幸せな時間の作り方


何をしてる時が幸せなんだろうとふと思った。
幸せの作り方、感じ方って色々あるなあと。

例えば、やるべき事をやらずして、遊んでいる時 楽しいけど心のどこかにやるべき事が引っかかって100%楽しいとならないのだ。(私は)

100%、そのものに対して向き合って楽しさを引き出すには、前提や裏付け?が大切なんだと。

沢山運動した→嫌いなお風呂でも気持ちよく感じる
お腹をすかせた→いつもよりご飯が美味しく感じる
などなど……

けどそこにひとつ疑問が生まれたんだ。
私は努力とか我慢が嫌いなんだけど、その前提を、努力に感じてしまう時があるのでは?と。

お腹を空かせている時は苦痛だし、汗をかいて運動している時もなんか嫌。
けどその先の快楽は、いつもよりマシマシなのだ。
前提が苦しいほど、その先が気持ちよく思える、ギャップによるものなのか。

差が出れば出るほど、気持ち良いのか?
3日間断食したあとのご飯はさぞ美味しいだろう、しかしその3日間はとても辛いだろう。

こうなると、幸せ1日に対して苦痛3日になる。
1/4しか幸せじゃない。

毎日ささやかな幸せを感じるとする(クッキー1枚とかね)。毎日ハッピー、けどドカンとした幸せは特にない。

どっちが幸せなんだろう。?
今まで毎日幸せを感じたいと思っていた。、しかし今これを書いていて思ったことは、人は慣れてしまう生き物だから、毎日のささやかな幸せ、少なくとも同じようなベクトルの幸せを毎日感じていたら慣れてしまいそうだと。

実はメリハリがあった方が何事もいいのかも、とふと思いました。

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