グレタさんのこと (by ご隠居3号)

一連の報道とウィキペディアなどのネット情報をちょっと調べただけでもグレタさんのことをボロカスに言う人がいて驚くし、すごく違和感があります。あれだけ有名になってしまえば、当然その名前を利用しようとする者たちも集まってくるので、彼女の活動のバックに誰がいるとか陰謀論みたいなのが出てくるのは致し方がないと思います。

それでも私は地球温暖化に対する大きなアクションを今すぐスタートすべきなのは自明のことだと思っているので、グレタさんがそれを強く主張することには賛意しかありません。なので、まずグレタさんのことが嫌いな人(SNSなどを見るとその文章からは嫌悪感が溢れています)が地球温暖化についてどういう立場の人なのか興味がありました。いくつかの意見を読む限り、地球温暖化そのものをファイクだという人(代表はトランプ)が多いのはもちろん、そもそもこうした問題に関してちゃんとした意見を持っていない人も多いようですね。私が違和感を持ったのは多分そこですね。つまり地球温暖化に問題意識を持っていない人がグレタさんをボロカスに言う(誹謗中傷に近い)のは、単に自分が文句を言われたり自分が非難されたりしたと感じての反応なのかと思われること。

例えば45才男(IT企業家)が言うに、「16才やそこらの小娘なんか何者でもないし、あんな極論言ってたって誰も聞く耳もたないよね」あるいは55才男(団体職員)は「あの攻撃的なもの言いは何か精神的に問題が・・・えっ・・・アスペルガーなの?・・・だからって大人に向かって言って良い言葉じゃないわな」65才男(会社役員)は「あの飛行機乗らないパフォーマンス?、あれじゃ暮らしていけないっしょ。すべての人間活動には環境負荷が付きものなんだから」39才男(アルバイト)「代替エネルギー?そんなものは必要ない。原発で良いじゃないか。経済もわからない娘が生意気なことを言って」

まずこの人たちは地球温暖化に対して何も語っていませんね。そして相手が若い女の子であることで、完全に上から目線のもの言いです。それがミソジニ―であることなど1ミリも自覚していません。まず有名な国連での演説(と言っても演台にたったわけではなくて普通に並んだ椅子に座ってだが)で語った時の主語は「We」だったんです。スタートは彼女個人だったにせよこの次点では明らかに地球温暖化に対するアクションを求める運動体それも高校生ぐらいのティーンの運動としての発言なんですね。つまり世界を構築し、今を受容している大人たちに対して怒っているわけです。大部分の大人は50年後には生きていませんが、彼女たちにとっては明らかに自分たちが生きる世界がどうなるかという具体的かつ身体的な問題なわけです。


非難されたと感じる大人たちがグレタ個人を攻撃するのは筋違いで、「You」と名指しされた世界の指導者たちや大人たちは、自分たちの地球温暖化に対する言い分でもって議論を始めるのが正しい反応のはずです。また彼女は何度か(Unite Behind the Science)科学に基づいて連帯する、と言っていますが反論は概ね非科学的な感情論が多いようです。そして有名な「How dare you」ですが、結構何回も言っています。日本語訳で「よくもそんなことが言えるもんだ」みたいな攻撃的なニュアンスではなくて、どちらかと言えば「まったくあなたがたは」という感じです。こう言っちゃなんですが、教養のない若者だったら使わないフレーズでしょうね。例えば確かにこの演説を聞いて私は自分も非難された「You」一人として自覚があるだけに何と言うか忸怩たる思いにはなりました。ですがグレタさんは怒っているし何もしないあなた方を許さないとも言っていますが、いわゆる4文字言葉も使っていませんし差別的な言葉も使っていません。

そもそもグレタさんは「本当は私はここ(国連)にいるべきではありません」と言い、ストックホルムで静かに高校に通っていたかったと言っています。活動家になりたくてなったわけではないし、まして有名になることなどまったく本意ではないのでしょう。

