アイキャッチ

【コラム】『ゲームセンターあらし』にまつわる誤解

 現在でも『ゲームセンターあらし』がインベーダーブームで登場したと思っている方も多いようなのですが、これは間違いです。同漫画がコロコロコミックの読み切りが登場したのは第9号(1978年11月15日発売号)にまで遡ります。 内容も「ブロック崩し」で争って勝ち、サラリーマンを撃退するというものでした。 ですからインベーダーブームより少し前に起ったブロック崩しブーム、TVゲームブームによるものだと判ります。

 1977年の日本TVゲーム市場を見てみると、組み立て式のものも合わせて約150種類あまりのゲーム機が発売されていました。実売価格も1万円を切るものが出現するなど低価格で提供されていたため、新聞の紙面を賑わせるほどニュースに取り上げられました。また、その前年の1976年にはATARIジャパン設立に対し、中村製作所は代理店契約を結び、正式ライセンスのPONGゲーム機を発売しました。つまり、この年が日本におけるTVゲームの普及期となる年だと考えることができます。しかし、スペースインベーダーが巻き起こしたブームがあまりにも大きすぎたため、それ以前のゲーム史実が霞んで見えてしまった点を示唆できます。これが『ゲームセンターあらし』へも波及して誤解を生む原因となったと言えるでしょう。逆を言えば、それだけインベーダーブームというのがもの凄かったということになります。

 『ゲームセンターあらし』の連載期間は1979年8月 ~ 1983年10月ですから、実はインベーダーバブルが終焉を迎えた後から連載が始まっています。 「インベーダーバブルの終焉」でも書きましたが、 タイトーがコピーインベーダーの差し押さえ仮処分を申請をしたのは1979年4月で、漫画を描くための取材期間を長く取って3ヶ月と考えて逆算しても、漫画への着手は同裁判の後ということになるのです。

 ただ、ちょうど1979年5月に東宝、東和、ジャレト主催で映画『Mr.Boo! ~ インベーダー作戦 ~』公開イベントの一環として、「インベーダーチャンピオン決定・全国大会」が開催され、モニターに世界最大の120インチ画面を使用することなどで注目を集めていますから、これが連載のキッカケに繋がった可能性があります。ゲームセンターあらしは元々、ハイスコアを競うことを手段にした漫画ですし、なにより実際に大きな画面とコントローラーを駆使して主人公は対戦をしていますから、当たらずとも遠からずなのではないでしょうか。

 なお、すがやみつるさん自身はアクションやシューティングはあまり好きではないそうで、連載初期はハム仲間のうち、ゲームのうまい人についてメモを取っていたとのことです。この「ゲームのうまい人」が裏技的なテクニックを すがやさんへ伝授していき、扉ページの裏技ネタへ反映されることになったと考えられます。漫画で裏技を取り上げることいにょりファン層を広げることに繋がったことや、 ファン層の広がりが初期の連載を支え、アニメ化のオファーをもたらすことに繋がっていったというのは面白いですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?