Pre-2ndセットリスト考察〜キミトグライドは何を表現していたのか〜

こんにちは。れすです。
これまで各公演の感想をブログに書き綴ってきたわけですが、ツアー全体を通した解釈をしっかり残しておきたいなと思ったので、LAWSON presents 夏川椎菜 Zepp Live Tour 2020-2021 Pre-2ndとは何だったのか?ということをセットリストとともに考えていきたいと思います。

Pre-2ndとは何だったのか

いきなり結論めいたものを書いてしまうのですが、ぼくの考えるPre-2ndの解釈は、以下の2つに帰着します。

・クラクトリトルプライドこそがPre-2ndそのもの
・「君」が夏川さんからヒヨコ群になった

1つ目のクラクトリトルプライドこそがPre-2ndそのものを表現するセットリストになっているからこそ、2つ目の「君」が夏川さんからヒヨコ群になったを主張できる構成だと考えています。今回Pre-2ndのツアー中、ツアー後を通して、多くの方がブログを書いてくださっていたり、ツイキャスをしてくださったりしていました(このことはぼく個人としてとてもありがたく、素敵なブログに出会えたことも幸せなことです)。そういったものを拝読拝聴させて頂いて、解釈の2点はみなさん遠からず同じことを思っているのではないかと感じています。

セットリストと考察の前提

千秋楽ではセトリCが披露されましたが、これを除くとセットリストは以下の2パターンでした。厳密には札幌公演は、セトリAからThat's All Right!が抜けたものですが、札幌公演当時では未発売だったので2パターンとしています。また千秋楽は配信もあり巻きの進行でもあったので、今回の考察対象とはしません。セトリCはセトリCで考えていることがあるので、ひっそりとブログを書くかもしれません。

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Pre-2ndのセトリはブロックごとに役割が明確になっているので、ブロックごとに考えます。

ブロック①は決起のブロックです。「B.L.T. VOICE GIRLS Vol.42」インタビューでもイエローフラッグについて「ここから始まる決起の歌」と語られており、武者修行を乗り超えるための元気をヒヨコ群から集めるブロックです。続くRUNNY NOSEもバンドサウンドをやりたいという構想(「ファミ通.com」アンチテーゼ インタビューより)から生まれた曲で、Zeppでツアーすることがどういうことか挨拶をしてくれるセトリになっています。残る3曲については、全ブロックの中で最もセトリA・Bの差分が大きいことから、全曲を含めたかったからではと考えています。

ブロック②は、「一緒に踊りましょー!」から始まるフワコロが物語っているように声を出せないヒヨコ群をめいいっぱい楽しませてくれるダンスのブロックです。That's All Right!の敬礼のような振り、チアミーチアユーの「まーえ!よーこ!ぐるぐるぱ!」とクラップ、ナイモノバカリのお辞儀。いずれも一緒に楽しめる要素が詰まっています。

一つ飛ばして、ブロック④はライブラストスパートを飾る盛り上がりのブロックです。もうこのブロックは説明はいらないでしょう。

さて前置きが長くなりましたが、この記事で考察・解釈の対象としたいのは、ブロック③とアンコールのブロックです。この2つのブロックを抜き出してみます。

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この表からわかることを整理しておきましょう。

・グレープフルーツムーン、キミトグライド、クラクトリトルプライドは、セトリA、Bいずれも共通であること
・パレイドとファーストプロットは、キミトグライドを挟んで対になっていること
・キミトグライドの前に、Daisy DaysとHIRAETHがあること
・キミトグライドの後に、ワルモノウィルとラブリルブラがあること

このようにみるとグレープフルーツムーンでふたつにわかれたセットリストが、キミトグライドを経て、クラクトリトルプライドに至ることがわかります。

キミトグライドについて

クラクトリトルプライドこそがPre-2ndそのものというのを、Pre-2ndの中でも異質な印象を受けるキミトグライドから考察したいと思います。異質と書きましたが、現地でキミトグライドを浴びた方は、曲が終わったあとのなんともいえないあの空気感は記憶に残っているのではないでしょうか。長回しの特殊イントロから始まり、諦観に満ちた歌唱。羽田Day1のMCでも、生バンドでやることでCDと違ったものが表現できるとの言及がありました。

