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倭色歌謡왜색가요の美学的検討・その1

新曲で快進撃中のTWICE。デビュー曲ではどじっ子キャラで盛り上げた日本人メンバーサナが、今度はセーラームーン風の衣装+日本語なまりの英語歌詞の可愛さが評判とのこと。

日本風の制服衣装や、アニメキャラクター風の衣装を、アイロニーを漂わせながら日本人のメンバーが歌い踊る…韓国社会では、日本の文化的表象に対する警戒心が解かれたということでしょうか。

半島では、植民地時代を経て、こうした列島からの文化を「倭色왜색」と捉え、これを国家的に排除しようとしてきた歴史があります。この民族のアイデンティティを確立する、あるいは取り戻すために行われた所作も、K-POPという大きなブランドが確立したことで、そのリアリティを後退させたのかもしれません。

昨年、私がKアイドルサイトのIDOLOGYで、最近J-POP的なものがK-POPに自然に入ってきているのではないか、と論じた際、韓国の方のtwitterアカウントから「まだまだ警戒心は解かれたわけではないが、以前に比べてかなり日本文化が抵抗なく韓国国内で表現されるようになってきたなあ」というようなコメントを頂戴したのを思い出します。

せ~ふくの~胸のぼたん~を~♪(↑完全に日本風のセーラー服)

ところで、実際の倭色禁止政策において、それはむしろ国民を統制する手段として行使されたに過ぎないことが多く指摘されています。もちろんそこには、民族的アイデンティティを賭けた文化的ポリティクスが働いており、キム・ソンミンさんによれば、それは戦後の歴史の中で重層的かつ動的な展開をしてきたといいます(註1)。

ただ、そうした倭色왜색のポリティクスに関する指摘に対して、あらためて倭色왜색とは何なのか、とくに「倭色歌謡왜색가요」というものが、具体的にどのような美学的根拠を持つ音楽なのかについては、あまりしっかりとした議論は見受けられないように思います。

「倭色歌謡왜색가요」とははたしてどのような特徴を持った音楽なのか。もしそれが「想像の共同体の敵」以上の、具体的な日本社会の持つ何等かの文化的傾向を指示したものであるとすれば、それは一体なんであるのか。これらについて、これから少し掘り下げてみたいと思います。

…と、相変わらずの大風呂敷ではございますが、生暖かく見守っていただければ幸いです。


註1:キム・ソンミン『戦後韓国と日本文化――「倭色」禁止から「韓流」まで』(岩波書店、2014年)


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