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プレKポップ・ノート2:レコード会社について

日本で「ポピュラー音楽産業」といってすぐに思い浮かぶのは「レコード会社」という言葉ではないでしょうか。もしかするとそのような認識は、日本のポピュラー音楽界が、20世紀の初頭に海外のレコード会社の資本によって開発されたという歴史を反映したものかもしれません。

この点、韓国(朝鮮)ではだいぶ様子が違うようです。これについては、韓国での最前線の研究の一部を日本語で読めますので、それをもとにある程度の理解を進める事ができます。

※以下でお世話になるのは、戦前・戦中については李埈熙さんの(秋菊姫訳)「韓国大衆音楽に及んだ日本の影響」(谷川建司ほか編『越境するポピュラーカルチャー』青弓社に収録)、戦後については申鉉準さんの『韓国ポップのアルケオロジー』(月曜社)です。

まず、前記事でも言及しましたが、朝鮮半島では、日帝時代において日本のレコード資本がポピュラー音楽の形成に大きな影響を与えました。もちろん、国内の優秀なパフォーマーや作家も育ちましたが、ことレコードの制作やプレスなど、日本資本が支店を出すことで業界を形成していていたと言われます。下記は、初レコードリリース年ごとに並べた、当時のレコード会社のリストです。

1911年 日本蓄音器商会
1925年 日東
1926年 合同
1928年 日本ビクター、日本コロムビア
1931年 ディア、トンボ、シエロン
1932年 ポリドール、太平(一部韓国資本)
1933年 オーケー(一部韓国資本)
1935年 昭蓄、コリアレコード(韓国資本)
1936年 ミリオン
1937年 高麗
※以上李論文より

日本資本が占めている以上、朝鮮半島の大衆音楽は日本からの影響を受けていくことになりますが、同時に半島にも一定の自律的な文化形成の余地もあったと考えられます(注1)。

さて、第2次世界大戦が終わり、さらに朝鮮戦争を経た韓国では、「放送歌謡」と呼ばれる国家の統制下にある健全な大衆歌謡の形成が進められ、レコードによる音楽普及と相対的に自律的な界を形成していきました。

申さんは、レコードを中心とする音楽消費はおもに地方・農村で、しばしば「倭色」などとも呼ばれるトロット(ポンチャック)が支え、一方で放送を中心とする音楽消費は、おもに中央・都市部で、しばしば米軍ショーなどで鍛え上げられた欧米のポップス(やそれをもとにした音楽)が支えていたと整理しています。

50年代から60年代中盤にかけて、レコード会社は清渓川などに密集する零細自営業群のなかで、大きな資本形成を成さず、細々と経営していたようですが、1968年に導入された「音盤法」によって、特定の設備を保有していないと正式にレコード会社として登録できなくなりました。これにより、零細の会社がかなり淘汰されたようですが、そのなかで「代名制作」という生産スタイルが生まれます。

これは、未登録の個人制作者やプロダクションが、音盤を制作した際に、登録されたレコード会社の名義で、音盤を製造・流通させるというしくみなのですが、申の記述を追っていくと、この「<制作/流通>分離システム」ともいうべきしくみは、その後、少しづつ形をかえて、韓国の音盤制作業界に伏流していったようです。例えば申さんによれば下記のような重要なレコード会社(プロダクション)が紹介されています。

キングレコード:辣腕プロデューサー「キング・パク」ことパク・ソンベ社長により、1960年代末から70年代はじめにかけて韓国歌謡界の重要なレコードを制作。しかしそのレーベル(商号)は「ユニバーサル」等として流通。60年代末に興隆した韓国グループサウンズの重鎮であるシン・ジュンヒョンを擁していた点でも重要。
オリエント・プロダクション:1970年代半ばに活躍したフォークサウンドのプロダクションチーム。ナ・ヒョング社長とハウスバンド「東方の光」によって一貫したサウンドを構築。アルバムのレーベルは「成音」「大都」「新世界」と変遷。
アップル・レコード:当初グループサウンズのレコードを制作していたが71年以降フォークを手掛けはじめ、キム・ヒガプの作編曲やアン・ゴンマの編曲によるヒット曲を制作していくが、キングと同様ユニバーサルレコードの商号を借りていた。
安打プロダクション:安知行が設立し、金基杓などとともに運営。70年代末にグループサウンズの成果を大衆歌謡に昇華させ「桐の葉」等のヒット曲を連発した。当初レーベル名を他のレコード会社から借りていたが、複数のプロダクションとともにレコード会社「現代音盤」を後に立ち上げる。
※以上4点、申の記述による

このように、資産はないが能力のある人たちが60年代末から70年代にかけて、新しい韓国ポップの道を切り開いてきました。つまり、韓国の戦後の歌謡界が生み出した「<制作/流通>分離システム」は、結果として業界にイノベーティブな機能を果たしてきたともいえそうです。

さて、ここからは私ぱんちゃの推測になってしまうのですが(注2)、この独自の分離システムは、現在のK-POPでも見ることができるように思います。例えば、先日涙の1位を獲得したMAMAMOOは作曲家キム・ドフンのRBW社所属ですが、アルバムには配給役として「LOEN」の名前が刻まれています。K-POPファンの方は、いずれかのアイドルグループに対して、一度は「あれ?〇〇ってLOEN所属だっけ?」と疑問に思われたことがあると思いますが、中小事務所の多くがLOEN(やCJE&M等)の商号を併記していますよね。

また古い音盤の情報をみてみると、泣く子も黙るSMエンタも、古くは他のレコード会社に流通を任せていたことが伺えますし、YGやJYPも古くは同様の仕組みを採用していたようです(注3)。

もし、かつての「代名制作」に端を発する「<制作/流通>分離システム」が今も息づいていて、ベンチャー的に設立されたアイドル芸能事務所が活躍するための「インフラ」として機能しているのだとすると、非常に面白いです。

なぜなら、韓国においては植民地化によってレコード会社による強力な制作体制が形成されなかったがために、逆に90年代終わりからのK-POPの発展が促されてきた、ということになるからです(注4)。

もちろんこれは推測にすぎませんが、現在のK-POPブームを理解するための重要な仮説として、ぜひ検証してみたいところです。

関連記事:〔来るべきK-POP論のために〕もうひとつの立役者"LOEN"


注1:李論文は、この点を非常に精密な筆致で腑分けしながら、論を進めており、非常に勉強になります。

注2:まったくの検討違いかもしれませんし、逆に韓国においては自明すぎて取り上げるに値しないと思われるかもしれません。現時点で、私ぱんちゃ的には非常に興味深い「仮説」です。

注3:古家正亨さんの『Disc Collection K-POP』に掲載された音盤情報からそれを読み取ることができます。SMについては、例えばH.O.Tの3rdアルバムはSMに加えてSynnara Musicという会社が名を連ねています。

注4:むしろ最近では、制作環境の変化(コストの低廉化)から、製造・流通の委託を製作者から受けるだけの、委託型のレコード会社形態にも注目が集まっているようです。その意味では、韓国の分離システムは結果的に先見の明があった、ということになるかもしれません。逆にいうと大手レコード会社で企画から流通までこなす日本のシステムは時代遅れになったということでもあります。
 なお、SMエンタも一時は手前で流通まで行っていたようですが(少し前のCDには誇らし気にジャケットの前面にDistributed by SM entertainmentと書かれていたりました)、最近はまた流通のみを別会社に委託する形に戻しています。KT Musicというところですが、ここはSMだけでなくYGとJYPの流通も行っているようです。


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