ただこのMCのあと、ぼくはキミトグライドに迷い込むことになります。知らんぷりした風見鶏はどちらに向くのか本当にわかりませんね。

しばらく悩みに悩み、あるときふとクラクトリトルプライドこそがPre-2ndそのものという考えに至りました。つまりブロック③とアンコールのセットリストはクラクトリトルプライドの歌詞を表現しているのです。クラクトリトルプライドの歌詞は、これまでの夏川さんの楽曲の歌詞が散りばめられた集大成とも言える歌詞になっています。「ファミ通.com」クラクトリトルプライド インタビューや、亜咲花 Animetick Night(2021年1月2日放送)で語られたように「逆にそうじゃないところが1行もないくらい、本当に全部言いたいこと」な歌詞です。その証拠にクラクトリトルプライドの一行目「どんなに道が選べたって」に登場する「道」や「選ぶ」という歌詞は、これまでの曲にも登場する歌詞です(他の歌詞についても一覧化しました)。

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これだけでもうクラクトリトルプライドこそがPre-2ndそのものと言えてしまうと思うのですが、クラクトリトルプライドの歌詞にはもう一つ大きな転換点があります。

それが「諦めて」の歌詞です。

「諦めて」の前は「悔しい」「性分のせい」など自分一人で完結する言葉で歌詞が綴られています。一方「諦めて」の後から「受けてみて」「目を見て話すように」「受け取って」と一人ではできない、相手が必要な歌詞が出てきます。夏川さん自身はブログで「相変わらず自分のことだけの、すごく狭い範囲に押し込められているような歌詞にはなっていますが」と書かれているので、無意識のことかもしれませんが、Pre-2ndを経た今、これはとても大きな意味を持つ歌詞だと感じています。

そう。「諦め」たあとに「目を見る」のです。
名古屋公演以降、特に顕著だったと思いますが、夏川さんが客席を指差してくれたり、しっかりと一人ひとりのヒヨコ群に目を向けてくれるようになりました。

ぼくはCDのキミトグライドが美しき逃避行の曲だとしたら、Pre-2ndのキミトグライドは諦めの曲だと解釈しています。諦観に満ちたキミトグライドの歌唱はまさにPre-2ndのセットリストとクラクトリトルプライドを紐付ける歌唱になっていたのではないかと考えます。

「諦め」と聞くとネガティブな印象を持ちがちですが、Pre-2ndのキミトグライドには特殊イントロがあります。生命の胎動を思わせる照明の明滅や、かどさんの奏でる時計の針が時を刻むような音は始まりを予感させます(名古屋夜公演参加記羽田公演Day2昼公演参加記)。だから「諦め」は、「吹っ切れた」という意味に近いのかなと思っています。

では何が始まったのかというと、ぼくはフェイズ2が始まったのだと思います。フェイズ1の夏川さんジシンの物語から、「聞いた君」が聞いたヒヨコ群になるフェイズ2へ。「君」が夏川さんからヒヨコ群になったのだと思います。(余談ですが、ぼくはこれまでのファーストプロットの「君の歌もいつか歌えますように」の「君」は、(きらきらなまま理想を叶えた)君と解釈してきました)

パレイドとファーストプロットの照明について、セトリAとセトリBが異なる演出であることも、各公演のあと話題になっていました。これも当然で、諦め(キミトグライド)を軸として、「君」が夏川さんジシンからヒヨコ群に変化し、表現されるものが変わったのだから演出も変わります。

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ここで改めてブロック③とアンコールのセットリストを見てみましょう。パレイドとファーストプロットはキミトグライドを軸として対称的な構造になっていることがわかります。つまり、夏川さんの曲としてじゃなく、聞く君の曲としてパレイドとファーストプロットを聞いてほしいという願いが籠もったセットリストになっているのではないかと解釈しています。

