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倭色歌謡왜색가요の美学的検討・その2

列島国家からの独立後の朝鮮半島において、日本文化、いわゆる「倭色」は、自らのアイデンティティの確立、(再)確認のために忌避されるべきものとなりました。その適用分野は多岐にわたりますが、当然歌や音楽もそこに含まれていました。

では実際、どのような特徴を持った歌や音楽が「倭色」とみなされたのでしょうか。案外と、そのことにふれた文章は見当りませんが、私が知る限りでは、韓国近代音楽史を専門とし、自らも音楽活動を行っているイ・ジュンヒさんが強力なヒントを与えてくれています。少し長くなりますが、重要な部分なので、彼女の日本語に訳されて出版された論文から引用します(註1)。

 音楽的な側面では、やはり音楽形式の追従に日本の影響がみられる。そのなか、いわゆる「トロット(trot)」が現在まで最も重要な事例だと言及されてきた。「トロット」形式は大きく二つの特徴を持っている。一つはリズム面で、ちょっと軽快な感じがある二拍子になっているということ、そしてもう一つのメロディー面では、第四音と第七音が抜けた五音音階、いわゆる「ヨナ抜き音階」で構成されるといわれている。そのなか、特に短音階、すなわちラ―シ―ド―レ―ミ―ファで構成されて第四音「レ」と第七音「ソ」が抜けて、半音が二度登場するメロディーが通常典型的な「トロット」と見なされる。第四音と第七音が抜けた短音階は日本が洋楽を受け入れる過程で日本の伝統音楽と洋楽の折衷として形成された独特の産物として一般的に評価されている。「復活歌唱」を作曲した中山晋平は日本でその様式を確立することに重要な役割を果たした。
 もう一つの彼の代表作であり日本で多いに人気を集めた「時たちは芳草」というタイトルで翻案され一九二〇年代の韓国でも広く流行した「船頭小唄」、そして前述の古賀政男の代表曲「酒は涙か溜息か」などが韓国の大衆音楽に大きい影響を与えた。「トロット」形式は日本の大衆歌謡の典型的な例だ。韓国の伝統音楽には二拍子や半音を使う場合があまり多くないため、「トロット」形式がはやったことによって日本の影響が大きかったという点は明らかだ。
 ただし、それが短期間に韓国の大衆の呼応を受けることができた理由の一つは、韓国の南西部に位置する全羅道地域の民謡メロディーと部分的に類似しているからだという見解もある。「トロット」の典型的な音階であるラ―シ―ド―レ―ミ―ファと全羅道の地域民謡でたくさん使われるミ―ラ―シ―ド―レ音階が場合によって類似感を与えることもあるといわれている。ほかにもさまざまな要因が作用したのだろうが、一九三〇年代の半ばから「トロット」形式が韓国の代表音楽を主導する支配的な様式として定着するようになったのは明らかな事実だ。

1920年代から30年代にかけて、日本の流行歌の形式、リズム面では2拍子、そして旋律面では中山晋平によって生み出された「ヨナ抜き短調」の5音階形式が、朝鮮半島のポピュラー音楽に大きな影響を与えている、とイさんは指摘しています。
この引用箇所は、必ずしも「倭色禁止」と関連づけて述べられている箇所ではなく、あくまで朝鮮半島において日本の影響を受けた具体的な音楽の特徴を説明している箇所なのですが、この2拍子と「ヨナ抜き短調」が、独立後、日本からの文化汚染ないし文化侵略の根拠としてマークされたであろうことは、想像に難くありません。

ここで実際に「ヨナ抜き短調」によって作られたメロディーを聴いてみましょう。上の引用で挙げられている2つの曲を聴いてみるのがよいでしょう。「船頭小唄」と「酒は涙か溜息か」です。


日本で育ったものが聞くと、「演歌だな~」という言葉が浮かぶと思いますが、韓国では「トロットだな~」と理解されるでしょう。この曲が生まれた当時「演歌」という言葉は今のような意味では存在しなかったので、「トロット」という言葉の方が古いのが面白いですが、この「ヨナ抜き短調」の発生に的を絞ると、日本の伝統音階に西洋の短音階を組み合わせた、当時の日本の作曲家の工夫の産物ということになります(註2)。

そしてこの観点に立つならば、非常に重要になってくるのは、この音階が、日本列島においては近世から馴染みのあるものであったのに対して、朝鮮半島では列島から植民地支配とともにもたらされたものである、という点です。戦後、倭色歌謡として発禁処分となった「椿娘」を聴いてみましょう。

見事な「ヨナ抜き短調」の5音階で作られたメロディーですね(註3)。当時の朴正煕大統領は、この曲を発禁処分にしながらも、自らはこの曲を愛好し、頻繁に口ずさんでいたといわれています。
このエピソードは、倭色歌謡の禁止が極めて政治的に恣意的に行われていたという論拠としてしばしば使われていますが、別のとらえ方をすれば、「ヨナ抜き短調」がもともと朝鮮半島では馴染みが薄かったために「倭色」としてマークしやすかったこと、同時にこれが何とも言えない魅力として半島人の耳や心を捉えていた(いる)ことを示していると言ってもよいと思います。

その魅力とは何なのかというと、一つには先の引用文にもあった「半音」がその音階に含まれているためなのではないかと、私は考えています。やや先走って本稿の結論を仮説的に提示すると、次のようになります。「半音」には一種独特の魔力が宿っており、古今東西の文明においてその魔力を封じ込める努力がなされてきた。朝鮮半島においてもまた、列島からやってきた半音を含む「ヨナ抜き短調」による旋律が入りこみ、その魔力に人々は魅せられたが、それ故に、独立後の為政者は、この魔性から人々を引き離そうとした――これが、本稿が提唱してみたいと考えている倭色歌謡の美学的特徴です。

その掘り下げを、次に展開してみようと思います。


註1:イ・ジュンヒ「韓国大衆音楽に及んだ日本の影響――一九四五年以前と以後の差」『越境するポピュラーカルチャー』(谷川健司ほか編、青弓社、2009年)179~180頁。この論文は、著者が韓国語で書いたものを秋菊姫さんが翻訳して出版されたものです。イ・ジュンヒさんのご研究のエッセンスが凝縮された非常に貴重な日本語論文なので、韓国と日本の大衆音楽史をより詳しく知りたい方にはおススメです。

註2:なお「演歌」「トロット」の源流論争については、下記のブログが大変参考になります。これを読むと、本稿で参照しているイ・ジュンヒさんが、日本からの影響を強く見積もる立場にあることが窺えます。

【海峡を越えて】埋もれた日韓歌謡史http://dxb83macng.exblog.jp/12169837/

しばしば「ヨナ抜き音階」を長調の方で捉えて、韓国と日本に差異がないことが指摘されます。しかしイさんが指摘されているヨナ抜き「短調」に焦点を当てると、日本から朝鮮半島への影響というものが明瞭に浮かび上がってくるということなのだと思います。

註3:レコードの回転速度のためかやや不安定ですが、AbかAのヨナ抜き短調で、もしAだとすればここで用いられているメロディーの音階はラ・シ・ド・ミ・ファ、西洋の7音階からレとソが抜かれた5音階となっています。

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