アイキャッチ

ハイスコアラーの登場

  インベーダーブームは「ハイスコアラー」を生み出すキッカケにもなりました。ハイスコアラーとは、より高いスコア(ハイスコア)を獲得するためにゲーム操作の技術を研鑽し、日々研究をしている人たちです。もちろん、それ以前にもハイスコアラーは存在していたと思います。しかし、まだ潜在的な存在で、全国的な規模を持つほどではありませんでした。

 ところがスペースインベーダーのお陰で全国的なゲーム大会が開かれるようになり状況も大きく変わったのです。その端緒とも言えるのが、1979年5月に映画『Mr.BOO! インベーダー作戦』のPRとして、東宝・東和・ジャトレが主催となって企画した「インベーダーチャンピオン決定・全国大会」という公開イベントです。

 全国から参加者を募ると1万人以上の腕自慢が集まったそうで、最終的には書類審査で177名まで絞り込んでから開催となりました。ルールはタイムアタック。制限時間内に1点でも多くのスコアを獲得したプレイヤーが勝利となる方式です。決勝戦は後楽園ホールを貸し切った特設ステージで行われ、制限時間25分で争われました。優勝したのは35,820点を叩き出した専門学校生、ゲーム歴10ヶ月、自己ベスト31万点という腕前の持ち主でした。

 それから間もなく8月になるとハイスコアラーを主人公とした漫画『ゲームセンターあらし』(1979年、すがやみつる)の連載が始まります。『ゲームセンターあらし』はライバルとゲームのハイスコアを競い勝ち負けを決めるという漫画で、 主人公の石野あらしはそのゲームの腕前を振るってライバル達をバタバタとなぎ倒していきます。最終的には神や悪魔との戦いにも参加し、最後には宇宙を救うというとんでもないスケールのものでした。石野あらしの代名詞とも言える得意技「炎のコマ」、集中力を高めるために行うヨガの「水魚のポーズ」など、きっとマネして練習していた子供も多かったでしょう。

 漫画の中では新しいゲームのルールや攻略法も掲載されることもあり、子供達の人気を獲得することに成功。ファン層の広がりとその後のゲーム人気にも押され、1982年にはTVアニメ版も放送されました。

 『ゲームセンターあらし』のTV放映が終わった後、1983年にナムコが発売したシューティングゲームの金字塔『ゼビウス』(1983年、ナムコ)の登場したことにより、ゲームの攻略法を載せたミニコミ誌が注目を集めます。

 1984年にはパソコン雑誌『マイコンBASICマガジン』(1982年, 電波新聞社)ではこの年の1月号から全国のゲームセンターからハイスコアを募集して集計・掲載するコーナー「CHALLENGE HIGH SCORE!」を開始し、全国のハイスコアラーの対抗意識に火をつけました。

 1985年になると、1983年の発売後、徐々に人気を集め始めていた『ファミリーコンピュータ』(1983年7月、任天堂)を使って、ハドソン・コロコロコミック・TDK主催「全国キャラバンシューティング」が開始しました。

 「全国キャラバンシューティング」は、その名の通り、シューティングゲームを軸に据えたイベントで、ファミコンソフトを作成していたハドソンのゲームを利用したPRも兼ねたイベントでした。

 このイベントにより、当時ハドソンの社員だった高橋利幸さんは、ゲームの伝道師「高橋名人」というキャラクターに扮し、必殺技「16連射」を携え、当時必須となり始めていたシューティングゲームでの連射技は子供たちの注目を集めました。

 このイベントで一緒にデビューしたのが毛利名人こと毛利公信さんで、ハドソンが翌年に発売した『スターソルジャー』(1986年)を使って高橋名人と争い、映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』(1986年、東宝)として上映されると、子供たちは固唾を飲んでその対戦を見届けたのでした。

 この1986年には、『マイコンBASICマガジン』の「CHALLENGE HIGH SCORE!」ほかアーケードゲームのコラムに対し、終生のライバル誌となる『ゲーメスト』(1986年、新声社)が登場し、徐々にハイスコアブームへと繋がっていきました。

 ハイスコア加熱の経緯は以下のようになっています。

1978年
『スペースインベーダー』が新作展示会で披露される(8月)
『ゲームセンターあらし』読み切り掲載(11月)
1979年
「インベーダーチャンピオン決定・全国大会」開催(5月)
『ゲームセンターあらし』連載開始(コロコロコミック第16号:8月発売)
1982年
『ゲームセンターあらし』TV放送。
1983年
『ゼビウス』(ナムコ)発売。
ゼビウスブームにより『ゲームフリーク』ほかミニコミ誌が脚光を浴びる。
1984年
『マイコンBASICマガジン』(1月号)紙上で「CHALLENGE HIGH SCORE!」が開始される。
1985年
「全国キャラバンシューティング」開始。
1986年
「CHALLENGE HIGH SCORE!」の集計店数がピークに達する。映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』上映(7月)
『ゲーメスト』(新声社)創刊。

 こうしてハイスコアラーの存在が認知され始めると、ゲーム制作側も配点などに気を配ったり、タイムアタックモードをゲームに組み込むということを始めるようになったのです。

 その嚆矢は、ハドソンの『スターソルジャー』で、タイムアタックモードを設けたり、連射機能を前面に押し出しました。これにより連射機能を持つコントローラーの普及に寄与しました。

 以後、シューティングゲームは連射機能を前提とした設計が行われはじめるように変化していき、アーケードゲームでも連射装置の重要性が高まっていったのです。しかし、アーケードゲームの連射装置は主として自作されたものであり、回路図が公開されたり、販売されていたわけではなく、全国的に普及したものではありませんでした。

 したがって、アーケードゲームのハイスコア集計は連射装置の有無で集計をわけるなどの配慮も行われました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?