2つの曲をセットで解釈する

さてこの記事で書きたかった屋台骨については概ね書いたのですが、残った以下2つについて考えたいと思います。

・キミトグライドの前に、Daisy DaysとHIRAETHがあること
・キミトグライドの後に、ワルモノウィルとラブリルブラがあること

キミトグライドを軸として君が夏川さんからヒヨコ群に変わること、パレイドとファーストプロットが対になっていること。この2つの事実から、2つの曲がセットになって初めてメッセージが意味が出てくる、メッセージが強固になるようなセットリストになっているのではないかと考えました。特にパレイドとファーストプロットは、単一の曲でも十二分に素敵な楽曲たちですが、2曲が並ぶことでその物語性はより胸を打つものになります。
そしてプロットポイントでは本編最終2曲にパレイド、ファーストプロットを据え、縦のセットリストとして表現していましたが、Pre-2ndではこれを横のセットリストとして表現しているのではないかとの仮説で、解釈を進めます。

こう考えるとDaisy DaysとHIRAETH、ワルモノウィルとラブリルブラをセットで考えて解釈ができそうです。特にDaisy DaysとHIRAETHでは夏川さんジシン、ワルモノウィルとラブリルブラではヒヨコ群としての解釈です。

Daisy Daysは夏川さん初めてのソロ曲です。そしてHIRAETHについては
「ファミ通.com」 Ep01 インタビューにて「“昔はあったけどいまはないものを懐かしむ”みたいなことなんです。」と語っています。“昔はあったけどいまはないもの”は、パレイドの「きらきら 見つめていた 背伸びで届いた夢の世界」であり、グレープフルーツムーンの「キミ」(過去)です。そんなキミをDaisy Daysに当てはめ、HIRAETHの郷愁で、いまはないものとして懐かしめることを意しているのではないかと考えています。

続いて、ワルモノウィルとラブリルブラについてです。
まずラブリルブラについて考えます。Pre-2nd大阪公演は夏川さんのお誕生日当日となり、夏川さんをどうにかお祝いしようとヒヨコ群一人ひとりが企画を考えるすごく幸せな空間となりましたし、ぼく自身もすごく幸せでした。そしてラブリルブラは夏川さんがライブ当月にお誕生日を迎えるヒヨコ群をお祝いする曲なわけですが、夏川さんのお誕生日お祝いはこのパートとは別に用意されました(大阪昼公演では2A入り前、大阪夜公演では「1!2! 1!2!3!4!」の直後)。ぼく自身は、2サビ終わりの間奏で夏川さんをお祝いできたらどんなに幸せだろうと考えていたので、これは結構衝撃的なタイミングでした。でもあとから考えると2サビ終わりの間奏のハッピバースデーは、ヒヨコ群のためのハッピバースデーなのではないかと考えるようになりました。
そしてワルモノウィルについてですが、羽田公演Day2 夜公演の参加記に書いた「夏川さんと一緒にヒヨコ群もわるい子になってしまったように感じられました。」という感想から答えは変わっていません。夏川さんしかいなかったフェイズ1から、Pre-2ndで「君」がヒヨコ群になり、一緒に無邪気な気持ちを吐き出そうと、群が生まれるバースデーセトリになっています。

パレイド発売当時にワタナベハジメさんがツイートされていた「ひとりひとりの独りが寄り添い合って、いつか大きなパレイドとなっていくことを願って」という言葉はまさにこのことだったのではないかと思います。

「またね」

キミトグライドをクラクトリトルプライドの「諦めて」と解釈することで、Pre-2ndのセトリを解釈してきたわけですが、鋭い方は一つ違和感を持っていると思います。クラクトリトルプライドの歌詞の「諦めて」の前に一つだけ伝える相手が必要な歌詞があります。