ここまで読んで「じゃあお前は地球温暖化に対して何かしているのか」と文句を言う人がいるでしょうね。ニュースでは観測史上初のとか異常気象という言葉を聞く機会も増えましたが、いわゆる気象情報のデータからではなくて日々の肌感覚で気候が変わっているのを感じます。特に暑さについては長年エアコンのない生活を続けてきたので敏感ではあります。私はこれまで何日も猛暑日が続こうと扇風機とアイスノン?でやり過ごしてきましたが、今年、春に例の給付金10万が支給されたのを機に小さいエアコンを買いました。私自身はまあ暑さで死ぬことはないだろうと思います(どうしても我慢できなければイオンや図書館、あるいは車のエアコンで涼むことができる)が、飼っている老猫が少し弱っていて日中40度もになる部屋で飼うのが不安になってしまったので。

それと気候に敏感になる理由の一つとして、自宅が築50年のボロ家だということがあります。今年は珍しく台風が来ませんでしたが、例年は台風の度に屋根が飛ばないか壁が飛ばないかと心配でしかたがありません。そしてついに3年前に台風の直撃で壁が二カ所剥がれ、20mに及ぶ木製の塀が見事に倒れて全壊しました。あの台風と地球温暖化が直接リンクしているかはわかりませんが、私個人は気象現象によって実害をうけているわけです。そのうえで、じゃあ自分は何ができるかと考えた時に、少しでも脱炭素の生活をするってことかなと思っています。

グレタさんのように原理主義的生き方はできないけれど、隠居の自分はふだんの生活でせめて少しでも環境に負荷をかけないように暮らしたいと思っています。具体的には本当になんてことない小さなことです。電気は無駄に使わない(震災後はずいぶん気にして電気使用量が3割ぐらい減っていたが、最近は少し戻りつつあって反省)のはもちろん、水だって無駄に流さない(この一年ぐらい風呂はジムでだけ入るようにしています)、ゴミの分別は厳格に守る(慣れれば習慣になります)、車より自転車(田舎は完全に車社会で、コンビニにも車で行く。私は単純な距離換算で車1に対し自転車2)に乗ることを心がけています。基本的に無理しているわけではなくて、普通に質素に暮らすことが、個人ができる地球温暖化対策だと思っています。私にとっては、こうした日常の延長線上にグレタさんの唱えるアクションがあり、例えば投票のさいの指標になったりします。

それにしても日本は環境省と経済産業省との力関係があまりに露骨で、環境問題が常に経済や産業界のご機嫌を伺って忖度ばかりするようではねえ。そういえば最近、地域のゴミ分別で月2回ほどプラゴミの日に、捨てながらつくづく過剰包装なんだなあと実感しています。プラスチック袋だけでなく、こっちの過剰包装を規制するべきじゃないでしょうか。確か企業に過剰包装を訴えた学生だったか若い女性だったかが、SNSでバッシングされた(グレタさんバッシングと構造は同じで、問題を矮小化した上に女子供が文句を言うなというミソジニー的視線)ことがあったと思いますが、作る企業はもちろん消費者の我々自身が過剰包装を認識して例えば簡易的な紙の包装でOKと考えを変えなければいけないんじゃないでしょうか。

なんかこの話の着地点がわからなくなってきましたが、環境省の政府内での地位というか重要度をもっと上げて、そこの大臣には大きな魅力と権限と名声を付与できるようにしていただきたい。小泉大臣、他の偉い政治家に気を使っている場合じゃないですよ。総理大臣を目指すなら「環境問題はセクシーだ」などと、ちょっとうまいこと言ったつもりになって逆に切り取られて炎上(環境問題はもっと身近でかっこ良いことなんだというニュアンスだったのに)している場合じゃなくて、首相より先に脱炭素社会を目指すとか言っていたらかっこ良かったのに。最後はグレタさんの痛烈な言葉を

「こんな時にあなた方がするのはお金の話ばかり、経済が永遠に右肩上がりに成長するなどと、おとぎ話のような絵空事です。How dare you!」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?