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自分のからだを知ることは面白いですね。他者を知ることもそうですけれど、自分のことをもっと知りたい。

今年に入り、すこしたった頃、はじめてお会いした方からこの言葉を受けとった。

他者とは一生分かり合えない存在だからこそ、分かり合えたようなときや、つながれたような感覚に浸れたとき、ひとは喜びを感じるような気がする。


では、自分自身のことはどうだろう。


自分の顔や背中を直接見ることはできないし(鏡をとおすしかない)、ほかにも見えないところはある。声にしたって録音したものを聞くと、普段耳に聞こえてくるものとちがう。他者に届いている声と自分が聞いている声はどっちが自分の声なんだ?「自分のことは自分が一番よく知っている」と言うこともあるが、本当にそうなのか。





セッションをつづけていくと"自分"というものの認識が変容していく場面に出会す。そのひとが「自分自身」と出会いなおす瞬間だと思う。本人以外には知る由もないことだけど、その様子は私にも伝わってくる。

ひとは、過去の環境から得た経験をもとに自分なりの身体のイメージをもっている。クライアントのイメージと私のイメージはまるで違うため、その方がもっている身体のイメージがどんなものなのか、共有するところからセッションははじまる。話を聴くことや身体の動きを観察すること、などのアプローチをとおして、その人がどう身体を扱っているのか、が次第に見えてくる。

他者とかかわるからこそ他者とのかかわり方に意識がいきやすい。でも他者とかかわる以前に、自分自身との向き合い方(自身とのかかわり)によって、他者との関係性が変わることは十分に考えられる。その逆も然り、で他者とかかわることで自分自身との向き合い方が変わることもある。どっちが大事ということではなく、そのくりかえしの中で、ひとは気づいていくのだと思う。



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