そう。「またね」です。

そしてこの言葉は、千秋楽で最もヒヨコ群の心に残ったであろう言葉です。実は夏川さんの楽曲で「またね」が登場する曲が、クラクトリトルプライド以外に一曲だけ存在します。HIRAETHです。

ここで大事なのはキミトグライドより前の曲たちは、夏川さんジシンの世界であり、HIRAETHの「またね」が僕と君が両方とも夏川さんであるという前提のもと、曲を解釈できるということだと思っています。

ぼくは、パレイドとファーストプロットの歌詞に夏川さんを重ね、その内面的なジシンを見つける物語に共感し、応援するに至りました(それまでは箱推しと言っていた)。怖くて明言をすることを避けていたのですが、共感したのはきっとフェイズ1の楽曲たちです。ぼくは、夏川さんを通して音楽を聞いていたのです。だからフェイズ2の夏川さんの楽曲をどう聞くのか、そんな迷いにも似た思いがありました。

実はまだこの迷いに答えは出ていません。それでも千秋楽を迎えてPre-2ndは楽しいが溢れたツアーだったと自信を持って言えますし、「ヒヨコ群になりたいなって思ってるときになれる場所を提供したいと思ってる」と夏川さんが言ってくれたことはすごく嬉しかったことです。ぼくにとってもフェイズ2として夏川さんの楽曲を聞く、Preの付いた武者修行のツアーだったのだと思っています。改めてPre-2ndツアー完走おめでとうございます!

フェイズ2でも「またね」

あとがきに代えて。解釈よりも大切なこと

この解釈は「答え」ではありません。ぼく個人がPre-2ndをどう捉えたかという考察あるいは解釈に過ぎず、演者、表現サイドの意図である保証は当然にありません。しかしぼくが考え感じたことは、ぼくにとって唯一の真実です。そして何より、ぼく以外の人にも考察と解釈をする自由は開かれています。そして夏川椎菜さんが作る世界は、考察に耐えうるだけの強度を持っています。その強度こそがぼくが夏川さんに惹かれる理由の一つでもあります。ぜひともみなさんの解釈・考察を知りたいので、詳しいことをブログに書いてください。ぼくはオタクの感情を栄養に生きています。

とは言ってもブログを書くハードルは思いの外高いものではあるので、最後に小話をします。深読みを揶揄する言葉に冷奴というものがあります。別作品にはなりますが、けものフレンズのインタビューにて福原プロデューサーが、豆腐の白は現代の不安を象徴していると考察されても困ってしまうと揶揄したことから転じたスラングです(深読みする楽しみ方があることは前置きしています)。でもぼくは冷奴と言われることを恐れて、作り手が込めた意図や想いを素通りしてしまうことのほうが怖いです。だから間違っているかもしれないけど、深読みしてブログに書きます。

そしてぼくたちは、意見が作品の位置づけを変えてしまうことを体験しています。ファーストプロットは意図してパレイドのアンサーソングとして作られた楽曲ではないことは、「ファミ通.com」ログライン インタビューでも語られています。しかしファンの意見を受け、夏川さん自身の中でアンサーになっていたと心の整理ができたからこそ、ログラインの1曲目と13曲目にパレイドとファーストプロットを配置し、プロットポイントという物語の中でパンダくんと夏川さんの動きがシンクロしたのだと思います。もうファーストプロットはパレイドの文脈を踏まえて語られるべき楽曲になっているのだと思います。

キミトグライドにおいても、手を離してしまった白い綿毛は道に咲いていきます。「叶うはずない素敵な願いは道に咲いていくよ」の歌詞は、ヒヨコ群が勝手に楽曲の解釈を作り上げていくことを歌っているのではないかと、時々怖くなります。しかし、作品は世に公開されたときから作者の手を離れてしまうもので、受け取り手がそれを咀嚼し、解釈する自由があり、それこそが作品の広がりなのだと考え、これからも深読みを続けていきたいと思います。



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