深夜の深呼吸


渋谷橋の近くの店のテラス席で人を待っていた。「おまたせしました」と出てきたカフェラテのハートは下手くそだった。iPhoneを見るでもなく、本を読むでもなく、ただガラス越しの店内の、ゆれるロウソクの炎を眺めていた。

仕事をするか美術館に行くかしか日常の選択肢はなく、趣味も、ましてや特技なんて一つもなくて、仕事の付き合いも友人関係も恋愛も下手くそなまま気づけば30歳を超えていて、それでも毎日、打ち合わせをして、友人とランチをして、結婚もなんとか続いていて、犬までいる。

Twitterのフォロワーが1万人を超えたあたりから「炎上しないの?」と聞かれるけれど、怒られるようなことをする気概もなく、人を怒る気力もない自分には、炎上どころか煙をくゆらす燃料すらない。ただ「情報」を140字にうまく丸めてつぶやいているだけで、オリンピックにも年金にも人種差別にも大して向き合わず、都合のよい好奇心で世の中を眺めている。

いろんな仕事が佳境を迎えているのに、スケジュール感覚は一向に身につかず、人に迷惑をかけていて、迷惑をかけているという理解はあるのに、なにをどう改善するかの目処は立てられず、このままでは仕事干されて野垂れ死ぬのかななんて、ふつうに思う。ふつうに。それなのに、こんな文章をだらだらと書いているのだよ。

ここまで読んだ人がいるのかいないのかもわからないし、自分自身すらなにを書いているのか無自覚なまま、タイピング練習のように文字を連ねている。しかしながら、かなしいほどこの無意味さに救われている。

「わかりやすさ」とか「読みやすさ」とかそんなことばかり考えて文章を仕事にしていて、構造的に組み立てたり、意味を構築したり、案外自分にもできる仕事はあるんだな、なんてえらそうなことを思っていたら、あっさりと未知の世界に出会ってしまった。たまらないほどの焦燥と、巻き戻せない時間に対する絶望に久しぶりに直面している。そしてそれに幸福を覚える、マゾヒスティックな自分にまたうんざりする。

0時を越えた事務所には、わたしひとりしかいない。向いの大通りの交通量は、この時間ではまだ減らない。深呼吸でもして、また仕事の文章に向き合って、社会人らしからぬ時間にメールを送るのだ。明日もなにか、できることならば新しいことが知りたい。死ぬまでに少しでも、この世界のことを知りたい。

がんばって生きます。