フカ先生の弟子に。
1959年 夏、照子、婿養子の敏春と結婚・妊娠
     十代田八郎、丸熊に就職
     丸熊陶業、社長急死のため敏春が後任に
     火鉢生産縮小、タイル生産に主力切り替え
     直子、東京蒲田の工場に就職
     フカ先生、信楽を去る
     喜美子、賃金交渉の末一人前の絵付師に。
    秋、ミッコーのデザイン火鉢生産開始
     八郎に陶芸を習い始める。
    11月15日、お見合い大作戦当日
     喜美子、八郎との抱擁を常治に見つかる。
    12月、常治攻略大作戦。辛くも成功。
1960年 1月、八郎の作品づくりと同時に、
     喫茶店のためのコーヒー茶碗づくり
     大野商店、喫茶サニーに衣替え
     常治、長距離トラックの運送に転身。
    3月15日、八郎受賞、喜美子にプロポーズ
     常治、八郎と乾杯。離れを増築。
    4月、喜美子・八郎結婚。
     百合子高校入学。直子パーマ頭爆発。
1961年 喜美子・八郎、独立し工房を構える
     長男武志生まれる。
1965年 夏、照子を通じて常治の健康状態を知る
     常治とマツ、大阪の親戚訪問と温泉。
    秋、常治没。家族で作った皿と松茸飯。
    冬、直子帰宅。ジョージ富士川との再会。
1966年 3月、八郎金賞受賞。喜美子、初作品完成。
1969年 1月、武志テレビを欲しがる。←イマココ

 いかがでしょうか?やや怪しいですが…(常時更新ということで)

 現在ドラマは1969年。サラリーマン世帯が増え、変な言い方ですが「主婦全盛期」ともいえる時代。常治が亡くなったのは1965年の秋。常治が体調を崩した直接の原因は、1960年頃、かつてリアカーひとつではじめた丸熊の下請け運送から長距離トラックへの転身でしたが、まさに日本は高速交通網の建設需要にわく「列島改造」の季節。そうしたマクロな社会変動に主人公たちの人生が左右されていることが、さりげなく、しかし確かに、描かれているのが、とても見事だと思います。

 通常であれば(というか今年のことを考えれば)1964年の東京オリンピックの提示があってもよいと思いますが、あっさりとスルー(ちなみにちや子が追っていて同年開通した琵琶湖大橋も微妙にスルー)。1969年に至ってなお、テレビをもたない川原家にとって、その時代じだいに「ありつける仕事」こそが、社会とのリアルなつながりに他ならないのです。

 百合子の進路もそうですね。喜美子が賃金交渉までして勝ち取った高校進学、しかしさらなる進学の夢は(さらっとナレーションで済ませてしまいましたが)はかなくも散ってしまうのです。そして、長距離トラック運ちゃんたちが日夜運んでいるであろう商品を、問屋から小売りに卸す配送の仕事につきます。日本社会の消費生活が豊かになってきた時代、運送で生計を立ててきた川原家3女のキャリアとして、これ以上にリアルな(あるいは冷徹とさえ言える)描写はないのではないかと思います。

 その他、直子の蒲田の工場への就職、丸熊の主力商品の転換、長女輝子の決められた結婚、駅前スーパーにおされる大野雑貨店、その長男信作の市役所就職、医大生ではなく同じく貧しい家の出の八男と喜美子との結婚、消費生活の向上・成熟を前提とした日用陶芸品や需要や陶芸教室の増加…等々、信楽の人びとが日本全体の政治や経済に翻弄されながら、生活を紡いでいる様子が、これでもかというくらいにこのドラマでは描きこまれているのです。

 人間や身の回りの関係性が、社会の有り様と確実に繋がっている。この「社会」という確かな足場が定まっているからこそ、スカーレットのあの繊細な人間模様の描写が可能になっているのではないかと、私は思います。

 逆にそれ故に、ドラマとしては地味になるという点も否めません。「戦争孤児が黎明期を支えた名アニメーターに」などの派手な仕掛けが、ときにドラマには必要です。しかし、派手な仕掛けを施さず社会という地盤を安定させたからこそ、日常の豊潤さや、人と人との心的な相互作用の繊細さ、多様さを描ける。このことをスカーレットは証明してくれています(註)。

 「長女」として、「女中」として、「奥さん」として、人を支えながら社会の中で生きえこざるをえなかった喜美子。一方で、それも含め「自分の決めた道」と覚悟を決め、実際に真剣に向き合える仕事を自ら見つけ、習得しながら歩んできた喜美子。その喜美子が、これからいかにして陶芸家としての自分の人生を紡いで行くのか…。まだまだ波乱の展開が待っているのでしょう。

 年明け、スカーレットに目が離せない日々が、また始まりました。後半戦も、この素晴らしいドラマを、しっかり楽しみたいと思います。

註…前作なつぞらのモデルとなった奥山玲子さんは、仙台出身で、商家や士族の系譜をもついわばエリート層であったらしく、1937年生まれの女性にして東北大学の教育学部に入るような存在でした。これを、なつぞらでは、戦争孤児で北海道の酪農一家に育てられた少女という設定にすることで、よりダイナミックでドラマチックな物語のモチーフに仕立てました。地に足をつけた堂々たる広瀬すず演じる主人公なつの人物像が、これによって成立し得たわけですが、一方で、例えば奥山さん自身がそうであったという、「仕事がどんなにキツくてもつねにお洒落をしていた」と言った設定などに、どこか無理が生じていたのも事実だと思います。まるで外科手術のように、1人の人物に異なる社会的基盤を移植した代償と言えるでしょう。
 一方で、スカーレットのモデル神山清子さんは、長崎佐世保の出身。炭鉱の現場監督だった父は、戦時中にして朝鮮人の労働者を庇うような気骨のある方だったらしく、そのため警察に目をつけられ戦争が激化していた1944年に家族で故郷を追われ、マイノリティコミュニティの助けを得ながら滋賀にたどりいたそうです(記事)。対して、スカーレットは、より身近な大阪出身、戦後に借金によりいられなくなり、1947年に戦友の伝で滋賀にやってきます。面白いことにドラマの方が、元の事実よりも、随分と穏当で、ありふれたとも言える設定を採用しているのです。なつぞらと真逆の方向性と言っていいでしょう。これにより、ドラマとして地味になったかもしれませんが、むしろ社会の中の出来事として日常のリアリティが描きやすくなったと考えられます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?