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こんばんは、りせっとです。


もういくつ寝るとお正月…

誰もが聞いたことのあるフレーズだと思います。


明日はこの「お正月」という童謡を始め、

多くの曲を作詞された日本を代表する音楽家、

滝廉太郎さんの誕生日です。


音楽の時間に習いましたね?


今日はそんな、みんな大好き滝廉太郎さんのお話を。


江戸の時代が終わってしばらくした明治12年に

滝廉太郎は東京都港区で生まれました。


家柄は代々武士である家系で

この時代の滝家も裕福な家庭でした。


父親の吉弘は大蔵省や内務省で働き、

大久保利通や伊藤博文らとともに

内務官僚として勤めた人物でした。


そんな恵まれた環境の中、

滝廉太郎はその才能を大きく伸ばしていきます。



そしてドイツのベルリンに留学するわけですが、

音楽家がヨーロッパに留学したのは史上2人目でした。


いかに滝廉太郎が恵まれており、

才能もあったのかがよくわかります。


ちなみに滝廉太郎は当時としては珍しいクリスチャンでもありました


彼はドイツに留学しましたが、

肺結核のために帰国しました。


ドイツ留学後わずか2ヶ月で肺結核にかかったと言われています。


日本を代表する音楽家である滝廉太郎が

最期に残した曲は、とてもミステリアスなものでした。

曲のタイトルは「憾(うらみ)」と言います。

恨み・怨みはよく聞く言葉だと思いますが、

憾みは聞きなれない言葉ですね。


この「憾み」という言葉は、

実に残念に思うという意味です。

滝廉太郎は23歳で亡くなっています。


若くして死ぬことを悟った滝廉太郎自身が

残念な気持ちを音楽に残したものが「憾」なのです。

若くして亡くなった滝廉太郎の気持ちが伝わってくる音楽です。

皆さんも一度是非聴いてみてください。

(りせっとより。)

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