組織人として創造的破壊の時代に備える

業務改革やRPA等の導入は、既に多くの企業で実施している。

業務改革等にて浮き彫りになるのは、生産性の低い、単能工的な業務の洗い替えの必要性である。

最初は、働き方改革法案の施行に合わせて、総労働時間の短縮、という効果と同時に、残業の多い組織人の時間的解放が実施されていく。

しかし、その先にあるのは、だぶついた従業員数と賃金低下圧力というマイナスのインパクトを想像するに難くない。

デジタル高度人材やプランナー等を中心に組織が運営され、自動化されないサブルーチン業務を担う事務員が配置された職場を想像することは可能であろう。

就職氷河期の層に標準を当てた議論が政府でなされている。

いつの時代も「世代間の格差」というのは同一組織内で共存しており、その解消を主体的に組織が行うことは稀であり、軟着陸を目指して組織はプランを練っている。

人生100年時代の生き方、資産形成について、組織にぶら下がる時代は既に過ぎ去っている、と考える必要性は十分にあり得るのだが、多くの職場で、「組織人だから」生き延びられる、と考えている人が大多数であることに気付かされる。

組織人とは、という議論は多くあるが、一つ確かなことは、「時間を切り売り」しているという実態からは免れえないだろう。

毎日職場に出社し、戦っているつもりでも、「満員の各駅停車の電車」の中で走っているのと同じ原理で、同じ電車の車内にいることに変わりはないのが現実である。

組織が舵を切るのが先か、組織人が先かについては、組織のトップの判断次第で組織人が活きる場合も充分にあり得ることかと思われる。

ただ、「ディスラプション」が本当に3年以内に来るのであれば、いつまでも「組織人だから」という理屈で生き延びようとするのはどこかで無理が生じることを想像する。

大事なことは、電車の車内にいても、「足をかき続ける」必要性が等しく多くの人にあり得ることではないか、ということである。

車外に飛び出す選択肢は誰にも等しくあるようで、年齢を重ねた人達には苦渋の選択肢になることも多いにある。

得てして、組織はいつでも「後出しジャンケン」をする、という暗黙のルールがあり得ることだと思う。

「衰える地方 色あせた平成の分権」の日経新聞記事を見るに、現代の組織の先行投資のリスクと、その失敗を内部消化せざるを得ない現実が浮き彫りになっている。

ゴルフで言うところの、スイング時に、頭を動かさずに、右目でボールの行方を追っていくイメージが必要なのだと思う。

レイアップして、刻むところは刻んで、姿勢を整えて、グリップを可能な限り緩く握ることが必要になっているように思う。

「軌道を見つめる」ことと、「落下地点から逆算する」ことが出来れば、今の不確かな難局を乗り越えられることだと強く考えている。

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